明け方の若者たち

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カツセマサヒコ氏の小説を原作に、映画化もされた『明け方の若者たち』。その映画は、一昔前に「若者」だった人ならばきっと愛した音楽に満ちていました。駒場東大前駅も含まれる井の頭線沿線を舞台に、運命的に惹かれあい、めくるめく青春の輝きに満ちた5年間を過ごした男女の物語です。

大学4年、春、明大前。早々と内定が決まった学生が集まって開かれた「勝ち組飲み会」に参加してしまったものの、その雰囲気にうんざりしていた“僕”は、片隅で1人、静かな雰囲気を醸し出す“彼女”に一目惚れする。飲みの席を早々と去ってしまった彼女から届いた一通のメッセージ「私と飲んだ方が、楽しいかもよ笑?」が、“僕”の人生を一変させた。2人で飲み直した明大前のくじら公園。初めてのデートで待ち合わせた下北沢のヴィレバン。2人の城を手に入れた高円寺の安アパート。下品に振る舞ってみせても隠しきれない品がある“彼女”に、“僕”が出会ったことのない世界を見せてくれる“彼女”に、“僕”はますます惹かれていく。思い描いていた社会人生活が送れなくても、“彼女”との日々があれば幸せだった。この「マジックアワー」がいつか終わるものだと分かっていても…。

というのがあらすじです。

 

小説に象徴的に登場するのが、キリンジの『エイリアンズ』。

初めて一夜を共にした翌朝、“彼女”の目覚ましとして流れてきたのがこの曲でした。

まるで僕らはエイリアンズ

禁断の実ほおばっては 月の裏を夢見て

キミが好きだよ エイリアン

この星のこの僻地で 魔法をかけてみせるさ

いいかい

まさに前夜、そうとわかりながら「禁断の実」を分け合った“僕”と“彼女”に相応しい曲です。ここで目を覚ましていれば、5年後に耐え難い苦しみを味わうことはなかったでしょう。それでも、2人は人生の「マジック(魔法)アワー」を共有することを選びます。

言わずと知れたJ-POPの名曲ですが、上品で寂しくて美しく、自分だけがその良さに気づけたような気がするのに、その実誰もが惹かれている。まるで“彼女”のような曲だと思います。

 

他にも、映画ではたくさんの歌が2人の人生を彩っていました。印象的だった2曲を紹介します。

日々あなたの帰りを待つ ただそれだけでいいと思えた

赤から青に変わる頃に

あなたに出会えた この街の名は、東京

日々あなたを想い描く ただそれだけで息をしている

馬鹿げてる馬鹿げているけど

あなたをみつけた この街の名は、東京

きのこ帝国の『東京』です。

“僕”の出身は東京で、実家暮らしをしていましたが、地方出身で暇さえあれば地元に帰ろうとしてしまう私にとって、この曲の歌詞はとても刺さります。さすがにここまで依存する「あなた」はいませんが、東京に出てきた意味を考えるとき、その価値は「出会い」に集約されると思います。

男子・関東出身者に学生が偏っていることがたびたび問題になる東京大学であっても、多様な出身を持つ人々と知り合うことができました。地元に残っていれば出会えなかった人々と当たり前のように会話していることに、ふと不思議な気持ちになります。地元に帰って実家の自分の部屋で本を読んでいると、東京での暮らしは嘘のように思えてしまいます。きっと地元で就職をすれば、知り合った人のほとんどとは疎遠になって、「そんな人もいたな」と懐かしむ存在になるのだと思います。それでも、この曲を聞けば、東京で青春時代を共にした、大切だった人々を、一瞬、鮮明に思い出すことでしょう。

 

もう1曲は、薄暗い明け方の空をバックに流れてくるエンディングテーマ、マカロニえんぴつの『ハッピーエンドへの期待は』。

「残酷だったなぁ人生は」思っていたより

いま君に会って思いきり泣いてみたい

Ah 終わりは何も告げず始まった

朝が来ない部屋で燃やした恋も

井の頭の夕日は僕らの影を掴む 

大人になりそびれた哀れな影たちを

これ以上ないほど満足感のあるエンディングだったので、映画を観たことがない方は、できれば一旦この歌詞を忘れて、この曲が流れてくる瞬間の感動を新鮮に味わってほしいです。物語のように始まった2人の恋は、突然、でも、劇的とは言えない終わりを迎えます。「終わり」の始まりはどこだったのか。きっと、目覚ましで目覚めなかったあの朝、2人の恋が始まった日だったのでしょう。井の頭線沿いで生まれ、育まれた2人の恋を象徴するような1曲です。

 

まだ大学3年生の私が言うのは背伸びをしているようですが、10年後にこの小説を読み返したり、映画を見返したりしたときに、きっと「今」を思い出す作品なのではないかと思っています。サークルの練習の後に訪れた駒場東大前のサンドイッチ屋さん。飽きるまで恋バナをした下北沢のカレー屋さん。気づいたら何時間も居座っていた渋谷のサンマルク。何だか食べ物多めになってしまったような気もしますが(笑)、何を話したかなんていちいち覚えていない、大人になれば消えてしまう、大学生だけが赦されている「時間を無駄にする」ことを思う存分にやり遂げた場所を、ふと思い出すような気がしています。

 

たびたび触れた「マジックアワー」とは、“僕”の親友が、23〜24歳(つまり、“僕”と“彼女”が高円寺で過ごした日々)の、体力も時間もお金もあるのに、その幸せに気づかずにもがくふりをしていた時間を振り返って呼んだ言葉です。

おそらくマジックアワーとは、特定の年齢を指しているわけではないのだと思います。これはきっと、人生で一番輝いていたと思える時間を指す言葉です。「今」だと思うならば今だし、「これから来る」と思えていれば未来に置かれているし、「過ぎ去ってしまった」と思えば過去のものになる。“僕”にとっては、“彼女”と過ごした5年間がそこに位置していた。それは美しいことだと思います。

 

「私のマジックアワーはどこにあるのだろうか」と、この作品に触れるたびに考えます。今なのではないかと思っていますが、未来にもっと輝かしい時間があるならば嬉しいです。


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