国連障害者権利条約(CRPD)締約国会議サイドイベントに参加しました! 【第1弾】「言葉にならない」から学んだこと

イベント
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こんにちは! VoYJ事務局です。

6月18日、国連障害者権利条約締約国会議の一部として国連障害者権利条約(CRPD)締約国会議サイドイベント「災害時・人道危機時の心のウェルビーイングと精神障害の包摂」が開催され、ボイス・オブ・ユース JAPAN事務局から、岸野桜子、萩野聡子、影山舜の3人がユース代表として参加しました。
3人がイベントを通じて感じたことや「精神障害」や「災害」について考えていることを、全3回に分けてお送りします。

第1弾は、文化や芸術を用いて「誰一人取り残さない」世界を目指す活動を展開している学生団体、UNiTe元代表の岸野桜子さんの記事をお届けします!

こんにちは! 6月18日、国連障害者権利条約(CRPD)締約国会議サイドイベント「災害時・人道危機時の心のウェルビーイングと精神障害の包摂」において、若者の好事例を発表させていただきました、UNiTe元代表の岸野桜子です。このような素晴らしい機会を与えてくださった、UNITAR、東京大学KOMEX、その他多くの協力機関、協力者の皆様と視聴者の皆様に深く感謝申し上げます。

 

国連障害者権利条約(CRPD)締約国会議サイドイベント:https://youtu.be/nwVAcQvL1i8

 

May J. さんによるテーマソング:https://youtu.be/UNazWJS-EJ0

 

 

さて、わたしは今回のイベントで、

・属性にとらわれずに心を通わせる力をもつ、文化、芸術作品の可能性

・個人、地域、国家、国際、全てのレベルで安心、安全が確保されることの大切さ

の大きく2つについて、VoYJの例を上げながらお話しさせていただきました。この発表を通して考えたことについて、綴らせていただきたいと思います。

 

① わたしの「言葉にすることもできなかった」経験から広がっていった世界

発表原稿を考えるにあたって、思い出したことがあります。VoYJ事務局に入ってから、ちゃんと自分の記事を出せるようになるまでのことです。

わたしは今ではVoYJに童話や詩を載せさせていただいていますが、わたしが文化、芸術作品のパワーに魅せられ始めたのは、VoYJ事務局に入って、半年以上経ってからでした。

もともと文章を書くのは大好きで、小説家になりたいという夢も持ち続けていましたが、全く自信はありませんでした。最初の頃VoYJに書いた記事も、「本当はこんなことが言いたいわけじゃないのに。」と思うものになってしまったり、一度編集部に見ていただいたあとに、「ごめんなさい、やっぱりこの記事は取り下げたいです。」とお願いしたりしたこともありました。書くことを何よりも愛している人間が、自分の思っていることをちゃんと文章にすることができない……。自由に言葉を操って表現している周りの人たちがうらやましくて、自分のことが嫌になってしまったこともあります。VoYJの事務局にいながら、すっかり臆病になってしまって、「素直な声を出すってわたしには難しいかな。できるようになるまでは人に読んでもらうことはやめよう……。」なんて立場と矛盾する思いを抱えたりもしました。

転機が訪れたのは、大学2年生になった4月のことでした。本当にささいなきっかけで、VoYJの運営部の友達に、わたしの書いた童話『ひょっとこ』を読んでもらうことになりました。他の人に読んでもらって感想を聞くなんて、恥ずかしい……。そう思っていたところ、友達から返ってきたのは「え! これすごい好きなんだけど! サクラコってこんなこと考えていたんだ!?」という想定外の反応でした。嬉しくて、早速推敲して、編集部に記事を出しました。その時にもまだ、「こんなボイス、他にないし載せるのは難しいかな……。」と思っていましたが、誰からも否定の言葉はなく、わたしの童話はひとつのボイスとしてホームページに並びました。

そのときに気がついたのです。それまでわたしは、記事ってこうあるべき、と勝手に決めつけて、その枠に自分の言葉をはめられなくて困っていただけだったのです。自分を本当に出せる形があるのだと教えてくれた、わたしの原点とも言えるような、貴重な経験でした。

その後、知人から感想をいただいたことなどが自信となり、そこから、さまざまな方––––スピーチでも触れさせていただきましたが、精神障害の方も含む、本当に多様で素敵な方々––––との作品の交流が始まりました。詩、小説、ショートショート……。作品世界に没頭しているとき、わたしは自分の魂が文章の間を泳ぎ回っているような気分になります。作品世界にいるとき、作者がどんなカテゴリーに属する人かなんてちっとも考えません。ひとりの、同じ表現を楽しむ人。面白い世界を見せてくれる人。そう思います。そして、全て読み終わってページを閉じたとき、余韻を感じながら、作者と自分の心の距離がぐんと近くなったような、不思議な感覚に包まれるのです。

はじめはちっとも言葉にすることができなかったわたしでしたが、自分の形で作品を出すということを経験させてもらってから、文字通り世界が開けたような気がしました。文章に限らず、日常生活とは少し違った視点を与えてくれる、文化、芸術……多様な表現方法は、インクルーシブな社会の実現に大きな役割を果たしてくれるのではないか、そう思いながら、物語を書き続けています。

 

② 安心できる場所、安全な場所

また発表原稿のことに戻りますが、実は当日までに何回も書き直しましたし、直前でもまた、大幅に変更することになりました。自分の言いたいことを、説明したくてもうまく言えない……。本当に伝えたいことってなんだろう? 言葉が大好きな人間が、また言葉につまずいて、原稿の相談をしながら、なにひとつ言葉が出てこなくなって……あまりに自分が情けなくて、泣きそうにもなりました。

でも、そこでわたしが触れたのは人の優しさでした。たくさん相談に乗って、アドバイスをくれた友達、ねばり強く待って、わたしの言葉を引き出してくださった先生。

そのときわたしは、Safety and Securityってきっとこういうことなんだ、と思いました。“包摂”も似たような形かもしれません。もしも、わたしに言えるって信じて待ってくれる人がいなければ。もしも、「できないなら無理しなくていいよ。」「言葉にならないなら、今回は難しいかもしれないね。」そう言われていたら……。わたしの言葉は、永遠に出てこないままだったかもしれません。それどころか、自分のちっぽけな言葉たちにおびえて、これから先の機会まで逃してしまっていたかもしれません。

伝えることができる。そう信じてくれる人がいなければ、どうして言葉を発することができるでしょうか。以前、脳性麻痺のある方が「障害を持っているということでどんどん機会を奪われる」とお話をされていました。身体障害だけでなく、精神障害でも、同じようなことがあるのではないかと思います。「言えない、できない」と決めつけられて、耳も傾けてもらえなければ、どんなに声を上げたところで、誰の心にも届きません。

声を上げることが常に一番だとは思っているわけではありません。表現しないということも表現のひとつです。しかし、いつでも待ってくれていて、声を上げることができる場所、受け止めてくれる場所、それは常に、誰にとっても保障されるべきだと思います。

「あなたには声があるって信じているから。届けてくれたら、受け止めるから。」

そうやって常に扉が開かれていたら、どんなに安心できるでしょうか。平時でも非常時でも、その人がどんな人であっても、です。もちろんその声は、一定の型にはまる必要はありません。そしてわたしは常に、そんな扉を開き続けたいと思います。

無視されたり攻撃されたりせずに、言いたいときに声を上げることができる。安全な環境で安心して声を上げることができてはじめて、同じテーブルで会話を交わすことができるのだ、そう思っています。

 

「本当の意味で誰もが尊重される未来を作るために、何ができますか?」

人権について考えるようになってから、ずっと問い続けている言葉です。

わたしはもっと多くの人の声に触れる必要があり、そしてもっと、自分の言葉と向き合う必要があります。だけれど、今回のイベントを経て、自分自身としても一歩、大きく前に進めたような気がします。

きっかけをくださったイベント主催者、関係者のみなさま、先生、UNiTe、EMPOWER、VoYJのみなさま、そして、最後まで読んで、何か感じてくださったあなたに、心から感謝しています。みなさんの声も、ぜひ聞かせてください。




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