追い求めること

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皆さんは何かを「追い求めて」いますか。

夢、理想、知識や情動。なんでもいいです。胸を張って「追い求めている」といえるものがあるでしょうか。

「追い求めているもの」がなんであれ、一貫して何かを追求し続けるのはとても大変なことだと思います。それなりに覚悟や根性も必要になってくるでしょう。

 

普段、しがない物書きをしている私も、自分が小説を書くルーツとして、一つのベースの「追求するもの」があります。小説を書き始めるきっかけになった静かな情動、「世界のうつくしさ」に対する探究。

といっても最初はそれほど深く考えてはいませんでした。ただ過ごす日常の一コマにふとよぎるもの。例えば満開の桃の花だとか、ぼとりと潔く落ちた椿が大地を彩る春の末だとか、雨が降ったあとの太陽に照らされた水滴だとか。あるいは秋の深まるころの葉の化粧や、珍しく降り積もった六花の山。そういった自然のうつくしさはもちろんのこと、人間関係における好意的な感情の色あざやかさ、硝子や宝石のもつ無機質で冷たいうつくしさ。そういった、ごくごくありふれた物事に対し、きれいだと思っていたにすぎません。

私にとってはとてもきれいなものだったけれども、その「うつくしさ」はあくまで主観的な価値観でしかない、というのを私は後から知りました。友人に自分がきれいだと思った光景を話しても首を傾げられたことがきっかけでしたが、その時私は自身の抱く価値観像が、がらりと音を立てて崩れたことに気づきました。

そうか、私の価値観はあくまで私の抱く価値観であって、誰にも「適用」されるものではないんだと、その時思いました。以来、価値観を自問自答しながらも、私の思う「うつくしい」ということを追求しながら、細々と文章を書いているのです。

 随分長々とした物言いになってしまいましたが、かれこれ十年の月日を経てなお、自分の抱く理想像のようなものにはなりませんでした。うつくしいとは、なんだ。時に砂上の蜃気楼を見ている気持ちになりながらも、様々なシチュエーション、キャラクターを通して自らの「追い求めるもの」を投影しつづけています。

追い求めるという行為そのものが莫大なエネルギーを使い、苦悩と苦労にまみれていると思います。ですが、私はあえて「追求し続けてほしい」と言いたいのです。

結局わたしの思い描く「追求し続けたものの答え」はまだまだ見つかりませんが、私の書いた文章を見て感動してくれたり、共感してくれる人が一定数いるのです。

これほどまでに多種多様な人間がいる以上、右にならえな統一された考えかた、ものの見方は存在しないでしょう。それでも「追求し続けたこと」によって私が他者に影響を与えられたのは一つの事実です。「追求すること」は、大きなエネルギーになるのです。

現代社会において、物事を「うまく」処理することばかりに気を取られて、一つの物事を深く考えることが、薄れてきている気がします。でも、それは本当によいことなのでしょうか。

私はあえて皆さんに、何か一つでも「追い求め続けられること」を見つけてほしい、と思います。

 簡単なことではないと思いますが、その先にはきっと、自分の確固たる軸ができると思うのです。


 

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カキが美味しい広島県出身のしがない物書きが趣味の薬学部生。