「黒人ハーフ」にとってのBlack Lives Matter 〜日本が無関係ではないのはなぜ?〜

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2020年5月25日、アメリカミネソタ州のミネアポリスで、偽札使用の容疑で拘束されたジョージ・フロイドさんが、白人警察官によって首を膝で9分間圧迫され殺害された。

この事件を発端として「Black Lives Matter」(ブラックライブズマター。以下BLMと略す)運動が広く展開している。この抗議運動はアメリカ国内にとどまらず、世界各地に広がり、日本でも6月14日に東京・渋谷で「ピースフル・マーチ(平和的行進)」が行われ3500人以上が参加した[1]

日本においてのBlack Lives Matter運動には複数の側面があるが、この問題について、日本ではまだ十分に議論が進んでおらず、「対岸の火事」(自分のグループには無関係で害がないこと)として紹介されることも少なくない。

ここでは、BLM運動が日本にとって決して無関係でない理由を、日本に暮らすアフリカやアフリカン・アメリカのルーツを持つミックスの若者たちの存在に注目し、実際にブラックルーツを持つミックスである筆者の意見を交え紹介していきたい。

 

○「黒人ハーフ」は陽気でスポーツが得意?

テニス選手の大阪なおみさんやNBAでプレーする八村塁さんなど、昨今のアフリカ系のルーツを持つミックスの活躍は読者の多くが知るところだろう。彼らの活躍は連日メディアでも注目され、多くの日本人が応援し祝福してきた。

このようにスポーツ選手の活躍が話題になると、必ずミックスの子供たちに起こる現象がある。男の子なら八村、女の子なら大阪なおみ、オリンピックブームの時はケンブリッジ飛鳥、その前はボビー・・・ブラックミックスの子供なら一度はこのようなあだ名を友達につけられたり、通りすがりに知らない人に呼ばれたことがあるのではないだろうか。

ミックスの活動が注目されることは歓迎すべきことであるが、同時に「黒人ハーフ」たちはスポーツ選手のように運動が得意で、芸人のように陽気である、というようなステレオタイプを押し付けられることに、私たちはうんざりさせられて来た。

このような無邪気なステレオタイプは、たびたびブラックルーツを持つミックスを一つのカテゴリーに入れ込み、身体能力が高く日本語を話せるけれど、普通の日本人とはどこか違う存在として、日本人コミュニティーから浮きあがらせてきた。
これは同時に、ある分野で活躍する時を除いて、ミックスを常に存在が無視される状況に押し込め、苦しめて来たともいえる。

 

○ナチュラルな疎外

ナイジェリアと日本のミックスであるオコエ瑠偉選手は、6月15日に自身のツイッターに自身が黒人であるが故に直面した事例についての投稿をした。

その中に、幼稚園生の時に、「肌色」のクレヨンで親の似顔絵を描くことができず辛い思いをしたというエピソードが登場する。これもアフリカ系ルーツを持つミックスの子供たちにとっては非常によくあることだ。

筆者自身も小学生の頃、自分の似顔絵を描く授業で同じ状況になったことがあり、結局周りの友達と同じ「肌色」を使って描いたが、これは誰だろう、とモヤモヤしたのを覚えている。

肌が黒いことで感じる疎外感は、その他にも日常にありふれている。例えば「美白」の問題だ。それぞれの美しさを追求し、なりたい自分になるために好きな化粧品を買うこと自体にはポジティブな意味があるだろう。

しかし、ブラックハーフの私からすると、日本での普段の生活で見かける雑誌の記事や広告、ドラッグストアにある化粧品の宣伝文句は白さ=美しさというイメージを伝えるものが大多数であるし、肌を白く見せる製品の広告に「最高の美しさへ」といったようなキャッチコピーがついているのを見ると、自分が絶対になれない種類の美しさの基準にとり囲まれているようで切なくなってしまう。

また、例えばメディアでの「ハーフ」という言葉の使われ方を思い浮かべてみて欲しい。

「ハーフ顔メイク」「ハーフタレント」などの言葉も挙げられる。この言葉で示されるのはほとんどの場合白人系のミックス、その中でも一部の容姿の特徴を備えた人々のことだ。

アフリカ系ルーツ(また韓国、中国などのアジア系のルーツ)を持つ人たちはごくごく自然に除外されており、ブラックルーツの美しさが日本社会の美の基準から外されていること、また私たちの美点を受け入れる土壌がないことを示しているように思えてならない。

気づかれることは少ないが、ブラックルーツを持つミックスたちは実はこうした疎外感に絶えずさらされ続けている。このような環境で思春期を過ごす中で、アフリカ系のルーツを誇りに思ったり、自分の肌の色を美しいと感じるようになったりするために必要な努力は並大抵のものではない。

 

○「頑張れ」はポジティブ?

またこのような若者達は、前述したような「ナチュラルな疎外」にとどまらず、一見ポジティブに見える差別にも抑圧されて来た。

黒人だからスポーツが得意、黒人だから陽気で話が面白い、黒人だからリズム感がある・・・などなどブラックルーツを持つミックスが何か秀でた活躍をしたときにこのような評価を下されることがしばしばある。日本社会に(日本人であるにも関わらず)日本人として認められるために「黒人だから」「黒人なのに」をアドバンテージに変えて、ステレオタイプを内面化することを求められるのだ。

この問題はしばしばメディアで表出する。マイノリティ集団の中で成功し、マジョリティ集団に認められた者をその集団の代表とし、頑張って前を向けば差別を克服できるというメッセージを積極的に発信する現象などが代表的だ。

頑張れば差別を克服できる、頑張れば日本人として認められる、というメッセージは一見ポジティブに見えるが、根本的に間違っていると筆者は主張したい。

前述したオコエ瑠偉選手のSNSへの投稿は多くの反響を呼んだ。彼の投稿のコメント欄に寄せられた声を見てみると、多くが「差別に負けずに頑張れ」というようなものであった。しかし本当に頑張るべきは、オコエ瑠偉選手なのであろうか。

このような一見ポジティブに捉えられる、頑張れ、という意見は非常に無責任であると筆者は考える。努力しなければいけないのはオコエ瑠偉選手ではなく、彼が、そしてブラックルーツを持つミックスの子供たちが苦しむ環境を見過ごして来た人たちなのではないだろうか。

 

○ブラックルーツを持つミックスにとってのBlack Lives Matter

ここまで筆者の意見を交えつつ日本での黒人の扱いについて見て来た。

BLM運動が盛り上がりを見せた際に何人ものミックスの若者たちが声を上げたが、同じブラックルーツを持つミックスの中でも意見は様々だ。黒人差別を自分に関わることと捉えて積極的に声を上げる若者がいた一方、BLM運動に対して全く無関心であったり、むしろ否定的な見方をする人も多くいたように思う。

筆者としては、後者のようなリアクションをとったミックスの若者達を責めることはできないし、むしろ共感できる部分もあると感じる。この背景には日本で受けるマイクロアグレッション(異なる人種、文化の相手に対して無自覚に発せられる侮辱的な発言)があまりに日常的なため、わざわざ声をあげる必要性を感じていなかったり、何度も見えない差別を受けているうちに、その差別を当然のものとして無意識に内面化している部分が多いこともあると推察する。そしてBLM運動の問題は自分のアイデンティティの問題に近すぎるために、声を上げたり向き合ったりするのは容易ではない。

その上で、日本社会にはまだまだブラックルーツを持つミックスが生きにくい現状が存在するのは事実だ。そして筆者は断言するが、日本に黒人差別は「ある」。

 

○これから

現在、多くの日本人がSNSを通してBLM運動について投稿をし、支持を表明している。また冒頭で述べたように、渋谷で起こったマーチには3500人もの人が参加した。

しかし、それでもまだ十分とは言えない。本記事ではブラックルーツを持つミックスについて紹介したが、在日朝鮮人・韓国人と呼ばれる人々、セクシャルマイノリティーなど、差別に苦しむ人達は本当に沢山存在している。

これを機に一人一人が日本にある差別に意識的になることができれば、現状は変わっていくだろう。日本が多様性を受け入れるような広く深い社会になるために、私たちは今行動し始めるべきだ。 

[1] 参照:https://i-d.vice.com/jp/article/4ayxep/black-lives-matter-tokyo-march


 

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