トランスジェンダーと呼ばれる私②:手術

ボイス
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以前、私は「トランスジェンダーと呼ばれる私①」というボイスを書かせていただいた。そちらをご覧になっていないという方は、先に①を読んでいただけると文脈がわかりやすいのではないかと思う。

胸の手術を来月に控えた今、手術やホルモン治療を受けることについてどう思っているか、ここに書き留めておきたいと思い、筆を取った。

以前、「性に関わる医療的措置を受けたあとに、苦悩したり、絶望したりするかもしれないぞ」と忠告を受けたことがある。どうして?と聞くと、どれだけ手術をしても、お金をかけても「“本当の男” にはなれないから」だという(本当の男というのは好ましくない表現だが、ここではシスジェンダーのことを意味すると思う。シスジェンダーというのは、出生時に割り当てられた性別と、性自認が一致する状態や人のことである。トランスジェンダーの対義語にあたる)。

なるほど。たしかにトランスジェンダーである自分自身が嫌いで、手術をすればトランスジェンダーである事実から解放されると考えていたならば、手術後そのように絶望してしまうかもしれないと思う。

だが私はトランスジェンダーというアイデンティティに誇りを持っている。むしろトランスジェンダーとしての経験は自分の大事な一部として隠したくないと思っている。

それに、私が胸の手術やホルモン治療をする理由はここ1年ほどで明確になった。
先に伝えておくと、それは今の自分の身体で生きていくことに耐えられないからではない。また、この身体のままでは幸せに生きられないからでもない。
私は今も、私のために怒ってくれる友人や、私を男性の1人(トランスジェンダー)として過度に気にせずに一緒にいてくれる友人たちに囲まれている。
とても幸せな状態なのだ。

ではなぜ手術やホルモン治療をしようと思っているのか?

大まかに2つの理由を考えてみた。

①楽になる
②将来の可能性が広がる

まず①について。
私は毎日朝起きたら、胸を平らに見せるために胸を潰すタンクトップ(通称ナベシャツ)を着ている。
夏は暑くて仕方が無いし、運動の時は動きにくかったり息苦しく感じたりもする。普段一人で寝る時は脱いでしまうのだが、友達と泊まる時などはつけっぱなしのことが多いのでちょっと疲れる。また、これを着たまま水に入るわけにいかないので、プールや海にも行けない。手術が終わったら、(上にラッシュガードを着るかもしれないけれど)友達と一緒にプールや海に行けたらいいな、というのがちょっとした楽しみである。着心地のいいナベシャツは高くて、今使っているのは1着10000円以上するのだが、消耗品だ。これを一生着るというのは大変だし、胸の手術をすればずいぶん楽に生活できるのではないかと思う。

楽になることは、まだある。私は生理が非常に重くて、おそらく「男性である自分に生理が来た」というショックも相まってか、元々生理の日は震えが止まらずベッドから動けない状態だった。そのため、高校の時から低用量ピルを飲み始めたのだ。
ホルモン治療を行えば、生理はほどなくして止まるという。ホルモン治療には定期的にお金がかかるし、最初の頃は特にホルモンが不安定なので大変だという。しかし、元々ピルや生理用品にお金を払っている上、メンタル的なコストを大量に払っているので、まあさほど変わらないだろうし、気持ちとしては楽になるだろうと思う。

楽になることをもうひとつ挙げよう。これは社会的な事柄だ。性別を探られたりジロジロ見られたり、しまいには性別を間違えられて「女性」だと見なされたりすることは、大きなストレスを伴う。身体中が緊張し、場合によっては汗ばみ、傷つかないようにするために身体が戦闘モードに入るような感じである。そしてその度に少しずつ心をすり減らすのである。少しでも先手を打つために、会った人には自己紹介と同時に自分がトランスジェンダーであることを話して、性別を詮索されたり「女性」と言われたりしないようにしている。しかし、これもまたとても疲れるものである。そのカミングアウトに対して相手がどんな反応をしたとしても傷つかないように、待ち構えていなければならないのだから。
ホルモン治療などを行えば、「女性」として間違われることは一気に減るだろう。ただ、これは長い間私を悩ませてきた。ここで、「女性」だと思われないようにホルモン治療をするということは、社会の「男らしさ/女らしさ」の規範に乗っかるということだからだ。本当は声が高い男がいるのは当たり前だし、トランスジェンダーやインターセックスの存在を踏まえれば、胸の膨らみがある男も、出産ができる男も、当たり前に存在していいはずである。それなのに私は、自分の身体を、シスジェンダー男性の身体に合わせようとしている。これで良いのか?私はずっと悩んできた。
しかし私もこの社会で生活を営む一員であり、社会との繋がりや社会規範から完全に逃れることなど、まず不可能である。ならば、これからもこの社会で生きていく私が、この社会で楽に生活できるように手術やホルモン治療を行うということは、決して責められるべきことではない。理想論で考えれば、社会に迎合するのではなくもっとトランスジェンダーとしての自分の身体を大事にしてもいいのかもしれないが、自分の心と話し合って、この社会で生きていく以上、妥協するしかなさそうだと思い至った。

では②に進もう。将来の可能性が広がるから、という理由だ。
留学したいと思った時。地方にフィールドワークに行きたいと思った時。スタディツアーやプログラムに参加したいと思った時。毎回壁にぶち当たる。
その場所で私は安心して生活できるのか?その仲間と共に安心して行動できるのか?傷つく可能性はどのくらいあるか?ヘイトクライムなどの危険はないか?差別されたり、ショッキングな経験をしてしまう可能性はないか?
手術やホルモン治療が終われば、そしてさらに戸籍の性別が変更できれば、私は少し安心してこうした環境に飛び込むことが出来る。
私はもっと色んな人と自信を持って、安心して、関われるようになりたいのだ。

だらだらと論理的な理由ばかりを書き連ねたが、私のシンプルな気持ちも書いておこう。

私は胸の手術やホルモン治療を、不安と期待が入り交じったような気持ちで捉えている。幼い頃、自分が想像していた第二次性徴や身体の変化を、今から経験する。不安ではあるけれども、それだけでまずワクワクするのだ。

一度女性として第二次性徴を迎えているわけだし、シスジェンダーと全く同じ身体にはならないけれども、それでいいと思う。私はトランスジェンダーとして、誇りを持って生きていたい。


 

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