小さな町の一角に、クリーム色の、かわいらしいお店があります。パン職人のもっちーさんが営む、「もっちーのパン屋」です。星くずを散りばめた「きらきらメロンパン」、わたぐもをねりこんだ「もくもく食パン」。すてきなパンがいっぱいなので、世界中からお客さんがやってきます。
もっちーさんは毎日大忙し。朝早く起きて準備をし、パン生地をこねはじめます。夜も、仕込みとパンの勉強を欠かしません。
「もっとおいしいパンをたくさん作って、お客さんに喜んでもらうんだ」
もっちーさんはいつもそう言っていました。
ある朝のことです。いつものように厨房に立ったもっちーさんは、大変なことに気がつきました。
「なんてことだろう! パンの作り方がわからなくなってしまった!」
あわててノートを取り出して、レシピを書き出してみます。材料と分量はよし。生地のこね方と寝かせ方も大丈夫。焼き方も焼き加減も、しっかり覚えています。
「ううん。いったい何を忘れてしまったんだろう。全部覚えているはずなのに、どうしてもいつものパンが作れない……」
朝日が顔を出し、もうすぐ開店の時間になります。もっちーさんはお店のドアに「本日お休みします」と紙をはって、しょんぼりと自分の部屋に戻りました。
しかし、次の日になっても、もっちーさんはパンの作り方がわからないままでした。レシピを見ながら作ろうとするのですが、どうしてもうまくいきません。次の日も、その次の日も、お店はお休みになってしまいました。
「どうしよう。パンを焼けないパン屋さんなんて。もうお店をやめてしまおうか……」
ため息をついたちょうどそのとき、とんとん、と戸をたたく音が聞こえました。
ドアを開けると、よくおばあさんとおつかいに来る、にこちゃんが立っていました。
「ごめんね、にこちゃん。もうお店はやっていないんだよ」
もっちーさんがあやまると、にこちゃんは悲しそうな顔をしました。
「おばあちゃんが病気になっちゃって、ここのパンをおみまいに持っていきたいの」
「それは大変だ! おいしいパンを食べて、早く元気になってもらわなきゃ! ……でもパンを作れなくなっちゃって、どうしよう?」
もっちーさんは、はっと息をのみました。
「そうだ! 作れないだけで、材料もレシピもわかるんだ。教えてあげるから、にこちゃんが作ってみないかい?」
ふたりは、おそろいのコック帽をかぶって、厨房に入りました。まず、小麦粉をふるいにかけてさらさらの粉にします。それから、バターや卵と一緒に、しっかり混ぜていきます。
「おいしくなあれって、心を込めて混ぜてあげてね」
「うん! おいしくなあれ、おいしくなあれ」
にこちゃんが一生懸命となえます。もっちーさんも声をあわせていました。
生地を寝かせたら、今度はちぎってまるめます。
「おいしくなあれ、おいしくなあれ」
指先からふたりの心が伝わって、パン生地はほんのりピンク色に染まりました。
「わあ! あったかい、きれいな色!」
「ふふふ。パンが喜んでいるんだよ」
もっちーさんの心もはずみました。
「さあ、焼いていくよ! それ!」
熱々の石窯は危ないので、もっちーさんがパンを入れます。炎がぱちぱち音を立て、お店の中いっぱいに、あまずっぱい香りが広がります。
「うわあ、いいにおい」
ふたたび石窯を開けると、中のパンは、ハートの形にふくらんでいました。にこちゃんがチョコレートで顔を描いたら、元気が出る「にこにこパン」の完成です!
「わーい、いただきまーす!」
さっそく、焼きたてのパンをほおばります。なんておいしいんでしょう。ふたりは顔を見合わせてにっこりしました。かめばかむほど、幸せな気持ちが広がり、体の奥から元気がわいてきます。「もっちーのパン屋」らしい、すばらしい味でした。
「もっちーさんありがとう! おばあちゃんに届けてくるね!」
「気をつけていってらっしゃい。またおいで」
もっちーさんは、手を振って、にこちゃんを見送りました。それから、ドアにはっていた紙をはがしました。
「にこちゃん、大事なことを思い出させてくれて、ありがとう」
見上げた空には、にこにこパンの形をした雲がひとつ、浮かんでいました。
VoYJ運営部員、東京大学UNiTeメンバー。小説を書くのが好きで、将来の目標は小説の力で平和な世界を作ること。「作者は読者が納得したのであれば、どのような解釈であれそれでよしとしなければならないのです」という祖父の言葉を座右の銘に、日々修行しています。広島県出身で、地元の自然豊かな風景が自慢。