ハイヒールとフェミニズム

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何年か前、#KuToo というムーブメントが話題になった。女性の「常識的な身だしなみ」の一部として、職場などでハイヒールの着用が実質的に強制されていることを問題視する運動だったように記憶している。常識的な身だしなみとやらには、私も腹が立つ。なんだって毎日ハイヒールを履かされなければならないのか。寝不足の日には、確実に転ぶ。二日酔いの日には、たぶん捻挫する。石畳を歩く日なら、靴が溝にハマるかもしれない。だったらぺたんこ靴を取り出して、事故を未然に防ごうではないか。そういう意味で、立場としては、私も #KuToo を応援するに吝かではない。

だが私は、ハイヒールを履くのが好きなのだ。多少脚が長く見え、スタイルがよくなるのがまず嬉しい。自分に自信が持てる。コツコツ音を立てながら歩いていくのも、なんだかかっこいい気がする。だから、私は #KuToo の理念には共感するくせに、じゃあ社会に押し付けられたそんな靴なんか脱いじゃいましょうと言われたら、断固拒否する。ハイヒール着用の強制が嫌なのと同じくらい、ハイヒール禁止令も嫌だと思う。メイクをするのが女子の常識ですというアレについても、私はここまでの議論をもう一度繰り返す。したほうが自分を好きになれるから、やっているのだ。別に誰に忖度しているわけでもないから、あなたも押し付けられた習慣から自由に、とか言われても、まるで響かない。

何が言いたいかというと、保守的で伝統的で一般的な女らしさを象徴する身なりや行動をしている人が、革新的なフェミニズム系活動に反対しているとは限らない。逆もまた然り。だいたい、基本的にはフェミニズムを応援したいなと思っている私だが、こんな機能的な服があるのにレディースサイズを展開しないのは女性差別だ、みたいなSNSのポストを見て、さすがに言いすぎではあるまいかと気分が悪くなることもある。もともと喧嘩は嫌いだ。

つまりはすべて程度の問題、人それぞれというやつだ。どんな立場を取ろうと、どんな行動を選択しようと、それはジェンダーに関係なく、すべての人の自由だ。誰におもねることもなく、思いっきりやればいい。誰かの選択の自由を侵害したり、誰かに迷惑をかけたりしない限りは。

立場が一貫しないとか、そんなことはあまり気にしなくていい。だって、フェミニズムも #KuToo も、すべての人にとって心地よい社会を目指しているはずなのだから。自分が我慢していては始まらないはず、だと思う。


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