「田舎のあたたかさ」は「田舎でしか」手に入らないのか?

VoY全国駅伝

大学進学を機に、私は18年間生まれ育った山形から離れました。

地元では、ご近所さん、犬の散歩で毎日すれ違う人、お店の店員さん…会えば笑顔で挨拶しますし、ひとことふたこと、何気ない会話をします。
私はそれが当たり前の環境で育ちましたが、外に出てみると全くそうではありませんでした。

 今わたしが住んでいるのは地方都市ですが、それでも隣の部屋に誰が住んでいるか知りませんし、無言の店員さんとか、下を向いてすれ違う感じとか、未だにドギマギします。

なぜ田舎では温かみのある繋がりがあり、都会にはそれが少ないのか。私が考えた理由は2つです。

 

まず田舎は人口が少ないです。同じ世界(地域)に暮らす人が限られていると、同じ人とまた会う可能性が高くなります。一方都会の場合、狭いエリアに多くの人が密集しているため、偶然同じ人と会う確率が低くなります。駅員さんとかスーパーのレジの人とか、一瞬だけの関わりだとしても、田舎の場合、今後も接する確率が高いのです。そうなると一瞬だけのやりとりではなく、「人間関係」をつくるつもりで最初から人と接するのではないでしょうか。

 

もう一つは、田舎の人は「余裕」があるということです。
「余裕」には肉体的な余裕と精神的な余裕がありますが、特に精神的な余裕が関係していると思います。満員電車とか人との競争意識など「精神をすり減らす」要因が少なく、かつ家に帰れば家族が居たり、身近な人とのコミュニケーションがあったり、夜は星が綺麗だったり、「精神を充足する」要因が多いのではないかと思います。
余裕がないときというのは自分のことで精一杯で、頭で考えられることが少なくなりますが、精神にゆとりがあると他者のことを考えたり、一歩引いて世界を見ることができるようになりますよね。

 

こうして考えると、やはり田舎で感じるあの「あたたかさ」は田舎だけの良さではないかと考えてしまいます。しかしそれをどうにかして都会でも再現できないでしょうか?

都会でも、精神的な充足につながるようなコミュニケーションができないか考えました。

 

そこで私が提唱したいのは、一瞬のやりとりであっても相手の目を見て、相手に対してありがとうと伝えることです。 

アルバイトで接客業をしたことがある人はわかると思いますが、目をみてありがとうと言ってもらえると、めちゃくちゃ嬉しいです。しかも笑顔で言ってくれたりすると、それで30分くらいはテンションが上がるのです。

そしてこれは言われる側だけが嬉しいのではなく、言った側も「その気持ちが受け取ってもらえた」とわかると、同じく嬉しい気持ちになります。

コミュニケーションレスな現代に暮らしていると、店員さんの目を見たり、笑顔をむけることが照れくさく感じるかもしれませんが、だまされたと思って一度やってみてはどうでしょうか。

一瞬だとしても気持ちを表現するだけで、その人の心のゆとりが広がると思います。
そしてゆとりのある人が増えれば増えるほど、どんなところに住んでいても温かみを感じることができる世の中になる、というか、なってほしいと私は思います。


 

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