紛争が他人事でなくなるということ

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大学1年生の春休み、私は認定NPO法人「聖地のこどもを支える会」のツアーでイスラエル・パレスチナを訪問しました。

私にとっては、初めての中東。そして、もちろん初めて訪れる紛争下の国。

 

パレスチナは今も政情不安定で、イスラエル人とパレスチナ人の殺し合いが後を絶ちません。

そんな国を自分の目で見てみたいと強く思い、今回のツアーに参加しました。

エルサレムの夕暮れ。一生忘れられない風景。

 

名誉殺人を逃れて

パレスチナ社会には、家族を重んじるなど素晴らしい慣習が多く、滞在中に多くを学びました。一方で、どんな社会にも暗い側面はあります。

パレスチナ社会には、現在も名誉殺人の風習が残っています。名誉殺人とは、女性が婚外で妊娠することで、「家の名誉を汚した」として親兄弟が女性と子供を殺害する風習です。

ベツレヘムには、そんな名誉殺人を逃れた子供達を引き取って育てる「クレーシュ」という孤児院があります。ここに助けを求めてやってくるのは、若い女性が多く、中には親戚によるレイプの被害者もいます。「クレーシュ」に付属する産院で家族にわからないように出産しても、家族の知るところとなって帰宅後に殺されてしまうこともあります。

 

こうして育つ子供達の将来には、何が待っているのでしょう。

 

大学に行けることもありますが、チャンスは非常に稀です。さらには、彼・彼女たちは戸籍の問題で一生パレスチナから出ることができないのです。

自分で選べない出生のせいで、移動の自由さえ奪われてしまう。

ここで暮らす子供達は、とても元気で賑やか。一緒にすごく楽しい時間を過ごしました。しかし、子供達の未来に待ち受けている壁は、私には想像できないほど高く険しいのです。

 

パレスチナでは、未だ名誉殺人は違法化されていません。

クレーシュで育つ子供たち

 

検問所のある暮らし

パレスチナ側から見た検問所。ここから先は撮影禁止。

パレスチナ自治区のベツレヘムから、イスラエルのテルアビブに出発する日、イスラエル軍が自治区を取り囲むように設置している検問所を通過しました。それまでも、車で検問所を通ることは何度かありましたが、歩いて通るのは初めてでした。

狭い通路に多くのパレスチナ人がぎゅうぎゅうに並び、IDカードを持って軍人の座るカウンターまで並びます。より混み合う通勤時間や猛暑日でも、毎日ここを通らなければならないと考えると気が滅入ります。

そのような状況の中でも、よそ者の私たちを「先に行きなさい」と通してくれるパレスチナの人の優しさに心を打たれました。

いよいよ検問。外国人の私たちは、パスポートをちらっと見せただけでゲートを通過できました。一方で、前に並んでいたパレスチナ人女性は、IDカードを見せているにも関わらず足止めされて、指紋認証までさせられていました。

この場面だけ見ると、検問しているイスラエル人兵士が悪い人のように思えますが、彼らにとってはそれが命じられた仕事でもあります。

 

検問所では、パレスチナ人がイスラエル人兵に殺される事件が起こっています。逆に、イスラエル人がパレスチナ人に殺されることもあります。

 

70余年続く紛争が、普通の人々を悪者に、殺人犯にしてしまう。

この暴力の連鎖には、本当に責められるべき人はいません。

 

未来の世代の分断

ベツレヘム大学で学生と交流

今回の旅では同世代の大学生と話をするチャンスもありました。ヘブライ大学ではイスラエル人の学生と、ベツレヘム大学と難民キャンプではパレスチナ人の学生と。

ヘブライ大学の学生は、パレスチナ人を「enemy」と呼び、「今の情勢はcalmだが、決してpeaceではない」としきりに強調していました。その言葉からは、相手のことを知らないが故の恐れが強く感じられました。実際、イスラエル人はパレスチナ自治区に立ち入ることが容易でなく、逆もまた然りという現状で、双方の交流はとても薄くなっています。

それを示すかのように、ベツレヘム大学の学生は「イスラエル人は18歳になると軍隊で洗脳されてしまうから、彼らとは友達になれない」「彼らが兵士となって、私たちパレスチナ人の家族を殺すかもしれない」と語っていました。

 

長く続く紛争が、未来の世代間のコミュニケーションまで阻んでいる現状がありました。

 

紛争下の国に、お世話になった人が、友人が住んでいる。「紛争が他人事でなくなる」ことの意味を身にしみて感じている今日この頃です。

 

イスラエル・パレスチナは紛争と対立の国という面が注目されがちですが、それ以上にあたたかい人々と文化、雄大な自然に溢れた場所です。

ぜひ一度訪れてみてください!

世界遺産マサダ山から死海を臨む


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