人と人がつながる社会について考えてみた

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VoY全国駅伝企画以来2度目の投稿になります。僕は微細藻類に興味があり、小学生の頃より研究してきました。小学生の時に自宅の庭に小さなビオトープを作り、自由研究でそこに出現するプランクトンを観察したのがきっかけです。ただ、プランクトンについてはまた今度お話をするとして、今回は大学のあるゼミをきっかけに最近考えていることについてお伝えしたいと思います。

皆さんは日本の農林水産業は持続可能であると思いますか?100年後も同じ形で存在するでしょうか?僕の所属している農学部のプログラムではこのような問いを議論していくのですが、様々なアプローチがあると思います。小さいことをちまちまやるのは時間がかかるし無駄で、政府主導のトップダウンコントロールによるシフトが必要だという人もいるでしょう。しかし、僕は根本的な解決のためには国民の意識から変えていくことが必要だと思っています。そのためのキーワードが「当事者意識」です。堅苦しく聞こえますが、簡単に言えば「身近なものとして、自分ごととして感じ・考えられるかどうか」だと思います。

先ほどの問いに戻りましょう。僕は、残念ながら現在は第一次産業従事者と消費者が乖離した空虚な社会であり、この状態は持続可能ではないと考えています。第一次産業従事者が減っていると知ってはいてもどこか他人事で、野菜や魚はスーパーに行けば買えるもの、としか考えていない人が多いように思います。それではなぜ、生産者と消費者が乖離した社会は持続可能ではないのでしょうか。いくつか理由が考えられると思います。まず、生産者が消費者を意識しなくなると、生産者は良いものを生み出そうとするモチベーションが低くなります。すると生産者はお金を稼ぐためだけの生産をするようになり、生産性を向上させることにしか注力しなくなります。生産性を上げることは望ましいことですが、それが過度に働くと労働環境や労働条件の悪化を促進することに繋がりかねません。また、消費者が生産のことを考えなくなると、消費者は価格にしか注目せず、買叩きが起こります。つまり価格以外の価値を考えなくなるということです。その結果、外国産の安いものを輸入するようになり、日本国内の第一次産業の停滞につながるということです。しかも、このような消費の影響は日本国内に止まりません。皆さんが好きなチョコレートの原料であるカカオはアフリカから輸入していますが、できるだけ安く買いたいという欲望によって現地では劣悪な環境で低賃金収入、さらには児童労働まで行われています。そんな欲望を伝えた覚えはないという人が多いと思いますが、安くなければ買わないという暗黙の圧力によってチョコレート会社にそうさせてしまっているのです。また、カカオ豆の状態で輸入し、日本の工場でチョコレートに加工するので、カカオ農園で働いている人のほとんどは自分たちの収穫したカカオがチョコレートというお菓子になることを知りません例えば「はじめてのエシカル 末吉里花著 山川出版社」や「チョコレートの真実 キャロル・オフ著 北村陽子訳 英治出版」。そのために余計にお金のためだけの労働になるというように、生産者のモチベーションにも深く関わっているのです。生産地と消費地が地理的に離れていることも大きいと思いますが、消費者と生産者が互いに意識しなければこのようなことになってしまうのです。現在では企業が現地に出向き、カカオの質を向上させたり、適切な対価を支払ったりすることによってカカオ農家を守ろうという運動が起こっています。フェアトレードという言葉を皆さんも聞いたことがあるのではないでしょうか。フェアトレードとは発展途上国で作られる農作物や製品を適切な価格で取引しようという運動で、Fairtrade InternationalWorld Fair Trade Organizationなどの組織が策定した基準に合致する商品にフェアトレードマークがつけられます。今ではカカオ豆の他、コットンやコーヒー豆、茶葉など多くの商品に適用されています

さらに、このような生産者と消費者のつながりのない空虚な社会が、環境に良いわけがありません。人の産業と自然の関わりにより環境が形成されてきたわけで、生産者と消費者の相互の理解のもとで成り立ってきた環境があります。例えば、林業が山林を守るといわれるように、山を適切に管理することによって林業は土砂災害や獣害の防止に働いてきましたし、漁師が海を守るといわれるように、漁師は海の状況を毎日監視し、保護保全に関わってきました。一方で生産者と消費者のつながりが薄れると、生産やそのバックにある環境を考えない需要や行動が生じます。国産材の需要が減少したことで山が放置され、荒れ果てていますし、逆に過剰な需要によって海洋生物資源は底を尽きようとしています。このように、消費者は間接的に生産者やその背後にある環境とつながっているのです。

このような状況を打破するためには国民全員が当事者意識を持つ必要があると思います。何も全員が第一次産業従事者にならなくてはならないというわけではありません。当事者意識といっても様々な立場があります。一番わかりやすいのは先ほどから述べている消費者としての意識ではないでしょうか。人類皆消費者です。生産者も自分が採ったり作ったりするもの以外は買ってきています。サプライチェーンを辿れば、生産や流通に関わる様々な人を想像することができます。重要なのはこの「想像力」であると僕は思います。どこかの誰かと繋がっているというある種の連想ゲームによって、有機的な繋がりを生み出すことができます。それは生産地と消費地が遠い場合も同じです。実際、僕はカカオ豆からチョコレートを作る体験をしたときにこのアイデアに至りました。写真はその様子です。体験したのは日本のチョコレート工場で行われる工程ですが、プロセスを体験することによって、生産者まで思考が至りやすくなったのだと思います。

我々は毎日多くの食料を消費していますが、サプライチェーンを通じて自分と生産者が繋がっていることを意識すれば、感謝や敬意を示したり、残飯を減らしたり、環境に優しい商品を選択したりなど、できることが見つかるでしょう。先ほどのチョコレートの例では、フェアトレードマークのついた商品を選択するというのも立派な当事者としての行動です。現在ではフェアトレードだけでなく様々な認証のついた商品が販売されています。認証というのは「環境に優しい商品を買いたい」「労働者の人権を考えた商品を買いたい」という人のための重要な目印なのです。このように人や環境に配慮した商品を買うことを「エシカル消費」と呼びます。このような「価格以外の価値」を認識することはこれからの世の中に非常に重要だと思います。ただ、無理をする必要はありません。特に僕も含めて学生は、少し高いエシカル商品の購入は憚られる時もあるでしょう。お財布と相談した結果安い方を買ったというのは仕方ありません。認証を見てちゃんと考えて選んだのと、何も考えずに値段だけを見て安い方を選択したのでは、結果として同じであってもとても大きな差があると僕は思います。

また、消費者としてだけでなく、発信者としての役割を担うこともできると思います。このような意識の変革には何より仲間づくりが大切です。僕がこのように記事を書いているのも、その一つです。今はSNSを通じて同世代と簡単につながることができます。自分の考えを発信することによって仲間を増やし、今はか細い流れかもしれませんが、やがて社会のメインストリームになっていくことが望まれます。さらには、親や教師として次の世代に伝えていくこともできるでしょう。当事者意識を持つには将来のことを考えるのも有効な手段です。今は寿司屋で何十種類もの魚介類が食べられますが、30年後に数種類しかなければどうでしょう。将来もおいしい寿司を食べるために我々が消費者として、発信者としてできることがあるのであれば、やってみたいと思いませんか?

僕は今回お話ししたことについて、現在農学部のプログラムで酪農という一分野にスポットを当て、「100年後に酪農を残すにはどうすれば良いか」を考えています。そして世の中に発信をしていきたいと思います。当事者には他にもいろいろな立場があると思います。どのような立場があり、自分が社会の中でどのような役割を担っていけるか、ぜひ想像してみてください。


 

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