「戦争が無くなれば平和」に疑問を抱いてみる

ボイス
+442

この前、「あなたの考える平和とは何ですか?」という質問に対して「戦争が無くなること」と答えた人を側で見て少し違和感を覚えました。

その時、側で見ていた私がもし同じ質問をされていても同じような返事をしていただろうと思います。多くの人も平和と聞いたら戦争の対義語というイメージを持つでしょう。

しかし、その時私はなぜか違和感を覚えたのです。

 

この得体のしれない違和感の正体を改めて考えてみると、大きく二つの疑問が関わっているような気がします。

一つ目は戦争が無くなると本当に平和が訪れるか、という疑問です。私は戦争を肯定する気は毛頭ありませんし、戦争は無くなるべきだと思います。しかし、戦争を知らない私が堂々と「戦争の根絶こそが平和だ」と言い切る自信はありません。

つまり、「平和=戦争が無いこと」という考えが、私自身を含め多くの人の中で当たり前とされていることに対する違和感なのです。

私は戦争を経験していません。兵士として戦ったことは無いし、紛争地帯で安全を脅かさながら生活したことも、安全を求めて他国へ避難したこともありません。そんな私が「戦争を無くせば平和になる」という思いのもとに行動を起こしてたどり着いた先の景色は、果たして実際に戦争で苦しむ人々の望む平和と一致するのかどうか保証はあるのでしょうか

なぜなら私は戦争を経験していないし、戦争で直接苦しむ思いもしていないし、そんな状況の中で平和とは何かを実際考えたことが無いからです。

二つ目の疑問は、戦争が無くなったとして、それは世界全ての人の平和にはつながらないんじゃないか、という疑問です。

例えば私自身または私の周りの誰かがある事情で苦しんでいたとします。世界の紛争やテロ、戦争がすべて無くなったとして果たして私や私の周りの人は幸せになるのでしょうか?

おそらく戦争が無くなったことで、より不幸になることは滅多にないと思います。しかし他人の心配もできないぐらい苦しんでいる人が戦争の根絶によりたとえ数多くの命が救われたとしても、それは本人の直接の幸せには、そして本人の平和にはつながらない気がします。

私の住む日本では戦争が長らくありませんので、日本で本当に苦しむ人(いつか私自身が含まれる可能性だってゼロではありません)は戦争が無くなっても平和は訪れない可能性が高いです。ここで多くの人々が考える「平和=戦争が無いこと」という考えは、自分の幸せをあまり考えていないのでは、と感じたのです。

そして自己犠牲の正義感はとても尊いものでありますが、そこまで大きな目標を掲げる前に自分自身のリアルな平和を考えてみてもいいんじゃないかとも思いました。

 

そこで私は改めて平和とは何なのかを考えてみました。私が今までなんとなく考えてきたような単なる平和ではなく、私自身のリアルな平和は何だろうと考えました。

たどり着いた答えは、「自分に自信が持てること、将来に希望が持てること」です。

簡単に言えばメンタルヘルスということになります。私は高校三年生の時、あることがきっかけでうつ状態になってしまいました。一年間全てのことにまるっきりやる気が起きず、受験期なのに勉強をやらない自分に絶望を感じ、自分に自信を無くし、さらにやる気を失う繰り返しでした。生まれて初めて毎日が億劫になり、将来に何も希望を見出せない状態でした。

このような気持ちになるのは初めてなので、もしかしたら表現が大げさなのかもしれませんが、その時私自身は平和では無かったと思います。その時期を乗り越えた今、私は自信と希望って大切なんだなと心の底から実感できた気がします。

当たり前のことかもしれませんし、キレイごとに聞こえるかもしれません。しかし今の私はそんな当たり前のことを(少なくとも以前よりは)深く理解できたような満足感があります。私はこの経験から自分自身の平和とは一人ひとりのメンタルヘルスが実現することだと考えるようになりました。

 

平和とは一度その輪の外から出てみないと実感できない気がします。

私の場合、今までは「メンタルヘルスが実現している平和」という輪の中にいました。しかし生まれたときから平和の輪の中にいたので、自分がその輪の中にいることを実感することはありませんでした。それが高校三年生の時に輪から外れ、そして初めて自分が平和という輪の中にいたことを外から理解できました。そして中に広がる平和の大切さを心から実感するのです。

失って初めてその価値が分かるとはよく言われますがまさにその通りだと思います。私は失わなければメンタルヘルスの重要性に本当の意味で気づくことはできなかったでしょう。この平和の輪の外に出るというプロセスによって私は自分自身のリアルな平和を考えることができるようになったのです。

 

戦争が無くなった後に訪れるかもしれない平和も、メンタルヘルスが実現された後に訪れる平和も同じ平和という言葉で表現できるかもしれません。

しかし私にとって両者には大きく違う点があります。二つ目の疑問の答えにもなりますが、自分自身の平和とは自分の幸せのための平和です。つまりその平和では必ず自分が幸せになれます。

私は「自分が幸せになれる平和の考え方」を持つことはとても良いことだと思います。道に迷ってもその平和を目指すことで少しはよりよくなることが確実に分かっているからです。そんな平和像をひとつ持っておくことは安心さえも感じます。

そして世界には様々な平和の考え方があるとは思いますが、私が考える自分自身の平和(メンタルヘルスの実現)で同じく幸せになる人も数えられないほどたくさんいることも事実です。自分自身の平和とは自分の身の丈に合う平和でもありますが、同時にものすごく多くの人を救う大切な平和になりうるのです。

 

また自分自身の平和を実現するためならば、人は大きな力を発揮できるのではないでしょうか。

なぜならその平和の大切さを身をもって実感しているからです。そして自分自身の平和実現に対する熱意を持つとき、人は他の平和実現を目指す人々に共感することができるのかもしれません。

一つ目の疑問に関して言うならば、戦争で実際に苦しむ人の思いは正確には分からないけれども、彼らが彼らの平和を望むのと同じくらい自分が自分の平和を望むのであれば、彼らの平和を自分が理解する際の助けになると思うのです。

 

平和と聞いて戦争の撤廃と思い浮かべる人は多くいると思います。そのことが決して悪いことではありません。

しかし自分にとって大きすぎるかもしれない景色を最初から見るより、まずは自分に合った景色をじっくり見てみるのでもいいのかなと思います。自分が自信をもって幸せだと思える自分自身の平和を持てば、安心と希望を感じることができるような気もします。

実際に私が自分自身の平和を見つけたとき、今までにない安心感と喜びを強く感じ、同じような思いを多くの人に経験してもらいたい思いでこの文章を書いてみました。

ここでは私が自分の平和を見つけたプロセスも記したので皆さんも自分自身の平和について考えてみてはいかかがでしょうか。皆さんの自分自身の平和についても教えていただければ嬉しいです。

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11 件のコメント

  • +65

    長崎県高校3年生です。
    今週、約4週間の南アフリカへの留学から帰国して、友人の紹介でこのサイトを見つけたのですが、今泉さんの考えにものすごく共感しました。

    +65
  • +67

    普段はコメントなどしないのですが、芯のある意見を持った同世代の考えに触れ、思わず感動したのでコメントさせていただきます。個人と全体の区別、大事ですね。戦争についての見解も自立したもので、納得させられました。さらには、その考え方を簡潔に説明されており、ただただ尊敬するばかりです。
    差し出がましいですが、私の考えをコメントさせていただきます。
    歴史を鑑みると、戦争(あるいは流行り病)のために兵士や農民、女性の地位が上がった過去があり、一概に戦争を悪として断罪できない気がしています。さらに、少なからず戦争の減った現代では、人口爆発とグローバル化を受け、労働者の地位が低下しているように感じています。
    理系として入学したとのことですが、解決策に行き詰まる私に刺激を与えると思って、この系統の記事をぜひ書いていただけませんか?

    +67
  • +102

    私は逆に「「戦争が無くなれば平和」に疑問を抱いてみる」という言葉に違和感を抱きました。
    確かに国と国との争いがなくなれば平和、とは言えない部分があります。
    が、歴史を振り返ると、国と国との争いで犠牲になっている人が何百、何千万人といて、その尊い命の犠牲のうえで現在の「国際関係における“平和”」が保たれています。
    ここ日本では、どこかの国が攻めてきて、安全安心な生活が脅かされるかもしれない、という不安を、ほとんど抱かなくて済んでいます。
    これが「平和」です。
    平和という言葉は通常、国と国の争いを指して使われる言葉です。
    個人レベルでの平和、または国内での平和は、現在は「人間の安全保障」という言葉を使います。

    +102
  • +48

    私は、世の中の平和と個人の幸せとは別だと考えています。平和とは、争いや戦いがなく、穏やかな状態を言いますので、戦争を知らない子供たちが、個人の幸せについてじっくり考える時間が持てる…それだけでも「戦争がなくなれば平和」の証明ではないかと思います。

    +48
  • +52

     僕もコメント欄のageさんと同じ考えを抱きました。
    筆者のいう平和は、戦争と関連する平和とは別物だと思いました。その言葉を使うには定義があまりにも違いすぎているというか、そういう違和感です。
     戦争は立憲主義の最大の敵と言われます。それはなぜか。それは、人権を意図も容易く侵害するからです。
     明日も生きられるかわからない。そんな人間を生み出すものが戦争というものであり、平和はその文脈において語られ、求められるものだと僕は思います。

    +52
  • +44

    平和だけなら色々あります。自分だけの平和、家族の平和、友達等も含めた平和、会社を含めた平和、国単位の平和、人類単位の平和、様々ですが、どれも中途半端です。結局は自分達だけの平和というものは、自分達以外が平和ではない以上、それに伴う平和じゃない状況を招きます。本当の平和、真の平和、つまりは、これ以上の平和はない平和はひとつだけです。ありとあらゆる全ての良き調和=真の平和です。これ以外の平和は、結局は自分目線だけで見れば平和に見えるだけの平和なのです。ここで勘違いしてはいけないのは、今まで良かったものの質です。質は自分目線で見た平和の方がいい様に見えてしまいます。俯瞰的に客観的にみればそうでない事は解りますが、そういう見方がまだ身についていない人にとっては、それが解らないのだと思います。政治というものは、そういう人が多いほど、独裁的な政治の方が旨くいきやすく、そういう人が少ないほど多数決的な民主主義は巧く機能します。もちろん愚かな者が独裁をするとよくない結果を招きます。要因の全ては書き込めないのでこれだけにしておきますが、結局、一人一人が本当の意味での客観視が出来る様になり、かつ思いやりとか真心とか愛といった様なものを身につけ、真の平和を基準として物事を考えられる様にならなければ、必ずどこかで平和とは言えない状況に追い込まれる人が出てきます。人間は一人でも生きていけますが、決して一人で生きている訳ではありません。人間を含む人間以外のありとあらゆる存在と共存しています。そういう事を皆が身に付けられる様な世の中になれば、本当の意味での平和は必ず訪れるでしょう。最後に、私の記した事は自信をもってそうなると保障してもいいぐらいのものです。ですが基本は、自分自身で、思い込まず決め付けず考える事が大事なので、皆さん御自信で良く考えて頂ければ幸いです。

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  • +15

    皆さんの意見を聞いてとても参考になりました。戦争と聞くととても物騒ですが一概にそういえない場合もあるなと感じました。
    また、平和って難しいのかなとも思いました。
    戦争と平和についてまとめてくださってありがとうございます

    +15
  • +11

    日々の凶悪事件やいじめを通り越したお互いへの迫害を重ねているのを見ると、日本人は平和を大切にしていないように見えます。自分の命と幸せを大切にすることで、他人の命や幸せも喜べると私は思います。それでなきゃ平和とは言えません。例としてネット社会に蔓延る悪意などを止める方法を簡単にできれば、平和を大切にしたいという気持ちが増えると思います。

    +11
  • +1

    平和とは苦しみのない状態を指す言葉だと思います。苦しみは欲から生まれます。欲は、生きたい・食べたい・飲みたいなどたくさんあり、それらから離れることは難しいですが、少しずつそれを減らすことができれば楽になります。また愛別離苦から誰も逃れることはできませんが、それを受け止める準備ができているかどうかが、平和でいられるか苦しみのただなかに取り残されるかの境界線になると思います。世界平和と大上段に構えるより自分自身の心との対話が大切だと思いました。

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