読者の皆様は、「年を取る」と「年を重ねる」という二つの言葉を見たとき、何を思いますか。
なんのこっちゃ、と首を傾げる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、この二つの言葉は、地元の小さな百貨店で接客のアルバイトをするうちに、私の中では全然違う生き方を表すようになった言葉なのです。
お客様のなかには、お品物をお渡しするときに目を合わせて「お世話さま」と微笑んでくださる方や、お弁当を選びながら「ここのは本当に旨いね。」と一声掛けてくださる方がいらっしゃいます。一方で、電話をしながら指差しと首の動きだけでご注文・お会計を済まされる方や、「おたくはまだ安売りしないの?」と平気でお尋ねになる方も稀にいらっしゃいます。

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お客様はもはや神様ではありませんし、店員も人間ですから、丁寧に接していただいたときには嬉しく感じ、また雑に扱われたときには少しイラッとしたり悲しくなったりします。
そして、自分の気分が一通り落ち着いたとき、「あんなふうに丁寧に年を重ねて、素敵な大人になりたいな」とか、「ただ徒らに年を取ると、ああなってしまうのかもしれないな」とかいうことを、ふと思うのです。
ここまでで、「年を取る」と「年を重ねる」との違いは、なんとなくお分かりいただけたのではないかな、と思います。では、”素敵な大人” 、つまり丁寧に年を重ねてきた人と、そうでないように見える人との境目は、何なのでしょうか。
気持ちの余裕?ふむ、一理どころか三理くらいはありそうですね。私自身、うっかり授業や練習に遅れそうになった朝には、乗換駅のエスカレーターでうまいこと合流しようとして、ピリピリしながら早歩きすることがあります。言行不一致はなはだしい、とちょっぴり反省することもありますが、そんなふうに思えるのは決まってリラックスしているときのことです。
時間に余裕のあること、そこから生まれた気持ちの余裕のおかげで、自分以外の人・事にも気を配れるようになるのかもしれません。
思いやり?きっとそれもその通りでしょう。余裕、というと、気持ちや時間のほかにお金も思い起こされますが、急いでいても、特別裕福でなくても、周りの人に感謝や敬意をもって接することのできる人は、たくさんいます。あるいは、(本人にとっては当然の)マナーとして、配慮ある振る舞いのできる人も。同じ「お会計終わったら急いで行かなきゃ、遅れちゃう!」だとしても、何も言わずに即ダッシュと、受け取り際に「どうも!」と会釈してから向かうのとでは、印象がかなり違ってくるはずです。
気持ちの余裕、感謝、配慮、どれをとっても、そこに共通するのは「自分自身のことでいっぱいになるのではなく、相手や周りの人のことにも思い至れる」という点だと私は思います。そして、日頃そうした態度をどれだけ実践してきたか、その積み重ねがその人の言動のスタンダードになり、「丁寧年を重ねてきた」とか「徒らに年を取ってきた」とかいう感じられ方につながるのです。

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さて、なんだか道徳の教科書みたいな、大上段の ”ありがたいおはなし” になってしまいました。でも、これらは確かに、筆者個人にとって、とても大事なことなのです。
もちろん、私自身だってボケーっと(無駄な?)時間を過ごすことも、イライラしたりして周りの人に迷惑をかけてしまうこともたくさんあります。今のところは「年を重ねている」なんてとても言えたものではないですが、まだ、たかだか20歳、これから如何様にもなるわけなので、小さなことから少しずつ実践していくつもりです。
末筆ながら、ここまでお付き合いいただいた方々、誠にありがとうございました。皆様におかれましても、周囲の方々を大切に、幸せな毎日を過ごされますよう、心よりお祈りいたします。