たしかにあゆむ

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cli-fi(クライ・ファイ)という文芸ジャンルをご存知ですか。

いわゆるSFのsci-fi(サイ・ファイ)と同じようにできている言葉で、sci-fiが science fiction ならこちらは climate fiction。最近話題の気候変動を扱った小説・映画などなどのことを、こんなふうに呼ぶのだそうです。

 

多くのSF作品がそうであるように、cli-fi作品にはほとんどいつも危機的な状況が登場します。たとえばディストピア的な、もう人間が住めなくなった世界や、まさに壊れていく世界など。

別に目新しいトピックというわけではありません。神話にも、その類の話はときどき登場しているほど。雷が落ちたり、大洪水になったり。「こんなふうになってしまいました、あなたのせいですよ」というメッセージが聞こえてきそう。もっとも、度重なる環境破壊によって異常気象が……などと言われているわけではなく、漠然と、人間たちの自分勝手な行いに神さまが怒って……という展開になっています。

 

神話の時代はともかく、cli-fiは21世紀に入って一躍人気トピックのひとつに。気候変動が問題になり始めたころ、科学的な事実をもとに気候変動の危機を報じても、それだけでは対策がまったくと言ってよいほど進まなかったのだそう。そこでなんとか社会にも動いてもらおうと、芸術にも呼びかけの要請があって、cli-fiが広がっていったのだといいます。最近のドラマやアニメも、社会問題を扱うことが増えてきましたよね。

でもそうして書かれたのが、壊れた、暗い世界の話ばかりだなんて、少し悲しくなりませんか。まるで、褒められるより叱られないときちんとできない、そんな子どものようで。

 

でも芸術を頼るという選択肢に目を向けてもらえたのは、嬉しいことだなと思います。理詰めで話をされたところで、明日や明後日や1年後のことなんて想像もつかないし、さらには思いを馳せる余裕もない、そんな人もいます。芸術なら、少しは取っつきやすいはず。

もっと希望のある話題を語りながらよい方向に向かっていけるのなら、もっと素敵だなと思います。守りたいもの、出会いたいもの、自分がいられたらいいなと思う場所に思いを巡らせながら。何かを排除するよりも、どうしたら一緒にやっていけるのかを考えながら。

 

気候が変わっていってしまうのは、放っておけばきっととても速いものです。いま私の周りに流れる、湿気を含んだ熱く重い空気だって、数年前はこんなことはなかったのに、と思ってしまうほど。それに対して、私たちが何か取り組みを始めたところで、そんなにすぐに変化が見られるわけではないと思います。でもだからこそ、少しでも多くの人が少しでも早く、そして途中で諦めずに、取り組んでいけたらよいのかな。

 

ジョン・F・ケネディが大統領に就任するとき、演説でこんなことを言ったそうです。私たちにはAdministration(政権)などないけれど、この地道に気長にやっていこうという姿勢、個人的には大賛成です。

All this will not be finished in the first one hundred days. Nor will it be finished in the first one thousand days, nor in the life of this Administration, nor even perhaps in our lifetime on this planet. But let us begin.

100日では終えられないだろう。1000日でも足りないだろうし、政権の続くあいだには終えられないかもしれず、この星で過ごす人生は短すぎるかもしれない。それでも、はじめようではないか。

 

何年も、何世代もあとまで、心を癒やす自然が私たちの周りにありますように。




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