昨年の秋、私は体調を崩した。
きっかけは今もはっきりとは分からないし、もはや無理矢理こじつける理由もないと思っている。
ただ記憶にあるのは、辛かった日々のことだ。
お味噌汁と、煮魚と、小盛りのご飯。身体が弱っていても食べられそうなメニューに思えるが、それを食べてもやってくる、食後の吐き気。いつも1時間ほど続いた。
大学帰り、家までの道を歩いている途中に身体が鉛のように重くなり、一歩、一歩と足を出すのが精一杯になった。
突然呼吸が浅くなる感覚がして、命に関わることはないと感じつつも、苦しいながら何とか深呼吸をしようとしていた。
全身をピリピリと冷たい水が走るような感覚があり、とても気持ち悪かった。
そして、突如大きな不安感に押し潰されそうになり、机に突っ伏した。
私は母親に相談し、まずは症状に合った病院を受診し、いくつかの検査を行った。
結果は全て異常なし。
でも、苦しさは続く。
とある夜明け、またいつものように息が苦しい感覚がして目覚め、泣いた。
早く地元に帰りたい。家族に会いたい。側にいてくれる誰かを、当時の私は心から求めていた。
その後、何とか帰省した私は、卒業後の春休みのおよそ2ヶ月間を、実家でゆっくりと過ごした。それまで感じていた辛い症状はまだあったものの、家に帰ってきた、という安心感からか、徐々にそれらは和らいでいった。
しかし、4月1日。入社日。
私は朝の満員電車で人に押し潰されながら、揺られていた。その頃から心も揺らいでいた。「無理だ」、「助けて」。そう既に私の心身は伝えていた。
実家で静養していたそれまでとは打って変わって、大人数の中、朝から夕方の定時まで研修を受ける日々。
私には元々、過敏性腸症候群という症状があり、中学生の頃から毎日薬を服用して、お腹の調子を可能な限りコントロールしていた。
しかし、大人数でワイワイ話すことが好きな人達(皆とても良い人ではあったのだけれど……)に囲まれて過ごすという、大きな環境の変化から来るストレスによってだろうが、その症状は悪化した。薬の量も増えた。
ついでに、入社前には和らぎつつあった症状たちも、また顔を見せ始めた。腹痛に対する不安と食欲低下から、おにぎり一個ほどしか食べていないのに、昼食後には時々、例の吐き気がやってきた。身体もピリピリすることがあった。そして常に、疲れていた。
早々に「辞めたい」と相談した私を心配して、母は上京してきてくれた。実家と東京を何週間かごとに往復してくれ、上京中はご飯や洗濯などの家事をしてくれた。愚痴も沢山聞いてくれた。
ところが徐々に、身体だけでなく、心の悲鳴が強くなってきた。というか、それは悲鳴なのだけれど、声を発しなくなってきた。まるで、そのエネルギーすらも無くなりかけていることを示すように。
休日も、あんなに好きだった読書さえする気が起きなくなった。音楽も聴けなくなった。母とは愚痴よりも楽しい話がしたいのに、そもそも何を話す気力も無くなった。私はただ、ぼーっとベッドに座っていた。
ある日、母は言った。「辛い時は休んでいいんだよ」。
私は思った。「毎日辛いんだから、それじゃ毎日休むことになっちゃうよ」、と。
こんな生活を続けていく気はもはや、さらさら無かった。会社も仕事も、様々な理由からそこで今後もやっていきたいとは到底思えず、未来が見えなかった。全然。
生理痛が辛いのを我慢して出社した翌日、私は初めて会社を休んだ。
なんだか、糸が切れた。もういいや、と思った。いや、そう思えた。
その後すぐ、母と共に心療内科を受診し、適応障害の診断書を書いてもらった。不安を和らげる薬なども処方してもらった。
以前から課長には相談していたが、診断書を持って、改めて課長らと話して、私は結果的に3ヶ月間休職した。そうさせてもらえた環境には今もとても感謝している。
その間、少しずつ、私は回復していった。はじめの1ヶ月は、ほとんど寝ていた。だけど月日が経過するうちに、念願の読書が少しずつできるようになり、テレビも見られるようになった。母とも楽しい話を何度もした。
もちろん、突然涙が溢れてきたりと、辛い時もたくさんあった。しかし、私はその頃から変わりつつあった。
以前ほど涙を隠さないようになったのだ。
そしていっぱい泣いた後は、何が辛く感じたのかを紙に書いて、母に伝えた。
結果的に、私は今、新卒で入った会社を退職し、次に学んでみたいことへ進む前の、名前の付かない日々を過ごしている。
今も心療内科には通い、服薬も続けているが、このままいけば薬の量は徐々に減らしていけそうだ。
そして、昨年の秋頃や、働いていた頃とは比べものにならないほど、今の私は心身共に回復してきている。それが実感できる。
友達と電話で時間を忘れるほどに楽しく話せる。好きだった音楽の、まだ聴いたことのない曲の森を探索できる。そして、大好きな読書に没頭できる。
多くの人にとっては些細なことかもしれないけれど、今の私にとっては、どれもがとてもとても、嬉しくて幸せなことでしかないのだ。
冒頭から辛いことばかり書き連ねてしまったけれど、私はこの体験を通じて、
「生きているんじゃない。生かされているんだ」ということを学んだ。
空港で倒れそうになった時、勇気を振り絞って助けを求めると即座に応じてくれた見知らぬ女性。
「腹痛が起きても良いんですよ」とそれまでの自分の価値観を揺さぶってくれた、とある医師。(痛いのは嫌だけど!)
そして何より、支えてくれた家族。特に、母。今も支えてもらっているけれど、ありがとうの気持ちでいっぱいだ。
あと、不思議なことに、私はこのように体調を崩すという体験をしてから、友達に対して、自分の身体や心の不調を以前よりも正直に話せるようになった。
今までも隠すつもりでいた訳ではなかったけれど、よく考えると、過敏性腸症候群のことも、ちゃんと話したことはなかった。
だけど、体調を崩したことを何人かの友達に話した時には、それまでのお腹の症状のことも自然に話すことができた。
私は、この苦しい体験を通じて、多くの人たちに支えられ、温かい言葉をかけてもらった。それが、私の心の何かを、少しだけ変えたのかもしれない。
最後に、本が少しずつ読めるようになってきた時、何度も私の心の支えになってくれた本を2冊紹介して、この投稿を終わろうと思う。
1冊目は、星野概念さんによる、『ないようである、かもしれない 発酵ラブな精神科医の妄言』(ミシマ社)。
もう1冊は、道草晴子さんによる、『完本 みちくさ日記』(リイド社)。
これからも、何度も読み返すだろう。
ご興味持たれた方は、ぜひご自身でその文章を、世界を、味わってみてください。
長くなりました、お読みいただいた方、ありがとうございました。