この記事は、要約すると「俺は大丈夫だった、だから飛び込んでみたら?」というものだ。
とても無責任であることを了解してほしい。
受動的に生きていても、「飛び込む機会」というのは意外と存在するものだ。大学入学など新しいコミュニティに入るときはその典型だろう。今回は、一人暮らしを始めることや「ガチの集団に入る」ことなど、少しリスクがあり躊躇うようなこと全般を、剣道になぞらえて「飛び込む」と表現してみた。
要は目の前にぶら下がったエサを逃すなという話である。剣道をやる人と、何となく生活を持て余している人がいたら、読んでほしい。
剣道の稽古では時々、「打たれないと成長しない」という言葉が飛び出てくる。この言葉の意味の一つは「打ちたい・打たれまいとだけ考えて稽古するよりも、全力で飛び込んで打たれて『なんで打たれたのか』考えるほうが何倍も稽古になる」というものである。飛び込むことで、自分に何が足りないのか・何ができないのかといった課題が浮き彫りになる。
些か強引に結びつけるが、日常で飛び込むのもこれとさほど変わらない。一人暮らしをすれば「自分にできないこと」が浮かび上がるし、新しいコミュニティで出会った人を見習えば「自分にできること」が増える。往々にして世界は一見さんに意外と優しいので、飛び込んでみたら何かが手に入るかもしれない。ジョブズも言っていた、”So you have to trust that the dots will somehow connect in your future”と。Dotsを積み上げる時点で、それが何の役に立つのかは分からない場合のほうが圧倒的に多い。将来dotsが役立つと信じて、積み上げていくことが必要である、と。
ただしこのアドバイスは、よくこんな言葉とセットで使われる。「別に剣道で打たれても死にゃあしない」と。
そう、別に剣道でいくらミスろうが問題ない。しかし日常で飛び込むのは、一般に稽古で打たれるよりも大きなリスクを孕む。一人暮らしをするのはよいが部屋にカビが生えるのはよくないし、新しいコミュニティに入ることはある程度の時間のロスになる。
自分は友人に恵まれたおかげで飛び込んだ成果を得られたから「飛び込んだことは良かった」と言えるけど、全員に当てはまるわけではないだろう。
だが「全然できなかったら恥ずかしい」くらいのリスクならぜひ呑んでみてほしい。なにせ一時の恥で自分の改善のヒントが得られるのだから。
さて、全力で飛び込むというのは、無暗に飛び込む、とは違うのに注意してほしい。無暗に飛び込んでも得るものは小さい。剣道でも、日常生活でも。その瞬間の全力を出そうとすれば、より大きいものが手に入る。
全力、というのは、実際の行動と事前の準備の両方に対してだ。剣道で言えば、実際の行動は「打突」・事前の準備は「攻め」になるだろうか。解説しておくと、剣道の「攻め」とは、相手を崩すことである。簡単に言えば、打つ機会を作る様々な工夫だと思う。
話を戻すと、別に長時間かけなさいという訳ではない。授業前に10分予習するのと同じで、準備や下地ゼロで挑まないよう心がけよう。
最後に、飛び込んだら振り返るべし。振り返って言語化する、あるいは友人からのアドバイスを検討する、という行動が結局のところ大切である。その繰り返しによって、私は自分に自信を持てるようになってきたし、自分を好きになることができた。
特に、友人の悪いところを指摘できる間柄になれるのはせいぜい学生まで、というのが一般的な認識だろうから、学生のみなさんは、死にそうになければぜひ何かに飛び込んでほしい。そしてぜひ友人のことばに耳を傾けてほしい。
まとめると、環境を変える・何かをガチでやる集団に入る、などの「大きな」機会は勿論、専門以外の分野からの誘いを受ける・ふと興味の湧いたポスターに応募してみるといった「小さな」機会を逃さないようにすることをお勧めしたい。
最後に、自分の経験から一つアドバイス。あんまり改善点を沢山見つけすぎると萎えてしまうので注意。ひとつひとつ潰していくことが自分を好きになるコツ。

某大学理学部で勉強している学部二年。最近は、感情が顔に出るようになったねと言われたのが嬉しかった。
The Profile Image is from the RCSB PDB (www.rcsb.org) of PDB ID 4D1L (Joerger, A.C., Wilcken, R., Andreeva, A.) (2014). “Tetramerization domain of zebrafish p53 (crystal form I).”
癌に興味が有ったら調べてみると良いかもしれない。もし誰かが更に詳しく知りたくなってどこかの教授にメールの一つでも送ってくれたら冥利に尽きます。