4月11日、日本時間午前1時。
コンピューターの向こう側、ニューヨークで暮らす教授が、25人の画面上の学生に問いかけました。
「How are you doing?」(調子はどう?)
いつも綺麗にまとめられている髪は無造作にたらされ、目は少しくぼんでいました。
ニューヨークの大学で直接参加するはずだった授業は、1か月前に新型コロナウイルスの状況を受けてすべてオンラインに変更となりました。
すべての学生は一人残らず寮を出され、実家に帰る以外の選択肢はありませんでした。私の留学生活は予定していたよりもずっと早く突然終わりを迎えました。友達と十分に別れを惜しむ暇もありませんでした。
4月11日、ニューヨーク時間午後12時。
真昼間の日差しがひとりひとりの部屋の窓から差し込んでいるのに、なんとなく画面が薄暗く見えました。
教授の質問に、しばらく誰も返事をしませんでした。
1人の学生が
「私のおじいちゃんが新型コロナウイルスにかかって入院したわ。」と言いました。
すると、またちがう学生が、
「私のおじいちゃんはもうすぐ退院するけれど、こんどはもう片方のおじいちゃんが集中治療室に運ばれたの。」
「私は、この2週間で5回、オンラインの葬式に参加したよ。」
と続けました。
何人かは泣いていました。
教授も泣いていました。
「気持ちはわかるよ。私の母親もウイルスに感染してしまって、面会もできずにずっと病院にいる。」
How are you? の質問に、いつも通り I am good!と答えられるほど、ニューヨークの事態は楽観的ではなくなっていました。
1カ月前の3月11日。
私がまだニューヨークにいて、大量の課題の隙をついて大好きなウォールストリートのバーではしゃいでいたころ、ニューヨーク市では52人の新型コロナウイルスの感染者が報告されていました。800万人以上が暮らしている街で、52人です。
同日、私が留学していたニューヨークの大学はすべての授業をオンラインで行うことを宣言し、学生に寮を出て実家に帰るよう要請しました。
学生はみんな、突然の出来事に戸惑いました。
こんなに大きなシティにいるのに、たった52人の感染者の存在に怯えて学校を閉鎖してしまうなんておかしい。
私は帰国するという実感も湧かないままに、泣きながら荷物をまとめました。
やっとの思いで得た、たった1年間だけニューヨークで学ぶ権利。道半ばで手放さなければいけないなんて、あまりに無念でした。
3月12日、最後のニューヨークだ、と友達と街を歩き回りました。
まだたくさんの人が動いていて、変わりなくせわしいニューヨークに少し安心しました。
3月18日、私は空っぽのJFK空港から日本へと向かう飛行機へ乗り込みました。
ほとんど誰もマスクはしていませんでした。
この時でさえ私は帰国要請を恨んでいました。
「こんなにニューヨークは普通なのに、なんで帰らなきゃいけないんだ!」
4月20日現在、大阪の実家のリビングで、感染者が15万人以上に膨れ上がったニューヨークのニュースを何も言えず眺めています。
人の消えたタイムズスクエア。
ゴミのない地下鉄。
クラクションの聞こえない道路。
トラックで次々と運び込まれ埋められる、行き場のない遺体。
眠らない街ニューヨークは、テレビではついに眠ってしまったかのように映っています。
でも、悲壮感にまみれたわずか3分間の画面上のニュースでは、ニューヨークのしぶとさを伝えきれていません。
確かに街は抜け殻のようです。
しかし、コロナウイルスはそこに住む人々の魂までは奪っていません。
そして、テレビはしつこく燃えるその魂を映してはいないのです。
人々の憩いの場セントラルパークには野営病院が市民の手によって設立されました。
授業は瞬く間にオンラインへと移行し、学生は画面上でニューヨークや世界の現状について話し合っています。私たちには、新型コロナウイルスに関連するエッセイが2つ出題されました。
街中では定期的に、医療従事者へ感謝と尊敬の意をこめて拍手が沸き起こり、
私の通っていた大学は彼らの健闘を讃えてライトアップされました。
人々はSNS上で”STAY HOME”(家にいよう)と呼びかけています。
私の所属していたアーティストのコミュ二ティでは即座にオンラインミーティングが開かれ、オンラインで音楽セッションを行いました。
メンタルヘルス相談窓口が設置され、1万人以上のボランティアが対応しています。
スーパーマーケットの店員など、働かざるを得ない人々のために市内のバスは無料で運行しています。
ニューヨークのクオモ州知事は絶え間なく会見を行い(毎日行っています!)、コロナウイルスに関連する詳細なデータを公表しつつ、ニューヨークのタフさ、人々のつながりを讃えています。支持率はなんと80%以上にも上っています。
(ちなみにクオモ知事の力強い会見は涙ものです。下記にリンクを貼るのでぜひ見てみてください。)
悲しみの涙ながらに始まったオンライン授業も、
後半にはコロナウイルスが浮き彫りにした資本主義社会の構造について、
貧困に喘ぐ人々の手当てについて、などといった議論へ発展しました。
ニューヨークは決して眠っていません。止まっていません。
市民が、政府が、医療が、一丸となってウイルスと戦っているのです。
あれほど不満だった帰国要請ですが、帰国してからはニューヨークの対応スピードの速さにただただ感服しています。
あの時、大学が少しでもためらっていたら私は帰って来られなかったかもしれません。
家族から遠く離れた場所で、たったひとりでウイルスに感染していたかもしれません。
緊急事態宣言が出て以降、私の周りでも自宅にとどまる人が増えてきたように思います。
オンラインでの飲み会をSNSに投稿する人も増えました。
一方で、「自粛疲れ」という言葉や、終わりの見えない疫病に対するネガティブな心境を綴った文章をよく見かけます。
ずっと家にいれば、普段当たり前のように外に出て太陽の下で活動することや
2週間先の飲み会の予定を立てられる環境が恐ろしく幸せなものであったと気付きますね。
でも、家にいることに疲れて、外で遊んでいる場合ではありません。
無気力になっている場合でもありません。
When will we return to normal?
I don’t think we return to normal.
I don’t think we return to yesterday, where we were.
I think if we’re smart, we achieve a new normal.
いつ日常が戻るか、だって?
日常なんか戻らないよ。
同じ昨日には戻れないんだ。
僕らが現状から学んで、新しい日常を獲得するしかない。
4月8日のクオモ州知事の会見での言葉です。
同じ昨日には戻れない。
新しい日常を造ろう。
そう唱えながら、ニューヨークは前に進みます。
国内感染者が400人少なかった昨日には戻れません。
亡くなった人は二度と帰りません。
残念ながら、この苦しく味のない生活はしばらく続くでしょう。
時々、本当に家にいてなにもしないことに意味があるのか?
わたしひとり遊びに行ったって世界が変わるわけでもないよね…
と思う日も来るでしょう。
しかしこのパンデミックの収束は本当に、ひとりひとりの行動に委ねられているのです。
新型コロナウイルスは人から人へ感染します。
政府が10万円を配ろうと1億円を配ろうと、あなたが外に出る限り
ウイルスは蔓延るのをやめません。
我々が新しい日常を、コロナウイルスが収束したという日常を、造るほかないのです。
1ヶ月後、ニューヨークのように感染者が何百倍にも膨れ上がった後に、オンラインのお葬式に参加しながら「昨日に戻ってくれ」と願ってももう遅いのです。
STAY HOME!
あなたの行動に世界平和がかかっています。
大阪出身現在金沢大学国際学類在中。LGBTQ含め、自分のセクシュアリティや性について気軽に話せる団体『SELF』の代表してます。金沢で主に活動してますがフットワークは軽いです。どこでも行きますので気になる方はご連絡を?️? Instagram: @supporttheself