毎日を見つめて

写真は国立西洋美術館のホームページより引用
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【はじめに】

 コロナウイルスの感染拡大に伴いおうち時間と呼ばれるものが長かった2020年の春だったように思われる。そのような中で楽しみを探してみるとふと気づいたことがある。それは、じっくりと毎日を見つめてみると今までは気にも留めなかったような「何か」に美しさを感じるということだ。

 

そこで今回は、日常を豊かにする芸術について取り上げてみたいと思う。テーマは日常生活の中にという冒頭の部分を踏まえて、いわゆる‘普通’の絵をどう見ることができるか、にしてみたい。

さて、果たしてここでいう普通とは何のことなのだろうか。私が初めて美術館を訪れたのは、おそらく小学二年生の時だった。少し前に、紅白歌合戦で米津玄師が歌唱したことで一躍知名度を増した徳島にある美術館が私の絵画との初体験かもしれない。いや、正確には、小学校の壁に飾られているムンクの叫びや、もしくは、日常生活の中にある(絵本の絵だって1つの絵画だ)絵画に触れ合ってきたのだが、あれほどたくさんの絵画を目の前にして、受けた衝撃はその時が初めてだったような気がする。

私が一番印象的だったのは、実は、裸像でも、かの有名なモネの睡蓮でもなかった。何でもない「りんご」だった。スーパーで売られているりんごのようにツルツル、テカテカしていない。もしかしたら、虫食いさえ見つかるかもしれないりんご。私はりんごが好きだ。食べ物を描くということは、それを見るものに、その図と同時に‘味’を喚起させる。甘酸っぱいあの香り。また、どこかで、アダムとイヴを思い出す。‘禁断の果実’としてのりんご。静物画(この場合は果実が描かれた静物画)には、描かれている果物そのものの描き具合だけでなく、果物が内在する物語を読み聞かせる効果があると、私は思う。さて、前置きはこの辺にして、この果実の物語性に注目しながら分析を進めていきたい。

 

◆リサーチクエスチョン

RQ1:『果実籠のある静物画』1)2)について

RQ2:連想される物語(ここでは‘味’と呼びたい)について

 

RQ1:『果実籠のある静物画』1)2)について

 今回私が注目した『果実籠のある静物画』は、1654年ごろに高名な画家の息子であるコルネリス・デ・ヘームによって制作されたものだ。この作品は、父の元で修行を積んだと思われるコルネリスの初期の作品と考えられている。   

まず、はじめに、誰もが目に行ってしまうのは、剥きかけのレモンのみずみずしさや、プルンと籠から飛び出す赤い実なのではないだろうか。むろん、私もそうだった。赤い実というのは何ともエロティックな感じがしてしまう。それを柑橘系であるレモンの爽やかさが中和する。まさに、父から伝授された画法と自我の芽生えの中で多感な時期にある、コルネリス自身を表しているようにも見える。後ろ側にある緑の葉も若々しさを感じさせる。

また、果物がこぼれ落ちている方向を丁度照らすかのように光が差し込んでいるのも絶妙である。これは、光と陰のコントラストを画面に表現することで、コルネリスの画家としての才能を表現するには十分であるし、それはまた、籠の中身が光に向かって転がりだしているというのが、新しい世界への希望を表しているように思える。守られていた籠の中から、自ら外へ、やはり、コルネリス自身の気持ちと、果物の躍動感の連動性を感じざるを得ない。

 

RQ2:連想される物語(ここでは‘味’と呼びたい)について

 私は絵から物語を読み解くのが非常に好きであるし、それを絵画鑑賞の醍醐味としているのでもあるが、RQ1でも述べたように、この構図全体にまず、画家の内面が表出されていることを確認しておきたい。

そして、さらに、RQ2では静物画で果物を描くことに関する意味を私なりに述べたい。1つは、味や香りが連想されることで、誰が見るかによって、何が想起されるかは自ずと異なってくるということだ。同じ果物でも、その人にとって、それが、亡き祖母と食べた懐かしい味なのか、恋人との甘酸っぱい思い出の1つなのかによって、思い描く場面は違う。

もう1つは、果物自体がアダムとイヴのりんごに代表されるように象徴的な意味を含有していることがあるということだ。日本では桃から桃太郎を想像し、何となく‘善’のイメージをもちやすいことが一例だ。このように、風土や描き手、鑑賞する側の文化によって絵画の捉え方に差異があるというのはなかなか興味深いし、グローバル化が進む現在において、他者との共存が話題となってくる中で、遥か昔から人々は絵画を通して想いを通じあっていたことを想像してみると、何らかのメッセージ性を持っているようにも感じる。

 

【おわりに】

 今回の静物画の分析では、小学生の時の実体験を元に、「どこにでもあるもの=普通」を描くことが何を意味するのか、そこに対する解釈にはいかなるものがあるのかという視点から、コルネリスの『果実籠のある静物画』を読み解いていった。

今後も美術館に行く機会があるだろう。そんな時は、一番正面に飾られている大きな絵に見入ることももちろん大切だが、誰にも見つけられない宝石を探し当てた気分で、少し離れたところにある、静物画にも心を寄せてみたい。そして、「日常生活の中にある全てのものが芸術的である」この言葉を胸に、毎日を豊かなものにしていきたい。

 

【引用・参考文献一覧】

1) 国立西洋美術館公式ホームページ

2) 『まなざしのレッスン➀西洋伝統絵画』三浦 篤

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