難民について「知る」ことはどう大事?

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「難民」という言葉を聞いて、みなさんは何が頭に浮かびますか。何か、思い浮かぶものはありますか。

日本では、「就職難民」とか、「ネットカフェ難民」とか、そういった言葉の中で耳にすることの方が、もしかしたら多いかもしれません。しかし、国際社会に照らせば、それは「様々な理由から故郷を追われ、命のために止むを得ず国境を超えた人々」のことを指します。

私がその存在を初めて認識したのは、小学校の道徳の授業でした。多くのアフリカ人に囲まれ微笑んでいる、緒方貞子さんの写真に、目が釘付けになったことを覚えています。

誰もが、ニュースや学校の授業などで、難民問題が存在することを知っていると思います。しかし、そこにそれ以上のイメージを持てる人は、あまり多くないのではないでしょうか。

私は、難民について「知る」ことは、その問題が存在すると認識するだけでは、少し足りない気がします。ちょっと立ち止まって、想像して、考えてみようとする。その過程があってはじめて、難民問題を「問題」として意識することができるのではないかと思います。

しかし、難民問題について想像する、というのは、とても難しいことだと思います。

 

『紛争や迫害によって新たに移動を強いられている人:7080万人(2018年)』1)

初めてこの数字を目にした時、一瞬言葉を失いました。そんなに多いのか、と思いました。

でも、私が今思った「そんなに」って、なんだろう。
7080万という数字を少ないと感じる人はまずいないでしょう。その数字が、事態の深刻さを表す大事な指標の一つであることは確かです。

しかし、その数字があまりに大きすぎて、なんだかよくわからないというか、どう深刻なのか、なかなか想像がつきません。

そして、今この日本で、難民問題について普段意識する機会は、ほとんどないと思います。

日本も難民受け入れ国の一つです。しかし、難民として認められるのは、その申請者に対して0.3%。42人にとどまっています(2018年)。2)

日本の政治において難民問題があまり取り上げられず、受け入れが進まない理由の一つに、人々の関心の低さは挙げられるでしょう。その存在を知っているだけでは、関心を持つ、ということとイコールにはなりません。

しかし、限られた報道や教科書の内容のみで、自分と全くかけ離れた状況にあるだろう人々の暮らしや、その問題の深刻さをイメージするのは、なかなか難しいことだと思います。

 

より自分に身近なところで、難民の人々の暮らしについて想像してみると、どうでしょうか。私自身、大学生になり、ようやく慣れてきた一人暮らしの中で、ふと考えました。

 

例えば、ご飯を食べながら家族に電話する午後7時。またねと言って電話を切り、一息ついたとき。

難民の人々には、満足に食べられる夜ご飯はないのかもしれない。スマホを使って気軽にビデオ通話できるような環境もないかもしれない。「オンライン」という概念もないかもしれない。そもそも明かりすらなかったら、午後7時って真っ暗で何もできないのかも。

思いを馳せる故郷が、家族で団らんを楽しんでいた家が、今もある保証なんて、どこにもないのかもしれない。父親や兄弟が兵士として紛争地域に行っていたり、避難の途中で母親とはぐれたりして、家族が生きているのかどうかすら、わからなかったりするのかもしれない。家族を目の前で亡くしていたりもするのかもしれない。

例えば、お気に入りのプレイリストを流しながら布団に入る深夜0時。曲が一周し終わって、静かになったとき。

難民の人々には、音楽を聴く楽しみはないのかもしれない。私は今まで、たくさん音楽に救われて、色んな感情をもらってきたけど、曲を聞くたびに蘇ってくるような、あんな思い出やこんな思い出を、作るチャンスもないのかもしれない。こんなふうに、自分の好きなことに使える時間も環境も、ないのかもしれない。

眠りにつけない理由は、画面の見過ぎなんかじゃなくて、寝床の固さや空腹だったりするのかもしれない。寝ている間に暴力を振るわれるかも、という不安かもしれない。今、眠りについて、明日を迎えられる保証なんて、どこにもないのかもしれない。

 

なんて悲しいんだ、と思いました。人それぞれに違った人生があることは確かだけど、こんなに違うことがあっていいのか、と。

考えはじめればキリがなくて、想像を絶する範囲へも思考が飛んでいき、またよくわからなくなったりもします。でも、自分が幸せだと感じる、日々の様々なシーンは、彼らのもとにはないのかもしれません。それだけで、なんかいてもたってもいられなくなってくる気がします。

自分はどれだけ恵まれているのだろう、もっと日々を丁寧に暮らさなきゃ。そう思うとともに、でもそこで終わっちゃダメだ、という思いも湧き上がってきます。

 

自分にできることは、なんだろう。

寄付をする?国内でも、海外でも、ボランティアに行く?こうやって文章を書くことで、自分の想いを発信する?

大きすぎる問題を前に、無力感を覚えることがあります。でも、一歩踏み込んでみれば、自分にできることも少しはあるのかもしれません。そして、同じ想いを持つ人と一緒なら、もっといろんなことができるのかもしれません。その可能性を信じて、様々なかたちで難民支援に携わっている人々が、すでにたくさんいるはずです。

 

また、少し意識を向けることで、今まで聞き流していたニュースが、目にとまるようになることもあるかもしれません。

この文章を書いている今、バングラデシュにある、100万人ほどのロヒンギャ(ミャンマーのイスラム系少数民族)が暮らす世界最大規模の難民キャンプで、新型コロナウイルスの陽性患者が出た、というニュースが報じられています。綺麗な水や医療の確保等が大変な環境で、感染爆発が懸念されています。普段から苦しい状況に置かれている人々は、こうした災害等が起きると、よりいっそう厳しい状況に追い込まれてしまいます。3)

現在の新型コロナウイルスの状況も、私たちの「当たり前」の感覚を揺さぶっています。私たちが問題意識を持ち、声を上げることで形作られる世論が、政府を動かす、ということも、以前よりイメージしやすくなってきているのかもしれません。

 

「難民」や「難民問題」という言葉は、どこか遠く、捉え所のない難しいもののように思えます。

しかしそこにいるのは、私たちと同じ、ひとりひとりの人間です。自分も確実にその一部である、この世界で、起こっていることです。だから、自分が変わることは、どんなに小さくても、この世界が変わるということだと思います。そして、自分が作りたい未来は、いつでも今この瞬間にスタートラインがあります。

一人でも多くの人が、安心して、大切な人と一緒に、明日を迎えられるために。

難民について知ること。想像すること。行動につなげていける想いを持つこと。
この世界を変えていくきっかけは、やはり難民を「知る」ことにあるのだと思います。


1)https://www.unhcr.org/jp/global_trends_2018
2)https://www.refugee.or.jp/jar/report/2017/06/09-0001.shtml
3)https://www.bbc.com/japanese/52671894

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