先日、大学生の筆者のもとに、文理選択を目前にした高校1年生に向けて講演をしてほしい、と母校からありがたい依頼が届きました。講演後、思いがけず後輩たちから多くの反響がありました。同じように進路選択に悩むユースに届けばと思い、寄稿します。
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みなさんは、進路選択と聞いて、どのようなことを思い浮かべますか?
上の写真のように2つに道の分かれた分岐点を想像する方が多いかもしれません。
私も昔はこのように考えていました。「1つの選択肢を取ると、もう1つは諦めなければならない。」そう大人から言われてきたからです。高校生のみなさんが直面する文理選択はまさにその一例かもしれません。
しかし、今では違うように捉えています。
進路選択は「木」に例えられると思うのです。自分自身が「木」で、選択をするたびに「枝」が伸びていく、そんな様子を想像してみてください。
私は、自身の経験から、選ばなかった/選べなかった選択肢は必ずしも諦めなければいけないわけではないと思うようになりました。ある「枝」を伸ばしたあとでも、「幹」に戻ってきて、別の「枝」を伸ばすことができる、と私は考えています。
ここで少し、私自身の進路選択についてお話させてください。
私は、中学校の授業でマララ・ユスフザイさんの動画を視聴した際に、世界には質の高い教育を受けられない子どもたちがたくさんいるという事実に衝撃を受け、将来は途上国の教育に携わりたいと思いました。そこで教育学部に進学するため文系を選択し、大学受験を迎えました。
大学入学後、教育を受けられない子どもたちについて学ぶ中で、特に本人や家族の健康問題により教育を受けられない子どもたちに注目しました。そのような子どもたちにアプローチするためには、学校を作ったり教員を配置したりしても不十分です。健康の大切さや健康面での支援の必要性に気付かされました。
そこで、子どもたちの健康状態を改善して教育を受けられるようにすることと、教育を通じて健康を保つことの二つを通して「医療」と「教育」の二分野の架け橋になりたいと考えました。そして、大学2年の進学選択で文系から医学科に進学することにしました。
私には、世界中の子どもたちが質の高い教育を受け、夢を実現できる社会を作りたいという大きな目標(=「幹」)があります。その「幹」から教育という最初の「枝」を伸ばす中で、一旦「幹」に立ち戻り、医学という次の「枝」を育てることにしました。
私の過去の選択は、決して無駄になることはありませんでした。むしろ、最初の「枝」を突き詰めた経験があるからこそ、今より豊かな人間でいられるように思います。過去のいかなる選択も、「枝」の多い、豊かな「木」を育てるためのものだと感じます。
ある「枝」を伸ばしたあとでも、「幹」に戻ってきて、別の「枝」を伸ばしてもいいのだと、改めて思います。だから、選択を前にして、過度に失敗を恐れる必要はありません。このような進路選択に関する捉え方で、もし心が軽くなる方がいたらこんなに嬉しいことはありません。
神奈川県出身。東京大学医学部医学科在籍。世界中の子どもたちが生まれてきて良かったと思える世界の実現に向けて勉強中。