「戦争が無くなれば平和」に疑問を抱いてみる

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この前、「あなたの考える平和とは何ですか?」という質問に対して「戦争が無くなること」と答えた人を側で見て少し違和感を覚えました。

その時、側で見ていた私がもし同じ質問をされていても同じような返事をしていただろうと思います。多くの人も平和と聞いたら戦争の対義語というイメージを持つでしょう。

しかし、その時私はなぜか違和感を覚えたのです。

 

この得体のしれない違和感の正体を改めて考えてみると、大きく二つの疑問が関わっているような気がします。

一つ目は戦争が無くなると本当に平和が訪れるか、という疑問です。私は戦争を肯定する気は毛頭ありませんし、戦争は無くなるべきだと思います。しかし、戦争を知らない私が堂々と「戦争の根絶こそが平和だ」と言い切る自信はありません。

つまり、「平和=戦争が無いこと」という考えが、私自身を含め多くの人の中で当たり前とされていることに対する違和感なのです。

私は戦争を経験していません。兵士として戦ったことは無いし、紛争地帯で安全を脅かさながら生活したことも、安全を求めて他国へ避難したこともありません。そんな私が「戦争を無くせば平和になる」という思いのもとに行動を起こしてたどり着いた先の景色は、果たして実際に戦争で苦しむ人々の望む平和と一致するのかどうか保証はあるのでしょうか

なぜなら私は戦争を経験していないし、戦争で直接苦しむ思いもしていないし、そんな状況の中で平和とは何かを実際考えたことが無いからです。

二つ目の疑問は、戦争が無くなったとして、それは世界全ての人の平和にはつながらないんじゃないか、という疑問です。

例えば私自身または私の周りの誰かがある事情で苦しんでいたとします。世界の紛争やテロ、戦争がすべて無くなったとして果たして私や私の周りの人は幸せになるのでしょうか?

おそらく戦争が無くなったことで、より不幸になることは滅多にないと思います。しかし他人の心配もできないぐらい苦しんでいる人が戦争の根絶によりたとえ数多くの命が救われたとしても、それは本人の直接の幸せには、そして本人の平和にはつながらない気がします。

私の住む日本では戦争が長らくありませんので、日本で本当に苦しむ人(いつか私自身が含まれる可能性だってゼロではありません)は戦争が無くなっても平和は訪れない可能性が高いです。ここで多くの人々が考える「平和=戦争が無いこと」という考えは、自分の幸せをあまり考えていないのでは、と感じたのです。

そして自己犠牲の正義感はとても尊いものでありますが、そこまで大きな目標を掲げる前に自分自身のリアルな平和を考えてみてもいいんじゃないかとも思いました。

 

そこで私は改めて平和とは何なのかを考えてみました。私が今までなんとなく考えてきたような単なる平和ではなく、私自身のリアルな平和は何だろうと考えました。

たどり着いた答えは、「自分に自信が持てること、将来に希望が持てること」です。

簡単に言えばメンタルヘルスということになります。私は高校三年生の時、あることがきっかけでうつ状態になってしまいました。一年間全てのことにまるっきりやる気が起きず、受験期なのに勉強をやらない自分に絶望を感じ、自分に自信を無くし、さらにやる気を失う繰り返しでした。生まれて初めて毎日が億劫になり、将来に何も希望を見出せない状態でした。

このような気持ちになるのは初めてなので、もしかしたら表現が大げさなのかもしれませんが、その時私自身は平和では無かったと思います。その時期を乗り越えた今、私は自信と希望って大切なんだなと心の底から実感できた気がします。

当たり前のことかもしれませんし、キレイごとに聞こえるかもしれません。しかし今の私はそんな当たり前のことを(少なくとも以前よりは)深く理解できたような満足感があります。私はこの経験から自分自身の平和とは一人ひとりのメンタルヘルスが実現することだと考えるようになりました。

 

平和とは一度その輪の外から出てみないと実感できない気がします。

私の場合、今までは「メンタルヘルスが実現している平和」という輪の中にいました。しかし生まれたときから平和の輪の中にいたので、自分がその輪の中にいることを実感することはありませんでした。それが高校三年生の時に輪から外れ、そして初めて自分が平和という輪の中にいたことを外から理解できました。そして中に広がる平和の大切さを心から実感するのです。

失って初めてその価値が分かるとはよく言われますがまさにその通りだと思います。私は失わなければメンタルヘルスの重要性に本当の意味で気づくことはできなかったでしょう。この平和の輪の外に出るというプロセスによって私は自分自身のリアルな平和を考えることができるようになったのです。

 

戦争が無くなった後に訪れるかもしれない平和も、メンタルヘルスが実現された後に訪れる平和も同じ平和という言葉で表現できるかもしれません。

しかし私にとって両者には大きく違う点があります。二つ目の疑問の答えにもなりますが、自分自身の平和とは自分の幸せのための平和です。つまりその平和では必ず自分が幸せになれます。

私は「自分が幸せになれる平和の考え方」を持つことはとても良いことだと思います。道に迷ってもその平和を目指すことで少しはよりよくなることが確実に分かっているからです。そんな平和像をひとつ持っておくことは安心さえも感じます。

そして世界には様々な平和の考え方があるとは思いますが、私が考える自分自身の平和(メンタルヘルスの実現)で同じく幸せになる人も数えられないほどたくさんいることも事実です。自分自身の平和とは自分の身の丈に合う平和でもありますが、同時にものすごく多くの人を救う大切な平和になりうるのです。

 

また自分自身の平和を実現するためならば、人は大きな力を発揮できるのではないでしょうか。

なぜならその平和の大切さを身をもって実感しているからです。そして自分自身の平和実現に対する熱意を持つとき、人は他の平和実現を目指す人々に共感することができるのかもしれません。

一つ目の疑問に関して言うならば、戦争で実際に苦しむ人の思いは正確には分からないけれども、彼らが彼らの平和を望むのと同じくらい自分が自分の平和を望むのであれば、彼らの平和を自分が理解する際の助けになると思うのです。

 

平和と聞いて戦争の撤廃と思い浮かべる人は多くいると思います。そのことが決して悪いことではありません。

しかし自分にとって大きすぎるかもしれない景色を最初から見るより、まずは自分に合った景色をじっくり見てみるのでもいいのかなと思います。自分が自信をもって幸せだと思える自分自身の平和を持てば、安心と希望を感じることができるような気もします。

実際に私が自分自身の平和を見つけたとき、今までにない安心感と喜びを強く感じ、同じような思いを多くの人に経験してもらいたい思いでこの文章を書いてみました。

ここでは私が自分の平和を見つけたプロセスも記したので皆さんも自分自身の平和について考えてみてはいかかがでしょうか。皆さんの自分自身の平和についても教えていただければ嬉しいです。

VoYJ運営部員。19歳。神奈川県立横浜翠嵐高校卒。現在東京大学前期教養学部一年生。趣味は水泳、ダンス、そしてアメコミのMarvel。今まではMarvelの映画を見るだけで満足していたが、最近になって原作の漫画を集め始め貯金が消えゆく日々を送る。理系で大学に入学するも、二年生での進学選択では文系の学部にも興味を抱いており検討中。小さいころから海外に興味を持ち、国際機関などでの勤務に関心を抱くようになった。なお写真一枚目は高一の時に訪れたアメリカのワシントンD.C.にあるWWⅡのモニュメント。二枚目は地元の横浜みなとみらいの風景。文章中の二つの平和にそれぞれ対応するような写真を選んだ。