-突然ですが、アボリジニーって単語を聞いたことがありますか?-
こう質問すると、多くの人からは、あ、聞いたことある!という反応が返ってくるのではないか。あっ、高校の地理で習ったような…どこかの国の民族…だよね?
-では、アボリジニーはどこの国の人かわかりますか?-
これはどのくらいの人が答えられるだろうか。あれ、名前は知っているけど国はどこだっけ…?何となく中南米っぽいな…こんな反応が返ってきそうである。
答えを言うと、アボリジニーとはオーストラリアに住む原住民のことだ。
ちなみに僕はつい最近まで彼らがアフリカにいる民族だと信じていた。
こんなことを偉そうに語れる立場ではない。
僕が彼らを知ることになったのは、今から約一年前に遡る。
僕は大学のプログラムで春休みにオーストラリアの首都キャンベラにあるオーストラリア国立大学(ANU)というところに2週間ほど滞在した。
これは2週間ほどかけて現地の大学で授業を聴講し、現地の学生と交流することを通じて、英語のスキルを向上させるだけでなく、現地の社会や文化を学ぶことも目的としたプログラムである。
一応僕の参加した年のテーマは「環境問題」であったが、プログラムの中ではオーストラリアの「文化」や「政治」など様々なテーマが扱われ、実際に戦争記念館や国立博物館、美術館など様々な場所を訪れた。
その中のテーマの一つに「アボリジニー」があった。
現在は多文化主義政策を展開するオーストラリアであるが、1973年に移民制限法が廃止されるまで、ずっと白豪主義と呼ばれる移民制限政策がとられ移民が制限されてきた。
この政策によって主に制限されてきたのはアジア系移民であるが、「白豪」という言葉から分かるように原住民たちもまた同様に、徐々に社会的に阻害されていった。
そしてこうした過去を持つ国で原住民について学ぶことは非常に意義のあるものだった。
実際にプログラムの中では、Jigamy Farmという施設を訪れた。この施設はアボリジニーの人たちを雇うこと、そしてアボリジニーでない人々に対してイベント開催などを通じてアボリジニーに関して知ってもらうことを目的としている。
ここでアボリジニーであるこの施設の施設長さんのお話を聞いたのだが、その中で最も心に残った言葉がある。
Farmの施設を紹介していただいて、最後にある部屋に学生が集まって施設長さんのお話を聞いていた時のこと。
施設長さんは1の質問に対して10くらいの返答をされるような、陽気な中年の女性の方だった。
ただ、その話の内容は彼女の性格とは対照的に深刻なものだった。
彼女は自分たちアボリジニーの抱える問題は、10%がNegative Imageで残りの90%がTraumaだと言い張る。
Negative Imageとはアボリジニーという集団に属している人間が、貧困や家庭内暴力などのマイナスのイメージと結びつけられて考えられてしまうことだ。
彼らは白豪主義が廃止された今でも依然として社会的な隔たりを感じると言う。
貧困家庭で教育を受けられない子供が貧困に陥るように、それが何十年も続けばそのうちに共同体そのものと貧困が結びつけて考えられてしまう。
一方Traumaとは、かつてアボリジニーが入植者から受けた残虐な仕打ちを伝え聞くことで、実際に自分は経験していないのにアボリジニーの人たちが恐怖心を感じてしまう状態のことらしい。
この2つこそが、アボリジニーの抱える問題だと彼女は主張した。
そして1時間ほどしていよいよお暇する時間になった後、最後に質問の時間が設けられた。
そこである学生がおもむろに手をあげてこんな質問をした。
-アボリジニーの人たちが、社会の人たちに求めるものとは何ですか?-
僕も返ってくる返答を予測した。
これだけ貧困、差別の話が出たし、社会的な支援を何か求めるのだろうか。或いは何かしらの積極的な優遇政策を求めるのかもしれない…
ところが、それに対する施設長の答えはいたってシンプルだった。
-Just walk with us! –
ただ自分たちのことをちゃんと知ってもらう。それだけでいいから。
そういう思いがこもっていた。
それが衝撃だった。
現在、アボリジニーはオーストラリアの社会全体の約2%を占める。
今では都市に行けば色々な企業にもアボリジニーの人たちがたくさんいる。
一見、彼らは差別を受けていた時代とは違い社会の一員として平等に組み込まれているかのように思われる。
だけど実際には心の片隅で、やっぱり現代社会でも疎外感を抱いているのかもしれない。
僕たちがどう思っているかなんて問題じゃない。彼らがどう感じているかが問題なんだ。
そして僕たちに求められているのは、金銭援助でも同情心でもない。
ただ彼らの話を聞き、正しく彼らを知ろうとする姿勢を持ち続けることだ。
そう思った。
帰国後、アボリジニーと同じように他の国でも迫害を受けている人がいないものか考えてみた。
そこで1週間程度、大学の図書館で何冊か同じような本を読み漁った。
その中で辿り着いたのが、“難民”だった。
本を読む中で、日本では極めて難民認定数が少ないこと(衝撃的なことに毎年1万人程度の申請者のうち認定されるのはわずか50人にも満たない)、日本では難民に対する教育が普及していないことなど様々なことを知った。
そして自分はまた彼らをテレビの中の報道でしか知らないことも実感した。
僕は難民を知っているつもりになっていないか。
彼らもアボリジニーの人たちと同じように日本社会で疎外感を感じているのではないか。
支援しよう、とか援助しよう、とかそんなことは考えなくて良い。
僕にはそんな立派なことはできない。
でも“Walk with us”することくらいならできるかもしれない。
そう思って、僕は難民支援を行う学生団体の扉を叩いた。
この学生団体に所属して1年になるが、この学生団体の活動で一番やりがいを感じているのが、難民の両親を持つ子供たちと関わる時間だ。
学生団体では毎週土曜日の夕方に、難民の両親を持つ子供たちに勉強を教える活動をしている。
とはいっても実際には、大抵は子供たちと閑談に興じ、和気藹々とした時間を過ごすのがお決まりになっている。
子供達はいつもとても明るい。キラキラした目で「せんせい!こんにちは!」と教室にいつも駆け込んでくる。
授業時間が終わると「せんせい、またらいしゅうね!」と走って帰っていく。
一見日本人の子供たちと同じように生活しているなぁと思う。親が難民というバックグラウンドにあっても子供達には意外と関係ないのか。いや、子供だから考えないのか、或いは親が話さないようにしているのか。
でもそんな子供達から時々不意をついて出る言葉に驚かされることがある。
「わたしのこくせきってなに?」「そういえばらいげつ、くににかえるんだよね」
会話の中でふとこういう話が出てきた時、自分はどう返答して良いのかわからない。大抵はそうなんだ、と笑ってごまかしてしまう。
日本人と同世代の子供がそんなことを考えさせられる現実に胸の痛む思いがすると同時に、一見見て取れるほど、彼・彼女たちが抱えている問題は小さなものではないことを知る。
“Walk with us”することは、思っているよりも難しい。
でもそうあろうと努力し続ける姿勢を忘れないようにしたい。
ちなみに来たる6月20日は世界難民の日である。当日はさっぽろテレビ塔や東京スカイツリーなど全国の20以上の場所が、「平和」や「希望」を表現する青色にライトアップされる。
この機会に是非一度あなたも“Walk with us”してみてはいかがだろうか?
「VoYJこの日なんの日特別企画 世界難民ウィーク」Youth×UNHCR for Refugees 企画ページはこちら
東京大学法学部3年。難民支援を行う学生団体J-FUNユースに所属。最近自炊を始めたがしゃもじを溶かして紛失した圧倒的自炊強者。趣味はダンゴムシと戯れること。