舞台『坂道ー長崎、79年目の夏』を語る会【後編】

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劇中歌としてVoYJ4周年記念ソング『』も登場した舞台『坂道ー長崎、79年目の夏』。

スタッフとして参加していたVoYJ事務局メンバーで感想を語り合いました!今回はその後編をお届けします。

前編はこちら

スタッフとして参加したVoYJ事務局メンバー。

 

「私」役のダブルキャストでの違い

佐々
「彼」(ハヤト)が心臓に持病があることを「私」(タケト)に打ち明けるシーンで、「私」が座る向きが違うよね。
百名さんはベンチに横並びで座り、互いに信頼している関係性が伝わる感じで、永嶋さんはベンチに後ろ向きに座って顔だけ振り返り、「彼」が言いにくいことを言いやすくするような姿勢だった。どちらも優しさだよね。

はる
二人で水浴びをするシーンの、泳いでる「彼」の裸を直視できないことの表現も違っていた。
百名さんは特に何もせずに目を背けることで、直視できない「私」を表現していたけど、永嶋さんは服を畳んだり靴を揃えたりして誤魔化していた。

佐々
どちらも共感できる反応だよね。

はる
百名さんの演じる「私」は明るく素直で、しっかりめ。当時は自分の思いを自覚していなかったのかな。

さとこ
その明るく素直な「私」像があることで、篠田さん演じる、静かで穏やかで長崎のイントネーションで話す現在の「私」になるまでに、紆余曲折(戦争、原爆の体験も含めて)があったんだろうな、と感じるところもあって。

はる
永嶋さんの「私」は自分の思いに気づきつつあって、自分の思いを自覚している気がした。

さとこ
自信を持ちきれない表情がすごくよく出ていて。それが15歳のリアルな姿なのかなとも思いました。ご本人は15歳なんてもうなかなか思い出せない、演じるの大変とおっしゃっていたけれど。

なお
個人的にすごく好きなシーンがあって、麦わら帽子を「彼」から渡されるところ。二人とも恥ずかしがるのは一緒なんだけど、百名さんは渡されてから抱きしめて俯いていた。永嶋さんは渡されてから帽子をかぶって俯いていて、二人の演技プランが違うことに気がついた。
そのあとの、俯く「私」を心配する「彼」に、「私」が誤魔化すように「一番星!」と言うシーンで、百名さんは星に見惚れる感じだった。でも、永嶋さんは彼の横顔をずっと見つめていた。どっちも15才って感じで可愛いけど、永嶋さんの演じる「私」は、自分が「彼」に向ける思いが他の人に対するものとは違うことに気づいていたんじゃないかな。
こういう違いがあるから、音声ガイドをその場で吹き込む必要があるんだなと思った。

はる
坂道でラムネを飲むシーンも違ったよね。百名さんは素直に楽しそうに、はしゃいだ感じで飲んでたけど、永嶋さんはいかにも高校生がふざけながらやりそうな感じで一気飲みして、「彼」が「え?本当に?」みたいなこと言いながら見てた。

なお
ラムネを買ってきてくれるシーンも。百名さんの表現する「私」は素直な後輩みたいな感じだから、「彼」が兄的な感じで買ってきてくれる。でも、永嶋さんは「小銭持ってないわ!」という感じになって、その流れで「彼」が買ってきてくれていた。二人が思っている15歳像が違うのかな。

 

バリアフリーについて

佐々
みんな音声ガイドを体験してみたよね。目が見える人にとっても、舞台の楽しみ方の可能性を広げるものだと思った。音声ガイドがあることによって、人物関係とかがスッと理解できる。90分の公演の中で全ての人物関係を一度で理解するのは難しいから、音声ガイドがあることによって、気が散るどころか、よりストーリーに集中できると分かった。

なお
あと、すべての台詞や朗読に字幕がついていましたよね。全ての日本語を手話で表せるわけではないし、そういう意味でも文字で書かれていれば理解しやすいから字幕があってよかった。耳が聞こえる人にとっては雑音に感じるのかもしれないけど……。
字幕は台詞をそのまま表現できるという役割があって、手話通訳では感情豊かに訳されているから、耳情報で得る感情や溜め、トーンや速さといった、文字だとわからないものが訳されている。コストがかかるから全ての舞台ではできないかもしれないけど、あることで感情が伝わるのがいいところだと思った。

さとこ
字幕って、縦書きと横書きはどちらがいいのだろう? 今回は日本語部分、つまり台詞や詩や歌詞のほぼすべてが縦書きだったわけだけど、役者さんの体で隠れてしまうこともあったので、個人的には唯一英語で歌われる『I’ll be there just for you』と同じ横書きスタイルの字幕が全編にわたってついていてもよかったかもと思う。フォントや色、出すタイミングに関しては、改善の余地がありそうだよね。明るい背景に白の文字だと見にくい場面もあったから。

はる
この公演では詩があったから字幕があったのは良かったんじゃないかなと思った。字と一緒に追うことでより入ってくるし、聞き取り逃したということもない。聞き慣れていない言葉もあるから、耳が聞こえる人にとっても良かったんじゃないかと思う。
アメリカ兵が『I’ll be there just for you』を歌うときとか、手話通訳の方に役者さんが絡んでいくのが面白かった。​​手話通訳の人の反応も公演ごとに違うし、手話通訳を見慣れている人にとっても面白いかも。
手話は少数言語の一つで、字幕によっても消えてしまいがちだけど、それをエンパワーメントしていく、その文化を大事にして使っていく状況が必要だと思う。

佐々
キャストの方が16人いたんだけど、手話通訳の方は落語家みたいに全ての役を演じ分けていた。体の向きで話している人を示していたり、子ども役に憑依して演じていたり、ただ言葉を媒介しているのではなくて、劇の一部を構成する欠かせない役者の一人だったと思う。楽しく明るい音楽が流れているようなシーンでは、手話通訳の方自身もリズムに乗って笑顔で体を揺らしていたり、通訳できないはずのピアノの音を全身を使って表現されていて、新鮮だった。手話通訳の方がいることによって、劇を楽しめる層が圧倒的に広がっていくと感じたよ。

なお
終演後に集めていたアンケートの結果を見てみたい気がします。実際に音声ガイドなどを必要として使っている人から、もっとどうしたらいいのかとかフィードバックがあればいいよね。

はる
一つ面白かったのは、「私」(タケト)の妹・ヤヨイ役の松本さんも台詞を言うのと一緒に手話も使っていたよね。

さとこ
松本さんが独学で勉強したらしいと聞きました。

なお
ヤヨイだけが手話を使っていたのはなぜなんだろう。

はる
親や友達が手話言語話者だったりして、普段から喋るのと一緒に手話を使っている人がいるんじゃないかなと思った。

なお
もっと出番があればその背景とかが伝わったのかも。

はる
「普通じゃない」とされている何かを持っている人が、特別な扱いではなくぽっと出てくるのがいいのかも。手話を使っている人も普通にそこらへんにいるはずだから、大きな役じゃなく出てくることに意味があるんじゃないかな。

佐々
サイドの役者さんがいろいろな特性を持っているのはなんらおかしいことではないよね。「彼」(ハヤト)も心臓に障害を持っているし、一人一人に違いがあることは不思議なことじゃないというか。全てに説明がいる訳ではなく。

はる
日常生活では当たり前だけど、創作物である限り意図があるんじゃないかな。伝えたいことが「違いがある人が当たり前にいる」ということなんでしょうか。

佐々
この作品の舞台は戦時下だったよね。たとえば「近年になって性的マイノリティが増えた」という言説があるけど、必ずしもそんなことはないんじゃないかな。79年前に同性愛者がいなかったわけでも、障害を持つ人がいなかったわけでもない。声をあげられなかったということはあるのかもしれないけど……。
79年前に多様性がなかったわけではなく、現代のように人は多様だったはず。戦争映画などでは逞しい青年たちが出征する、というイメージが強いけど、当時も障害を持つ人だっていた。79年前も今と変わらぬ多様性があった、というメッセージだったんじゃないかな。

はる
それはけっこう大きいメッセージだった気がします。
『坂道』の最後の歌詞の「あなたが好きでした」が現在の年老いた「私」と重なって歌われるから、「今になって思いに気づいた、もしくは、今になってやっと向き合えた」と言うメッセージだと思う。「昔の状況では気づかなかった」というのは、いろいろな違いを持つ人が登場することでも伝えられるメッセージなんじゃないかな。

 

舞台の内容以外で印象に残っていること

佐々
はるくんの発案で、トイレ案内表示にレインボーフラッグ・トランスジェンダーフラッグを併記したね。

実際のトイレ案内。

はる
言語で示さないことに意味があったと思う。エンパワーメントしたいと思っているので、「あなたたちの存在も前提としている」とフラッグで伝えられたのは良かったと思う。フラッグは気軽に導入できるし。

なお
障害を持っている人でも来られる公演にしたいという思いで作られていて、リラックス公演、字幕、手話、音声ガイドなどが用意されていた。障害を持ちながら演劇を楽しめる機会は少ないんじゃないかと思うから、もっといろいろなコミュニティに宣伝・発信​​できたら良かったと思う。楽しめる舞台があることをもっと知ってもらえれば、知らなかった世界が開けるんじゃないかな。

はる
いろいろなアプローチがあることを頭に入れておけるといいね。

佐々
こういう取り組みの先例ができたことが重要だと思う。今後も続いていってほしいね。

さとこ
大切な作品だと感じてくださって、映画館で上映してほしいくらい、とX(Twitter)でつぶやいてくださった方がいたのを見かけました。

あいか
それは嬉しいですね!

 

最後に一言

はる
観客として来場して初めて見たときに感動して、何かこの舞台のためにできることはないかと思いました。スタッフとして関われてよかったです。

なお
役者さんの表情まで見えるような劇場で演劇を見るのは初めてだったので、この舞台を見られてとても良かったです。実際に関わらせていただいて、もっとこうしたいとか自分の中で考えられたので、貴重な経験だったと思います。

佐々
いろいろな演出や運営上の試みに携わることができて、自分がこれまでの人生で見てきた舞台はごくごく限られていたもので、もっと違う楽しみ方・体験の仕方があるんだなと思いました。僕自身が今後はより多面的な楽しみ方ができると思ったのもそうだし、僕とは違う特性を持った人にも、また違う楽しみ方ができるんじゃないかとか、自他問わず舞台作品の楽しみ方の可能性を広げる機会でした。

あいか
原爆について、多様性について、考えるきっかけになったと思います。戦争を描いた劇を観るのがどうしても怖くて避けていたのですが、恐怖を与えるという方向性ではなく、多様性に溢れる人々が暮らす日常が奪われる苦しさを描くという方向性で、自然とのめり込むことができました。

さとこ
プロの方々が実際に目の前の舞台で演じていらっしゃるお芝居の鑑賞体験としては、いままでミュージカルを2回、歌舞伎を1回、オペラを1回見に行ったことがあるだけでした。ストレートプレイを初めて見て、たとえば台詞の演じ方がとても真に迫っているなと(ミュージカルなどだと、音楽に負けないように少し誇張気味の表現をすることが多いように感じます)、また違った感動がありました。もちろん同じ舞台を複数回、しかもダブルキャスト両方の演技を見るのも初めてで、役者さんごとの違い、そのときどきの公演で偶然に生まれる違いがあるのはとても興味深かったです。戦争などのトラウマ的体験を伝える方法、その効果についても、考えたこと、これから考えていきたいことをたくさん持ち帰ることができた、稀有で素敵な体験でした。


 

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