無力感に苛まれながら。〜ネパールで出会ったロヒンギャ難民の話〜

ボイス
7+

2019年9月、ネパールのカトマンズ。

 

舗装されていない急斜面を上った先で車が止まった。

降りて辺りを見回すと道路を塞ぐ水溜りができていたが、カラフルに塗装された3〜4階建ての家がいくつもあった。屋根からはヒンドゥー教の寺院によくかかっているタルチョ(5色旗)がかかっていた。

ここに住むロヒンギャ難民って、もしかしたら比較的良い暮らしをしているのか…..

そんなことを考えながらついていくと、きれいな家の裏にトタン屋根の並んだ一角が急に見えた。「ここか」と思った。

その日の午前中は雨で、土嚢を積み上げて作られた階段を滑らないようにゆっくりと降りた。

家の間を進んでいき、木の板に手書きでofficeと書かれた部屋に案内してもらった。

簡単な机と椅子だけが置いてあり、大きな窓から見える景色はこのトタン小屋が急斜面に作られていることを十分に伝えてくれた。周囲の山肌には地滑りが何度か起きた形跡も見られた。この部屋で私たちは8人ほどのロヒンギャの男性からネパールに来てから独学で学んだというネパールの言葉で話を聞いた。

彼らはミャンマーの西側からバングラデシュに入りそこからインドへ渡りネパールまで来て、一番はじめの人は2012年にカトマンズにたどり着いた。

その過程は壮絶で、ある一人がなたで襲われて腕で頭を守ったときにできた傷跡を見せてくれた。病院でまともに治療も受けられず、自然に傷口が閉じるのを待つしかなかったようである。

 

※過激な写真を伴います
苦手な方はご注意下さい

 

 

 

 

 

カトマンズに到着した当初はUNHCRの保護によってアパートで暮らしていた。しかし、UNHCRからの支援が途絶えて、2015年には個人的に地主と2年契約をした(どちらが先なのかはわからない。地主との個人契約をしたからUNHCRが支援を縮小した、あるいは管理下に置けなくなったのかもしれない)。2年間で48万ルピー(1ルピーは1円と換算できる)の土地代だそう。それが今回訪れた土地で、当初は17戸の家があった。今は45戸の家が並び、そこに78世帯、162人が暮らしている。1戸の家に複数世帯が住んでいるとのことで、布などで家族ごとのスペースを区切っているそうだ。

 

仕事については、定職はなく不安定な日雇いの仕事をしている。連絡が来て仕事をもらって働きに行くが、最初の口約束とは違った形でただ働きをさせられるケースも多く経験しているという。2018年に15人の成人男性を連れて片道3時間かかるカブレ郡まで出稼ぎに行った。オファーがあった時点では報酬39万ルピーで、それに加えて一人当たり日給が800〜1500ルピー(スキルに応じて変わる)という内容だった。これで家賃が払えるとそれを信じて出向いて3ヶ月働いたのに、仕事が終わってからお金はもらえず、連絡が取れなくなってしまったという。警察に届け出ると「就労ビザがないのになぜ働いたのだ」と逆に責められ、難民であるというUNHCRから発行された証明書を見せると、「難民はいろいろなところから支援をもらっているのに働いて仕事を奪うな」と言われる始末だったそう。

 

この土地の家賃については、先述の通り2年間で48万ルピーだが、収入が不安定ななかでこれを調達することは難しく、私たちが訪問した時には支払いが2週間後に迫っていた。しかしまだ3万ルピー弱しか集まっていないとのことだった。

 

故郷を追われた上に、やっと根をはった場所からも地主に追われてしまうかもしれない。

そこで暮らしていけたとしても、彼らは雨が降ったら地滑りが起きて家ごと流されてしまうリスクが伴うような危険な場所で、細々と生活をしていかなくてはならない。

「取り残される」とはこういうことなのかと痛感した。

(※UNHCRからの支援が全くないわけではないが、いい関係は築けていないようである。現在UNHCRから受けている支援は教育費の一部と証明書のみだそう。)

 

訪問の最後に以下の写真のような一枚の紙を渡された。

私たちの訪問日(2019年9月18日)と書かれた経済的援助の嘆願書であった。そこには英語で、「土地代を10月2日までに支払わないと追い出されてしまうのですが、この法外な額を自分たちで賄うことができないので援助してください。」ということが書いてあった。近所の人に英訳をしてもらって印刷してもらったそう。

気持ちばかりの数千ルピーは置いていったが、彼らの期待に十分に応えることはできなかった。それでも彼らはありがとうと言ってくれた。そして日本できちんと自分たちのことを伝えて欲しいと。

 

無力感を感じた。

彼らはすぐに45万ルピーが必要だ。

私は日本に帰国して記事を書いている。私がこの記事を書いても彼らに還元されるものはない。ネパールに行く代わりにそれにかかった費用全額を寄付した方がよっぽど彼らのためになる。貯金を投げ打ったら少しは足しになるだろう。誰かのためになることをしたいと言いながらそれをしない、できない自分はなんなのだろう。

 

私は「いつか」彼らのような人たちを減らすために今学んでいる。

彼らは「今」助けを必要としている。

 

私はまだ学生。

今できることをしよう。

今の私は書くしかできない。

 

一方で、それは逃げるための言い訳だと囁く自分もいる。

本当なら書く以外にも自分ができることはあるはず。

「できること」の限界を決めているのは私だ。

でも私にはその勇気がない。

行動力がない。

覚悟がない。

 

もちろん、それを言い出したらキリがないことはわかっている。

でも「そんなの言い訳だ」の声は私の中でこだまする。

 

誰かのために、という気持ちはなんと脆く難しいのだろうか。

 


「VoYJこの日なんの日特別企画 世界難民ウィーク」Youth×UNHCR for Refugees 企画ページはこちら

7+