シンガー 遥海さんインタビュー【第1弾】

インタビュー
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こんにちは、VoYJ事務局です。この度、VoYJ事務局は、シンガーの遥海さんにインタビューをさせていただきました。

遥海さんは、「日本とフィリピンでの生活で培った様々な音楽的バックグラウンドと、喜怒哀楽の豊かな感情を声にのせ、日本語、英語を使ってハイブリッドに表現するシンガー」として、1月26日にファースト・アルバム「My Heartbeat」を発表されました。

遥海さんは13歳のとき、日本語がわからないままフィリピンから日本に移住されました。言語の壁につまずき、葛藤した経験を経て、現在では、その高い表現力で多くの人を魅了していらっしゃいます。

ご自身のバックグラウンドを活かした活動と卓越した才能が高く評価され、国連本部でのイベントのテーマソングを歌われたり、SDGsをテーマとするTOKYO MX のTVアニメ「BABY-HAMITANG」の主人公ベイビーハミタンの声優を務めるなど大活躍の遥海さん。

そんな遥海さんへのインタビューの様子を、全3回に分けてお送りします。

第1弾では、遥海さんのバックグラウンドやシンガーを目指されたきっかけ、デビュー曲「Pride」に込めた思いについて伺いました。

遥海さんのプロフィールはこちら
https://www.harumiofficial.com/biography/

 

ーまず、シンガーを目指されたきっかけは何でしょうか?また、遥海さんご自身のこれまでの人生で、歌の力を強く感じられたご経験があればお話しいただけますか?

小さいときから歌の力をずっと感じてきました。フィリピンにいたころは、毎週日曜日に教会に通っていたんです。そこで歌われる歌を聞くなかで、当たり前に音楽を身近に感じていました。

私は三姉妹の末っ子で、頭のいい姉と比べられてプレッシャーになることもありましたが、音楽だけはいつも私のそばにありました。フィリピンから日本に来たときには、言葉がわからず、声を失ってしまったかのような気持ちになっていました。自分の気持ちを言葉にするのが下手で、誰かに悩みを話したところできっとわかってもらえないと感じていましたが、そんなときもそばにずっといて、思っていることを代わりに聞いて共感してくれたのが音楽でした。

言葉だけじゃ足りないことってたくさんありますよね。「ありがとう」や「ごめんなさい」だけでは足りないこと。でも、声は正直だから、その表現で伝えられることがある。

シンガーを目指したきっかけは、しっかりとは覚えていないのですが、気が付いたら音楽が空気のような存在としてあって、きっと自分を探していくなかで自然とそうなったのだろうと思います。

今まで自分が音楽に支えられてきた分、これからは音楽を通して人の心の支えになりたい。

いろんな壁にぶつかっているたくさんの人を、次は私の音楽で支えられたらと思います。

 

ー幼い頃から教会に通っていたことが、音楽に親しむきっかけになっていたのですね。フィリピンにいたころは、どんな曲を聞かれていましたか?

フィリピン人は歌がうまいとよく言われますが、フィリピンではどこにでも、常に音楽があります。スーパーマーケットでも、バーでも、道でも歌っている人がいっぱいいます。私のいとこもベランダでよくギターを弾いていました。アメリカン・チャートなどが身近に流れている環境だったので、ホイットニー・ヒューストン、マイケル・ジャクソン、ABBAなどをよく聞いていました。本当に、すぐに手に届くところにいつも音楽があって、家にもマイクがあったくらいです。

姉が音楽番組を見るのが好きだったこともあり、小さいときから本当にいろんなジャンルの音楽を聞いてきました。でも、一番好きだったのはホイットニーです。

 

ー音楽が特別なものというよりは、空気のように当たり前にそばにある存在だったんですね。ホイットニーのどんなところがお好きだったんですか?

「魂の叫び」のようなところです。以前からそういう感覚があったのですが、彼女のドキュメンタリーを見たときに、ホイットニーでさえ迷子になることがあったんだなと知り、共感しました。みんな、答えを探しながら生きていますよね。でも、答えが見つからず、どう進んでいいかわからない時がある。私も、信じて進んでも、求めていたところにたどり着けず、不安になることがあります。ホイットニーの声にはそういう気持ちにも共鳴する素直さを感じるんです。

 

ーバックグラウンドについて、さらに深くお聞きしたいと思います。遥海さんのデビュー曲「Pride」には、力強い言葉をメロディに乗せて、理性と感情のどちらにも訴えかける力があると感じます。遥海さんがご自身の言葉やアイデンティティにプライドを持っているからこそできる伝え方だと感じたのですが、言葉ひとつひとつの粒だった表現には、遥海さんが日本に来た当時に言語で苦しみ、そして一から獲得したというご経験が影響しているのでしょうか?

日本に来て文化に触れ始めて一か月も経たない頃、私の日本人のおじがスペイン料理店に私を連れて行ってくれたときの出来事が大きかったんです。日本語がわからず、お箸の使い方もおぼつかない頃だったのですが、店員さんに「あなたハーフでしょ。日本語ができないと、ハーフって胸を張って言えなくない?日本人の父親に失礼じゃない?」と言われたんです。その言葉がすごく胸に刺さりました。確かにそうかもしれないな…と。そこから、プライドをちゃんと持って、言葉もできるようになろうと。プライドを持っていないと、進んでいけないなと思ったんです。

「Pride」という曲はTomoLowさんとYui Muginoさんが作ってくださった歌なんですが、ちょうどこの曲に出会ったころは、歌うことがいやになっていた時期だったんです。それまで自分は歌うために生まれてきたと思ってきたのに、歌う意味がわからなくなるアイデンティティクライシス(アイデンティティの危機)にぶつかって。環境や状況がうまくいかない時期だったから、何もかも投げ出して逃げたいと感じてしまっていました。

そんなとき、まだデモの状態で「Pride」を聞いたんです。その時、「現実から逃げたくなるのは、自分の心を守りたかったからなのかもしれない」と気づきました。音楽をやっていく中で、常に肯定してもらえるわけでもなく、当時は「何をやっても間違っている」と思ってしまっていたんです。でも、あのアイデンティティクライシスは「Pride」を歌うためにあったんだと思えるくらい、この曲はパワーをくれました。歌うにあたって、心を強く守っていこうという思いで、歌詞一つ一つを内面化していきました。この曲は、そういう経験をした私にしか歌えない、そう思って歌いました。それがデビュー曲になり、何かに導かれていたのかなと感じます。

今でも「Pride」という曲は自分にとって一番大事な曲の一つです。改めて自分のやりたいことや自分の気持ちに気づき、自分を見つけることができたのは、「Pride」のおかげだと思っています。

 

遥海 -『Pride』

 

ーありがとうございます。遥海さんの歌声を聞いて、私たちも勇気づけられます。

ありがとうございます!嬉しいです!

音楽って、本当に面白いですよね。日本語がまだできないときでも、日本語の曲を聞いて「ああ、この人はさみしいんだな」とか、気持ちがきちんと伝わってきました。音楽も一つの言語だと思っています。

 

いかがでしたか? 

私は、自分を見つめ、困難な状況を乗り越えてこられた遥海さんの、「自分が支えられてきたからこそ、次は私が歌で人の心の支えになりたい」という言葉が胸に響きました。

第2弾では、遥海さんご自身の​​アイデンティティのお話、楽曲「weak」と「声」、コロナ禍での変化、遥海さんの歌への思いについて、第3弾では、SDGsをめぐる活動やニューアルバムについても伺います!

お楽しみに!

(by サクラコ萩野聡子

 

遥海 1st アルバム「My Heartbeat」

CD購入:https://harumi.lnk.to/MyHeartbeat
ダウンロード・ストリーミング: https://VA.lnk.to/f0hx4I


 

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