皆さんはクリスマスが好きですか?
私はクリスマスが大好きです。街がキラキラして、ハッピーな雰囲気に包まれるからです。
クリスマスソングを口ずさむ人々。
イルミネーションで彩られた街並み。
大切な人と過ごす人々の幸せそうな顔。
プレゼントをもらった子供のとびっきりの笑顔。
こんなにステキな時間がずっと続けばいいのに、なんて思うこともあります(笑)
そんなクリスマス大好き人間の私が、最も印象に残っているクリスマスについてお話ししたいと思います。
2012年のことです。
地方出身の私は、冬休みを使って東京に遊びに来ていました。
せっかくなので東京のすごいイルミネーションを見てみたい!と思い、家族と一緒に街に繰り出しました。
さすがは東京のイルミネーション!
規模もデザインも人混みも、何もかもが想像以上だったことを記憶しています。
今までに見たことのないくらいキラキラしていて、ウキウキと心踊らせた人々であふれていました。
しかし、私はその光景を見て何やら違和感を持ちました。
いつもなら飛び跳ねて喜ぶところですが、何かが引っかかる。きらびやかで幸せな雰囲気に馴染めず、ひとり取り残されたような感覚でした。
そのような感覚になったのはなぜか。
それは、東日本大震災から1年も経っていないのに、皆がそのことを忘れてしまっているように、私の目に映ったからです。
その当時、震災発生直後に比べれば減ったものの、ニュース番組では原発のことや節電のこと、被災地での生活のことがよく報道されていました。
そして何より大切な人やものを失った傷の癒えない人々の、悲痛な表情が印象に残っていました。
今も日常生活を取り戻せていない人がたくさんいる。
電気だって足りてなくて、テレビでは連日節電が呼びかけられている。
なのにそのようなことを感じさせないくらい街はイルミネーションでキラキラしている。
一緒にクリスマスを過ごすはずだった大切な人を失った人たちがたくさんいるはずだ。
だけど私は、今年もいつも通り家族とイルミネーションを見て楽しんでいる。
私だけこんなことをしていていいのだろうか。
この気持ちはしばらく私の中でもやもやしたまま残り続けていました。
あれから約7年が経った今。
私の考え方にも少し変化がありました。
それは、逆境の時こそ光が必要だということです。
辛い境遇の人を置き去りにして自分たちだけ楽しむ、ということではありません。
自分の立場からできることを精一杯やるということです。
例えば、友達が悲しんでいる時、相手の気持ちに寄り添って一緒に悲しむことは大切です。
しかしずっとそうしていることは、その友達のためになりません。
冗談を言って笑わせたり、励ましたり、時には厳しい言葉をかけたりすることも必要です。
結局、自分がその人の代わりになることもできないし、いくら共感しても、その人自身にしか本当の辛さは分からないのですから。
相手を思うが故の行為なので、突き放したり見捨てることとは違います。
節電だからといって日本中が真っ暗になればいいわけではありません。
イルミネーションで元気をもらった人たちが、復興に向けてまた頑張ろうと思う一歩になるのも良いし、一緒に頑張ろうというメッセージをのせて、心を明るく照らす、そんなイルミネーションの形もあるのだと、今では思うことができます。
それが自分の立場からできることを精一杯やるということなんだと思います。
私はクリスマスが大好きです。それは街がキラキラと輝くから、と冒頭で言いました。
そのキラキラは、もちろんクリスマスツリーなどの装飾やイルミネーションで彩られるからなのですが、そういう物理的なことだけではないはずです。
私、人々が大切な人を思いやり、幸せな時間を過ごし、街に優しさがあふれるからではないかと思います。
その思いやりや優しさを、自分のすぐそばにいる人だけでなく、その周りにいる人、さらにその周りの人たち、、、というように輪を広げていけば、街はさらにキラキラしてくるでしょう。
大切な人にはもちろんのこと、少し外にも目を向けてみて、日頃の感謝を伝えたり、世界の他の地域の人たちに思いをはせてみたり、優しさをおすそ分けするクリスマスにしてみませんか?
2代目VoYJ編集部長。大学では文学・美術・音楽などを学んでいる。推しは鮭の絵。趣味は美術館巡りとお散歩。