SNSの時代を生きるYouthへ

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Instagram、Twitter、Facebook、スナップチャット、TikTokなどなど。

SNSがあふれる世の中で生きる私たちYouthは意見を発信しやすい環境にいるようにみられがちです。でも実際にはどうでしょうか。

私が思うに、自分の意見を発信できるのは「強い人」だけです。少なくとも私は「弱い人」でした。

こうして記事を書くことは、楽しくはありますが、同時に読み終わった人から様々な批判や評価が寄せられると思うとやめたくもなります。そんな私が勇気をもって発した言葉だからこその価値もあると思います。その価値を信じて、同じYouthに一つメッセージを送ります。

 

「強い人」と「弱い人」というようなかなり不十分な区分については追って説明したいと思います。そもそも、SNSで意見を発信することとはどのようなことでしょうか。

SNSに限らず、意見を発信することは他人に評価されることを意味します。自分の知識不足や考え不足、論理的欠如、頭の悪さ。意見の評価は意見の持ち主の評価にもつながります。必然かもしれませんがこれがなかなか苦しいものです。

仲間内での批判は自分が否定されていないという一定の安心がありますが、SNS上ではそのようにはいきません。自分の知らないところで自分が評価されていきます。

怖いのは意見の一部分だけが抜き出され、その評価が自分全てになることです。ヘッドラインにされた部分だけで判断されることは少なくありません。

そして、この傾向はもう一つの問題を生みます。

私たちYouthがジェンダーや難民問題にメンションすることは、決して社会問題に取り組もうとしている自分に酔っているわけではありません。「意識高い系」などと揶揄されたいわけでもないはずです。そういう人もいるかもしれませんが、少なくとも僕の知る友人は真剣にその問題を考え、問題にかかわる人に寄り添おうとしている人ばかりです。

でも、そのようにみられてしまいがちな世の中でもあります。特に私たちの様に社会問題に触ろうとしなければ触れられない環境で生活しているYouthがそのように見られてしまいがちなことは仕方ないのかもしれません。もし意見に真剣に耳を傾けてもらえれば間違った捉え方はされないかもしれませんが、実際には難しいものです。

 

冒頭にも述べた通り私は「弱い人」だと思います。

SNSはいろいろやっているものの、真剣な意見発信をしたことはほとんどありません。前述した通り、安易にラベリングされることも怖いですし、評価されることも恐ろしいです。自分を世間の無情な評価にさらせるほど自信も精神的な強さもありません。そのような点で「弱い人」だと考えています。

理想の「強い人」になるにはほんのちょっとの勇気が必要です。自分が今度は勇気づける側に回れたらと思ったことも今回私を動かした一つの要因です。

大学に入学して強く感じることは、個人で対話すると各々から本当に素晴らしい考えを聞けることです。しかし彼らのほとんどが自分から発信しようとはしていません。Youthの意見にこれほど耳を傾けてもらえる時代だというのになんともったいないことでしょうか。

 

僕は特別なにか特定の問題を解決したいとは思っていません。しいて言えば、社会を諦めている空気を変えたい。そのためにはこれからを担うYouthの意見が必要です。

自分の内に秘めている意見を発信するだけで社会は少し良い方向に進むと思います。こんなSNSに縛られた世の中で心の奥底に押しやられた強い熱が必ず誰かに伝わるでしょう。もし意見がないなら、とりあえずほかの人の意見に耳を傾けてみてください。そのリアクションも正真正銘あなたの意見だと思います。

「弱い人」から少し勇気を出して社会を良い方向に動かしませんか。僕の勇気が多くの人の後押しになればと思います。

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