AI時代に外国語を学ぶ意義とは

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現在、知らない言語で書かれている文章も、翻訳ソフトなどを使えば大まかな意味は掴むことができます。このまま言語の自動翻訳技術が進歩していくと、言語の壁を感じることなく、世界中の誰とでもコミュニケーションをとることができる時代がやって来るのもそう遠くはないかもしれません。

 

そこで、私は次のような疑問を持ちました。

 

それは、「もし自分の話す言語が、相手の言語に自動で変換される時代が来たとすれば、その時には外国語を学ぶ意義は失われてしまうのか?」というものでした。

 

確かに、外国語の習得には時間も努力も、さらには教材代などのお金もかかります。自動翻訳技術の台頭により、それら無しで言語の壁を越えられるようになるのは、コミュニケーションを世界中の人と図ろうとする上での大きなメリットになるでしょう。

 

しかし、もしも自動で言語が翻訳(通訳)される時代になったとしても、私は外国語を学ぶ意義は変わらずあり続けるだろうと感じています。

なぜそう思うのかを、3点に分けてお話していきたいと思います。

 

 

  自分の思考の客観的な理解に繋がる

1つ目に、外国語の学びは、自分の思考スタイルを改めて客観的に認知するための貴重な機会を与えてくれると考えるからです。

日常的に母語や自文化の価値観に接して生きていると、それが気づかぬうちに自分にとっての「当たり前」となってしまうことがあります。

例えば、英語を例にとってみましょう。私は、日本語から英語に翻訳する時、よく和英辞典を使っていました。しかし、いくら日本語で表現したいことを辞典で探しても、ぴったりな表現が見つからないことが度々ありました。

なぜ見つからないのかと疑問に思っていましたが、ある時、「日本語をベースにした考え方のままでは、英語にぴたりと当てはまる表現が見つからないのは自然なことだ」と気が付きました。

なぜなら、言語には各々異なった考え方、発想の仕方のベースがあるからです。

このような気づきから、私は自分がいかに日本語的な発想を用いて普段から思考しているかを改めて認知しました。外国語を学ばなければ、きっと日本語が私のベースであり続け、その他にも考え方のベースがたくさん存在することに気が付けなかったと思うのです。

 

 

  言語からその国の人の価値観を感じられる

2つ目に、言語の特徴からその言語話者、あるいはその話者が多くいる国の文化などを感じられると思うからです。

例えば、英語の主な語順である主語の次には動詞が来るということから、何をするのか(したのか)、つまり「結論となる部分を最初に言い切る」という特徴が見えてきます。

そこから、曖昧な表現ではぐらかすよりも、自分の意見を明確に表現するコミュニケーションスタイルの方が英語話者の多くいる国では好まれるのかもしれない、と推測することができます。

反対に日本語には、オブラートに包んで自分の意見を周りの人に伝えたり、物事を表現したりするための言葉が多くあるように感じられます。

そしてそのことから、自分と共にいる人たちの集団の和を乱さないこと、円滑に物事を進めることを重んじる日本人の伝統的な気質が読み取れるのではないでしょうか。

言語が国や人々の歴史と共に発展してきたことを鑑みると、言語がその国の文化や価値観を推測する手助けになるというのも不思議ではないように思います。

 

 

③  母語の魅力に気が付ける

最後に、外国語を学ぶことで母語の魅力を見出せるようになるという点についてお話したいと思います。

母語は、外国語を学ぶ前の私にとっては「あって当たり前のもの」でした。ですから改めて母語のこんなところが良いな、などと考えることも滅多になかったように思います。

しかし、外国語を学びだしてからは、母語の他にもう一つ別の言語が加わり、言語同士の比較ができるようになりました。そのため、私の母語である日本語がいかに難解な文法を持ち、しかし同時に美しい言葉であるかということに気が付くことができたのです。

これは、外国語を学ぶ過程で、一度母語の枠から外れてみて、客観視できたからこその発見だったと感じます。

 

ここまで、なぜ外国語学習は今後もなお価値あるものであり続けるのかに関して、私の考える理由をお話してきました。外国語の学びが好きな一人としてのこの投稿で、微力ながら、もしみなさんの外国語学習をより楽しくすることができるとすれば、とても嬉しいです。お読みいただきありがとうございました!

 

 


 

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