トランスジェンダーと呼ばれる私④:躰道

ボイス
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今回は、スポーツについて思うところを書いてみたいと思う。トランスジェンダーと呼ばれる私②:手術で、手術やホルモン治療をする理由について書いた際、スポーツに関する理由を書き忘れたなと思ったのがきっかけだ。

このボイスでは、世間で取り沙汰されているようなトランスジェンダーのスポーツ参加の是非について述べるつもりはない。ここでは、とにかく私自身が感じてきたスポーツに関するモヤモヤを、主観的に書き留めて置こうと思う。

私にとって最も関わりの深いスポーツは、躰道である。
あまり馴染みがなくて、ん?躰道?どんなスポーツ?と思った方も多いかもしれない。躰道は、琉球の空手から派生した、比較的新しい武道だ。特徴は、側転やバク転を始め、様々な3次元の動きを行うこと。私はこの武道を、父親の影響で、3歳から17歳までの14年間やっていた(とは言っても幼少期は遊びのようなものであったが)。小学生の時には、少年少女の全国大会に2度ほど出場した記憶がある。

始めに書いておくと、まず私は躰道が好きだ。それは今も変わらない。
親に少し反発していた小学校の頃は、嫌いだと思っていた時もあったが、やっぱり自分にとって大事な一部分でもある。
ずっと指導をしてくれた上、まるで第二の親や親戚のように小さい頃から私を可愛がってくださった、清武会の清田義男師範には感謝しきれない。

しかし、私は躰道を続けることができなかった。やめる時もとても葛藤があったし、今でも躰道での経験を思い出すと、たくさんのモヤモヤを感じてしまう。私はこのモヤモヤを言語化しなければならないと思っている。今回の記事は、私にとって、その大事な機会になるだろう。

 

躰道で経験したモヤモヤのパターンを、以下のように3つに分類してみた。
①スポーツに関係なく日常的に存在するモヤモヤ
②一般的なスポーツのモヤモヤ
③躰道のモヤモヤ

これらは、分類とは言ったものの、完全に分けることは難しい点は注記しておく。

①と②は、大学の授業などでも触れられる内容であり、一般的なものだ。今回の記事では、簡単に述べるに留めておく。
①には、例えば着替えの分離や、飲み会や稽古場での「女性陣」という括りでの呼び方、「〇〇ちゃん」呼びなどが当たる。
②は、そもそもほとんどのスポーツが男女別で競うルールであるように、躰道もまた男女別で競うスポーツであるという点だ。

 

①と②が私にとってストレスであったことは確かだ。ただし、私にとって一番辛かったのは、これから述べる③の部分、「躰道のモヤモヤ」に関する事柄であった。

 

躰道には、「法形(ほうけい)」というものがある。これは、空手の「型」にあたるものなのだが、進化と創造を唄い、型にはまることを嫌う躰道では、この呼び方をする。
そして、競技や審査で使う法形は男女で異なり、男性のための「体の法形」と、女性のための「陰の法形」があるのだ。
前提として話しておくと、躰道で関わる人には、私はカミングアウトをしていなかった。なので、周囲の人は、私のことをボーイッシュなシスジェンダー女性だと認識していただろう。そのため、当時の私は、当然「陰の法形」で戦わなければならなかった。他の男性と同じ法形を練習することは基本的にできなかったのだ。正直に言って、めちゃくちゃ寂しかった。団体法形競技に出場するために、男女関係なく「体の法形」を練習したことがあり、その時はとっても安心したし、嬉しくてむず痒かったのを覚えている。

法形のように明確に分離されていなくても、「女性」として練習の中で気を使われたりして、辛くなることはよくあった。例えば、ペアで向かい合ってお互いの腹をめがけて突き(つまりパンチ)をし、受ける側は腹筋に力を入れてそれを受け止めるという練習のとき。私は、シスジェンダー男性とペアになると、突きをしっかりやってもらえなかった。お腹の前でフワッと止められるのだ。それか、少し触れる程度。練習にならないじゃないか!と思っていた。「ちゃんとやっていいですよ」と言っても、相手は「えー、でも女の子を殴るのは……」といった様子。メンタル的に、頭をガンッと殴られたようにショックだったが、もうこれ以上話しても傷つくだけだと思ったので、黙るしかなかった。(このエピソードは、トランスジェンダー男性のみならず、シスジェンダー女性までもがスポーツに参加しにくい状況があるということを示唆する。)

また、バク転やバク宙などのアクロバット(躰道では転技ということが多い)を練習するのだが、この飛び方のコツが、また男女で異なる。
当時、私が通っていた道場では、小中学生は男子がほとんどだったので、私はシスジェンダー男性に混じって転技の練習をしていた。
しかし、周りのシスジェンダー男性が跳べるようになっていく中でも、私はなかなか跳べるようにならなかった。一番長く練習しているのにも関わらず、一番できない、というような状態だった。
指導をしてくれていた道場の大人たちは、「女の子は力技で跳ぶのは難しいから、柔軟性を活かして跳んだ方がいい」と私に何度もアドバイスをくれた。しかし、割り切っていたにせよ、私にとって「女の子」と呼ばれること、そして「女の子」としての跳び方を覚えなくてはならないということは、とても傷つく屈辱的なことだった。上手くなるためには、自分が「女の子」であることと向き合い、ズタボロになっている心を殺して跳ばなければならない。なんだか抵抗したくなってしまって、わざとアドバイスとは逆の方法で跳んだりして。上手く跳べなくて着地が痛くて。「さっきの話聞いてた?」と言われ。自分がとても惨めで。自分で自分にイライラして。シスジェンダー男性の友達が「お前まだできねえのかよ」と軽口を叩くのに傷つき。目に溜まってきた涙がこぼれないように上を向く。それでまたがむしゃらに跳んで、跳んで、跳んで。
バク転やバク宙の練習の時、私はいつも涙を堪えるのに必死だった。

 

小さい頃から生活の一部だった躰道だが、このように、あまりに大きなストレスを伴うため、稽古に行くことが本当に辛くなってしまった。大学受験を控えた高校2年の秋、受験と躰道を両立しようとすれば、メンタルが潰れてしまってまともに大学受験にのぞむことができないだろうと判断し、私は逃げるように躰道を辞めた。

合格した東京大学には、世界大会を連覇するような強豪の躰道部があることを知っていた。そこで一緒に稽古させてほしいと思ったけれど、トランスジェンダー男性である私が躰道の競技にどう関われば良いのか、自分でも上手く説明できる自信がなく、断念した。

私は、今でも時々悲しくなる。
少し専門的な用語が続いてしまうが……足袋を履いて弟と「捻体半月当て」の練習をしていた公園を通ったとき。「ひとつ!」と言われて、すかさず躰道五条訓が頭をよぎったとき。好きな四字熟語は?と言われて、真っ先に出てくるのが動功五戒の「応変風靡」だったとき。

物心ついた時からずっと傍にあった躰道は、私の思考の根底に居座っているし、きっとこれからも離れることはない。それなのに私は今躰道をやっていない。それを実感してしまって、悲しいのだ。

先程述べた「体の法形」と「陰の法形」などの分離も、最高師範である祝嶺正献が、理由あって分けたものだ。簡単に否定はできない。それがまたつらい。

*  *  *

私はホルモン治療が落ち着き始めたら、レンタルスペースなどで自主練習を再開したいと思っている。つらい思い出のある道場に通うのはきついかもしれないけれど、自分で練習する程度ならできそうだ。その時は、トランスジェンダー男性としての誇りを持って、また「陰の法形」を練習しても逆に面白いかもしれない。

希望的観測を述べれば、躰道は型にはまるのを嫌い、常に創造していく進化の武道だ。伝統を重んじながら、温故知新の精神で、多様性の包括を進めていくような未来が、躰道にはあるかもしれない。
躰道界がトランスジェンダーの競技参加について考えるような機会があれば、少しでも関われたら嬉しいものだ、と思う。

色んなことがあったけれど、私は躰道を嫌いにはなれないし、心から応援している。私にとって、一番大事なスポーツだ。そして、トランスジェンダーであることで躰道を続けられなくなってしまった私としては、やはり躰道界の変化を願う。躰道には、大きな可能性がある。

栄えある創造、実践の躰道。(演歌『躰道』より)


 

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