「異国情緒」のすゝめ

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「異国情緒」を愛してやみません。最近、海外物産を販売しているお店で台湾のバナナミルクとアメリカのチェリーコーラを見つけて心躍ったのですが、それをきっかけに、自分の心惹かれるものの多くは「異国情緒」という言葉に集約できる、ということに気づきました。日本にはない配色やデザイン、栄養表示。最近は、海外の有名店が日本に上陸したらすぐにメディアでとりあげられるけど、日本で再生産されたそういうものとはまた違うんですよね。外国の雰囲気がより凝縮されているものを手にすると、もう本当にわくわくしてしまいます。

こういう「異国情緒」の感覚ってなんなんだ?ともう少し突き詰めてみると、グローバル化が進む以前の時代への憧れに近いものかなと思います。モノや人が国境を越えてやりとりされるのが当たり前になった現代は、とても便利だし、今だからこその楽しみも多いですね。でも、たまに我に返って切なくなります。真新しいものに出会う経験、非日常的な体験、自分の国にはないものを見出す発見・・・そういう「未知との出会いの感動」が、グローバル化が進めば進むほど、弱まっていくように思われてしまうのです。たとえば、昔は一枚の絵葉書から想像を膨らませていたような「異国」が、今ではその国の食べ物や音楽、映像などいろいろと情報が手に入るから、決して真新しい存在ではないような、そんな感じ。

 

フランス印象派の作曲家、C. A. ドビュッシーのピアノ作品集のなかに『版画』というのがあって、その中に<塔>という題名がついている曲があります。頭の中にある極東のある場所のヴィジョンをもとに作曲されて、インドネシアのガムランの響きにもインスピレーションを受けたそうです。友人に宛てた手紙の中で、ドビュッシーが、自分で実際に旅をすることはできないから想像するしかない、と書いたと読んだことがあります。限られた情報の中で遠い異国の情景に思いを馳せた彼のこの姿勢に、憧れます。今では集めようと思えば情報が集められるし、行こうと思えば自分で訪れることもできるし、ここまで純粋な「異国」への憧れはあまり考えられない気がします。

 

ドビュッシーが生きた20世紀初頭から今までには多くの変化があって、海外旅行を通じて異文化体験をするのもごく普通のことになりつつあります。だけども、そうやって一般的になりつつあるからこそ、海外に行っても本当の意味で「異国情緒」を感じる機会はかえって多くはないのでは?前もってネットで得た写真や動画などの情報があったり、あとは日本にいながらにして外国人と接する機会があったり、外国に昔ほどの新鮮さを抱かない、とでも言えばいいでしょうか・・。外国ではあるけど異国というほど真新しくはない、というか。

 

そういうことなので、私個人のおすすめは、昼間ではなくて夜の街を歩くことです笑。ほんとうにただの主観なのですが、同じ街を歩いていたとしても、夜の方が「異国情緒」のエッセンスをより感じることができるように思われます。

 

日中は観光客向けの姿が前面に押し出されて「おすまし」していて、観光ガイドに載っている写真とあまり変わらない。でも夜になると、そういうガイドからはわからなかった現地の生活があざやかに見える瞬間がたくさんあるように思います。学校や仕事から開放された人々の自由な姿が映える夜は、ある意味「お国柄」が凝縮された時間であって、本物の異国としての姿が見える。それに惹かれて、自分もゆらゆらと街に溶け込んでいきたくなる、そんな感じです。

 

日中のギラギラ照りつける太陽が沈んだベルリンの夏の夜。建物から外に出ると、まったりした夜気が心地よかったです。日中暮らしている分にはドイツは日本と似通っている部分が多いように感じていたのに、夜になると日本とは違う空気を感じることができるように思えました。もう21時を過ぎているのに、駅の売店はクロワッサンだとかブルーベリーマフィンだとかを販売していて(おいしい)、そこからテイクアウトしたものをモグモグしながらみんな電車を待っている。スーッとホームに入ってきた黄色い電車に乗って、それぞれの家路につく。日本の夜の電車というと、仕事や学校で疲れ切った人々を「運んでいく」乗り物という印象があるのだけれども、ベルリンでは車窓から外を見ていたり本を読んでいたり、なぜだかのびのびしている。巾着型のリュックが流行っているのか、そういうリュックを背負って歩く人を多く見かけたのだけど、日中の暑さの余韻が残る空気の中でそういう軽快な人々を見ていると、日本では感じたことのない開放感を感じました。

春の台北。台北ほど夜の時間が輝いて見える場所はないのではと思っちゃうくらい、台北の夜は生命力で溢れています。夜だからこそ外に足を伸ばしたい、それも思いきりシンプルな格好で街の熱気に身を投じたい、と思ってしまう空気感があります。台北駅周辺の飲食店はデパートの中であっても屋台式のものであっても賑わっていて、商売をしている人も、ご飯を求めて街を歩いている人も、日本人とは外見はかなり似ているのに、彼らの醸し出す空気は日本にはないもの。「異国」の香りを感じるけど、一方でノスタルジックな感じ。中正記念堂付近ではその敷地内でダンスの練習に励んでいる若い男女のグループがいたり、気ままにジョギングを楽しむ人がいたりしました。日本での夜の過ごし方よりももっと自由に人々が時間を「生み出している」気がして、そして、現地の人々の営みが交錯する様子を目の当たりにして、「これが台湾らしさなんだ」と実感しました。

 

こういう「異国情緒」が私にとって最高の栄養で笑、日本でもそういう感覚を大切に生きてます。ちょっとしたきっかけで「異国情緒」に出会った時は、うわーっと嬉しくなります。冒頭のバナナミルクとチェリーコーラもそうです。

 

政治や経済、文化などのあらゆる面で世界はどんどん「ひとつ」になってきているけども、それでもなお「その国らしさ」が息づいている。だから私たちは自分の国にはないものを求めて旅に出るし、想像するし。国によってカラーが違うのは当たり前といえば当たり前のことなのですが、そうした「異国」への憧れや好奇心をあらためて大切にして、それらを存分に生かすことのできる世界になれば・・・と願っています。

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