「草生えるwww」や「それはさすがに草w」は、ネット民にとって挨拶代わりのような言葉で、見かけない日はないと言っても過言ではありません。「笑」という漢字のイニシャル”w” から生まれた由来が示す通り、意味は(笑)に近いですが、やや人をバカにしたようなネガティブなニュアンスが特徴です。
しかし、最近気づいたところによると、私はこの「草」をチャットだけではなく、日常会話でもよく好んで使っています。その理由について改めて考えてみると、草の効用が浮かび上がってきました。
草の1つ目の効用は「俯瞰」です。「目で目は見えぬ」ということわざが示すように、他人のことはよく見えても、自分が当事者になるとさっぱりわからなくなってしまうことも少なくありません。そんなときは、問題から少し距離を取って俯瞰してみることが解決の助けとなりますが、なかなか自力では困難です。
しかし、草はそれを可能にします。草のベクトルを自分に向けたときには、自分自身を笑い飛ばす自虐として作用し、それはすでに問題の渦中から一歩引いた視点に立っていることを意味します。私は、就職活動のときによく草を使いました。例えば、「また面接落ちてマジで草w」とか「俺の人生ほんま草www」と呟いてみると、我ながら少し笑えてきて、不思議と気持ちを切り替えることができました。
2つ目の効用は1つ目の「俯瞰」とも関連するのですが、「相対化」です。草という言葉を用いて、自分が絶対視していた価値観をあえて低めてみることは、相対化へとつながります。私はその相対化の態度こそ、現代人が持つべき基本姿勢だと考えています。例えば、いい大学に入るために真剣に受験勉強に取り組むことは素晴らしいことではありますが、「受験戦争に踊らされてて草」という視点も同時に持ち合わせておくべきだと思うのです。
もちろん、絶対的な何かを信じることは大きな力を発揮しますし、私も大切にしたいと思う一方で、その価値観を相対化しておくことは、とりわけ異質な他者と関わる現代のグローバル社会の中で必要なことだと考えます。
つれづれなるままに草について書いてきましたが、ネットでは既に新しい波が到来しており、「草生える」の代わりに「苔むす」という表現が使われることもあるようです。私もその動向を注視して、見守っていきたいと思います。
大学院で身体性の認知科学をやっています。学部時代は柔道部でした。