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国際女性デーボイスリレーの一端を担うこの文章においては、あえて女性から一般のアイデンティティに焦点を拡大して現代の格差問題を考察してみようと思う。
社会的に抑圧されていたり、不当に差別を受けている集団があるとすれば、彼らの権利を訴え、地位を向上させようとする運動は当然必要である。格差が自然と埋まるような構造を社会は有していない。むしろ、誰もが見て見ぬふりをし続ければ事態は悪化する一方である。ただ、その活動がある程度功を奏し、「彼らの地位を向上させる必要がある」という認識が(行動を伴うかどうかは別として)ある程度世間に広まると、彼らの権利を訴える活動はかえって逆効果になる可能性をはらんでいる。これは飽くまでそういう側面があると言っているだけであり、その活動自体には依然として価値がある。「彼らを守らなければならない」という意識は、自分と同じ地位にある人々に対して抱くものではない。それはつまり彼らを弱者だとみなしていることであり、彼らの自立を妨げるものである。ある集団の特定のアイデンティティに注目しすぎることは、彼らの人としての複雑性を見失うことにつながりかねない。
話を女性の問題に戻すと、女性を解放する方法の一つとして、彼女たちの女性以外のアイデンティティに注目することや、逆に男性が抱えている問題に着目することが考えられる。我々は、女性というアイデンティティを相対化する段階に入っている。

科学と哲学の両輪で世の役に立つ技術を。理科一類一年、陸上運動部
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