舞台『坂道ー長崎、79年目の夏』を語る会【前編】

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劇中歌としてVoYJ4周年記念ソング『』も登場した舞台『坂道ー長崎、79年目の夏』。

スタッフとして参加していたVoYJ事務局メンバーで感想を語り合いました!今回はその前編をお届けします。

初演後のUNiTeメンバー。

舞台について

長崎の被爆者の証言を集めたドキュメンタリー映画の主題歌、『坂道』(歌:海宝直人)を原作とした物語です。物語の要所に、計4篇の原爆詩の朗読が織り込まれました(うち2篇は『第二楽章 長崎から』(朗読:吉永小百合、音楽:大島ミチル)より)。

多様な出演者・スタッフが多様な観客のために、多様な経験・関係性を描く舞台として、日本語字幕・手話通訳・音声ガイド・さまざまなニーズに応じた席や設備の提供のほか、激しい照明転換を控えたリラックス公演回が設けられました。

詳細は公式サイトをご覧ください。

 

舞台のあらすじ

長崎、80年前、夏。住む町が長崎くんちの当番町になり、練習に励むものの上手くいかなかった「私」(タケト)に優しく声をかけてくれたのが「彼」(ハヤト)だった。次の春、入学した学校で再び彼と出会い、戦争への疑問、夢、訓練や労働に励む日々を共有し、他の人とは築けない関係を築いていく。「彼」が教えてくれた坂道を二人で上り、戯れた日々はかけがえのないものだった。しかし、「私」の父は戦争からいまだ帰らず、「彼」の兄は戦死したという現実からは逃れることができず、長崎にも戦火は刻々と忍び寄る。

8月9日。防空壕を掘るうちに足に怪我を負った「私」は「彼」に手当てされ、防空壕の中にいた。空に何かが光り、辺りには怪我を負い水を求める人が押し寄せた。困っている人を放っておけない「彼」は怪我を負った「私」を置いて去り、二度と帰ることはなかった。「私」の母は家で、妹は「私」の腕の中で亡くなり、「彼」が支えたいと強く願っていた母も「彼」の行方を知らなかった。間も無く終戦を迎え、荒んだ街で襲われそうになった「私」を助けたのは、かつては出島を中心に共に文化を築き、やがては街を焼く敵となった異人であるアメリカ兵であった。

ある日、「私」の父が帰ってきた。「彼」がよく当たるという勘で予言した通りのことだった。「私」は父に、「彼」の夢であった医者になりたいと告げた。

「私」は医者になり、79年後も生きている。79年後も「彼」のことを、「彼」と上った坂道を、その坂道で「彼」を好きであったことを、そして二人を引き裂いた戦争を、忘れることはなかった。

 

感想

あいか
「私」(タケト)役がダブルキャストでしたね。私は永嶋柊吾さんのほうの回を見たのですが、高校生にしか見えなくてびっくりした。実年齢は30代と聞きました。

佐々
そうだね。「彼」(ハヤト)の役の中野太一さんの方が実は年下。

なお
舞台が始まる前に裏で喋っていた時は鍛えている年上の人だったのに、舞台に立ったらひょろっとした15歳に見えてびっくり。

佐々
舞台上では小さく、そして幼く見えたよね?

はる
うん、本当に若かった。

さとこ
私は初日に百名ヒロキさんの回を見ました!醸し出す雰囲気がすごくみずみずしい感じで。劇中で中野さんと一緒に歌を歌うところも、透明感あふれるハーモニーが素敵だった。

なお
初めて小さい劇場で見たので、こんなに近くで役者さんが見えるんだ!と思った。

はる
舞台裏にも入れてもらったんだけど、キャストのみなさん仲良かったね。

佐々
結束感があったね。立ち稽古が始まった初日に稽古場の様子を見させていただいたんだけど、その時点でお互いに打ち解けている雰囲気があったよ。みなさんリラックスされていて、仲が良さそうだった!

 

印象に残ったシーン

佐々
印象に残ったシーンは何個もあるね。

なお
もう見返せないのがすごく残念。

さとこ
ぜひ再演してほしい!

佐々
BGMのピアノとチェロの生演奏もすごく綺麗だった!サウンドトラックも欲しかった。再現できないものだから…….。

さとこ
限られた数曲をもとにしながら、ピアノとチェロだけで、アップテンポ系だったりアコースティック風だったり何通りものアレンジで、まったく印象の違う場面を支えていたのが素晴らしかったね。
チェロの方は、なんとまだ高校生とのこと!今後も演奏をぜひ聞きたいなと思いました。
あと、長崎くんちも、本物を見たことはないけれどものすごい迫力で。踊りを練習する場面の龍と、本番用の龍で違うものが使われていたのも、細かいところまでリアルだなと。

長崎くんちのシーンで使用された「本番用の龍」

はる
明るいテンポで『坂道』が流れるシーンが一番印象に残っているかもしれない。最後の『坂道』も印象的だった。

さとこ
スキップするようなリズムと、実際に坂に飛び上がったりそこから駆け下りたりする動きがよく合っていて、微笑ましい気持ちになりました。

なお
明るいテンポで『坂道』が流れるシーンは、他のシーンから浮くくらいに明るかったけれど、原爆が落ちる前には明るい日常があったことが伝わってきて好きでした。

はる
原爆の悲惨さは学ぶ機会があるけれど、舞台だからこそ今回感じられたのは、原爆が落ちる前には普通の生活があったということかもしれない。

佐々
なんでもない夏の日、青春は、現代を生きる私たちでも共感できる。でもその直後に、想像を絶するような悲惨な風景が広がることがコントラストとして印象的だった。
1つの白い坂道だけというシンプルなセットだったけど、川に見立てられたり、防空壕になったり、場面場面でうまく使い分けられていた。坂道が楽しい思い出の場所であるとともに、原爆投下後は負傷した方が這う場所になっていて、数日前までは楽しかったはずの場所が一瞬で変わってしまうというのは残酷だし、悲惨だし……。

実際の白い坂道のセット。

さとこ
原爆投下後のシーンで言うと、被爆して苦しんでいる大勢の人々の様子を細かく演じ分けて、数人だけでたくさんの人がその場にいるように見せていたアンサンブルのみなさん、すごい表現力だったね。

 

被爆者の詩について

はる
原爆の悲惨さを伝える被爆者の詩が読み上げられるシーンからは、そこに暮らしていた人たちの辛さが伝わってきてショッキングだった。
でも、『坂道』の舞台を思い出した時に、一番印象に残るのはショッキングなイメージではなく、そこを生きていた二人とか、全体のストーリーとかが思い出されて、残酷さだけじゃないことが舞台の素敵さだと思った。

佐々
​​出てきた詩のなかに「もうじきぼくは もうぼくでなくなるよ」1) という言葉があって、自分の身体が変わり果てていく恐怖、誰にも助けを求められない孤独な状況、親しい人が目の前で倒れていって精神的にも耐え難いほどの苦しみなどが、その一文に表れているような気がした。今回の舞台では詩の朗読が歌と合わせて不可欠な要素だったと思うけど、ストーリーの中にとても自然に統合されていたと思う。

さとこ
そのシーン、「彼」(ハヤト)と「彼」の母が同時に舞台上にいながらも、坂道の上と下ですれ違って会えないのがとても切なくて。

はる
最初も詩から始まっていたね。
舞台を見た翌日、車の中から偶然入道雲を見たときに、詩の中の「あの雲消して」2) という言葉を思い出した。当時も入道雲を見てきのこ雲を思い出す人がいたんじゃないかな。

佐々
詩の朗読の吉永小百合さんの声、すごかったよね。柔らかさと芯があって、パワーがある感じ。

はる
被爆当時5歳だったという本田保さんの詩3) で、爆風に吹き飛ばされた衝撃で怪我をした脚が、長時間の手術を経て徐々に快復していった描写の後に、​​「みんなのおかげで元気になってよかったと思います」というところがあって、そんなふうに明るく語れてしまうのかと思った。日常の中に悲惨さがあったということなのかな。

 

劇中歌について

さとこ
最後に『坂道』を歌うシーン、二人がようやく会えるのかと思ってやっと息をつけるような気持ちになったのですが、「私」(タケト)と「彼」(ハヤト)はお互いが見えていないかのようにすれ違ってしまって、胸が詰まりました。その光景自体、見ている現在の「私」の心の内なのか、ハヤトの本心までもが映し出されているのか、いろいろな解釈ができそうなシーンでした。

あいか
あとは、「彼」が飛んでいった麦わら帽子を取ってくれて、「私」が受け取るときに、重なりそうになった手を引っこめてしまうシーンが素敵だった。

佐々
最初の長崎くんちの練習をするシーンでも、「彼」が手を差し伸べてくれたのに「私」が手を引っこめてしまうところがあって、憧れの人に素直になれないところが描かれていた。
『坂道』の「あの時素直に泣けたら」という歌詞からも、「彼」がそばにいた時に、「彼」と素直に向き合っていれば良かった、という思いが伝わってきた。

はる
「後悔などしないけれど」という歌詞があったけれど、本当はもっと「彼」と向き合っていれば良かったと思っているはずで、強がっている感じがした。

さとこ
『坂道』の一番最後の歌詞で、しかも舞台の最後の言葉にもなっていたのは「あなたが好きでした」だったよね。これって過去形で言葉にすることによって、ようやく前に進めるというような思いも込められているのかもしれないなと思って。「これまで話さなかった理由? なんでやろうねえ」という最初の台詞につながるし。語ることに伴って、心の傷を癒やす効果がある、みたいな。

はる
教訓めいたところもあったけれど、人と人の話だったから、授業っぽくは感じなかった。

佐々
作品を通して、人間関係の話だったね。友人、親子、「彼」と「私」とか、あくまで軸が人間関係にあったからくどく感じないのかも。

はる
「私」とアメリカ兵との関係もありましたね。

なお
一番最初に楽しそうなシーンでの『坂道』は、基本的に「私」が歌っていて、ハモる形で「彼」が歌っていた。でも、最後の『坂道』は「私」が歌いはじめて、2番を歌い始めるのが「彼」だった。だから、素直になれなかったかもしれないけど、「私」の一方的な思いじゃなかったこと、交差していた感情があったことに感動した。掛け合いになるのがすごく良かった!
個人的に好きなポイントとして、『坂道』のオリジナルを歌っている海宝さんと、「私」のダブルキャストのうちの一人である永嶋さんが同じように曲の最後のフレーズを溜める歌い方をしていて、いいなと思った。

佐々
愛する息子(「彼」)を失った母を演じた井料瑠美さんによる、『丘』(VoYJ4周年記念ソング)の歌唱シーンはすごく感動したよね!VoYJのメンバーはもともと知っている曲だけど、「彼」のお母さんが登場するシーンでは常に『丘』のアレンジが流れていて、母の愛みたいなのがひしひしと感じられる曲になっていた。

さとこ
2番に差し掛かるところで、照明も白い光の筋に転換されて「もう一度会えた時 何を言おう」「たとえすべて消えても 残るものがある」と歌うのが、もう会えない「彼」と母親との関係性に重なってとても響くものがあって。そこで泣いている人も多かった気がしました。

あいか
「同じ時代に生まれ 出逢えて良かった」という歌詞があるけど、戦争の時代に生まれてしまってはそうは言えないんじゃないかって考え込んでしまった。でも出逢えたことは良かったはずだから、当たり前だけど戦争の罪深さを感じたな。

さとこ
それでも母と息子が出会えたこと、「私」と「彼」が出会えたこと、そして「私」の人生がそうした出会いによって形作られたことに対する「よかった」の気持ちもあるはずだよね。時代は決してよくはなかったけれど、「あなた」のいない時代は嫌だ、というような思い。

佐々
安田祥子さんが歌ってくださっているバージョンは平和な世界という感じだけど、大切な息子を失った絶望の淵にいるお母さんが歌ってもぴったりの曲だったね。

さとこ
少しだけ歌い方(フレーズ頭のタイミング)が違って、井料さん(「彼」の母役)の歌からは、こみ上げてくる、迫りくる思いのようなものを、安田さんのオリジナルからは穏やかな気持ちで人生を概観している思いのようなものを感じました。後者は現在の「私」にも通じるかもね。

はる
『坂道』も『丘』も、それだけで聞いたときとは印象が違う!

佐々
アメリカ兵は『I’ll be there just for you』(国連第17回障害者権利条約締結国会議メッセージ・ソング)を歌ってたね。

はる
舞台外でアメリカ兵役の尾崎豪さんの歌を聞く機会があったんだけど、すごく声が大きかった。ホワイエで歌の練習をされていたときは、周囲で会話ができないくらい(笑)。

さとこ
『I’ll be there just for you』のジャズアレンジは新鮮だった!焼き尽くされた街で元気に歌う、その場所には少しそぐわないアメリカ兵の姿から、「私」が感じたであろう不信感や恐怖感がわかるような気が少しした。それでも、アメリカ兵にも思うところはいろいろあるのだろうなという気持ち。

 

好きな台詞

はる
「彼」(ハヤト)が戦争への疑問を口にして、「私」(タケト)が「僕も不思議に思ってた」と言った後に「彼」が言う「よかった、本音を話せる」という台詞がすごく好き。

佐々
「よかった」っていう台詞は作品を通してたくさん出てきてた!複数回公演を観させていただき、3回目に観るときは舞台端に立つ手話通訳の方に注目していたんだけど、「よかった」に対応する手話を覚えてしまうくらいには、いろいろなシーンで出てきた言葉だったと思う。

はる
でも「よかった」ってあんまり言わなくない?心配事があった時とかしか言わない。

なお
当時だったら誰にも受け入れられないような本音だから、「よかった」って思うんじゃないかな。ただの自分の思いじゃなくて、「日本が負けそう」「異人のいい面もたくさん知ってる」という、当時としては周りからズレてる視点を持っていたから、親友が同じように戦争に対して疑問を感じていることは、今の私たちが同じ意見を持っているよりずっとほっとすることだったんじゃないかな。だから、「よかった」。私もここすごく好き。

佐々
「彼」と「私」の二人が参加する軍事訓練で、訓練用のプロペラ機を「おもちゃの木馬みたい」と呟いたり、銃の構えの練習を「兵隊ごっこ」と呼んだりするシーンも、違和感を二人で共有できていたことが表れているよね。だからこそ特別な絆ができていたのかもしれないけど。「よかった」という台詞には同じ違和感を抱いている人を見つけられたときの安堵が表れていたのかな。
他に「よかった」という台詞が出てきたシーンが、「私」の妹(ヤヨイ)が「優等生のハヤトさん(「彼」)が勉強おしえてくれるなんて、兄ちゃんよかったね!」というようなことを言うシーンと、原爆投下後、兄を見つけて「生きとったんか、よかった」と言うところ。ヤヨイは兄のハヤトのことをいつも思っている素敵な妹だから、「よかった」という台詞が出てくるのかな。

はる
「胸がざわめいて痛い」という歌詞が、最後に歌われる『坂道』でだけ出てきていた。観客もきっと同じ気持ちになっていたから、舞台を思い出した時に最初にそれが出てくる。最後に出てくる「あなたが好きでした」までの部分はすごく大事な歌詞だったんだと思う。

さとこ
この歌詞の部分、最後の「い」が低い音でそっと歌われるので、一瞬「胸がざわめいていた」にも聞こえて、静かに打ち明けられる痛みを感じます。

 

・・・・・

後編もお楽しみに!


1) 下田秀枝『帰り来ぬ夏の思い』より
2) 香月クニ子『あの雲消して』より
3) 永井隆編『原子雲の下に生きてー長崎の子供らの手記』より

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