私は人を「その人」として見ることが苦手です。
というのは例えば、「Aさんは男性、東京出身、○○大学出身で、△△という大手企業に勤めている」というように、その人の性別、出身地・国、経歴などで人を判断してしまう、ということです。それ以外にも、その人の外見や話し方などで人をすぐに判断してしまいます。(これを第一印象というのかもしれませんが。)
経歴や肩書、見た目など目に見えるものなしで、人を見ることは難しいです。どうしてもその人の後ろにあるものを見て、人を判断してしまいます。
ある意味、これは自然なことかもしれません。初めて会った人を判断するときには、その人の経歴・肩書・見た目が基準になるからです。
しかし今回私が言いたいことは、「その人自身を見よう」ということです。それが苦手な私が言うのもおかしなことですが、これは多くの人に伝えたいことです。
なぜこれを伝えたいかというと、その人自身を見ることが、差別や偏見をなくす1つの方法だと思うからです。差別したり何かに対して偏見を持ったりする人というのは、その人自身を差別しているのではなく、その人の属性について差別したり、偏見を持ったりするのではないかと考えます。
だから、「その人自身を見よう」と伝えたいのです。
最近、ネットニュースでタレント・俳優の副島敦さんのインタビュー記事を読みました。彼は日本人とアメリカ人の両親を持ち、見た目は黒い肌でアフロヘア、身長は2メートル近くあります。このインタビューでは、彼の学生時代の話と「外国人」についてお話をされています。
その中で、私が最も響いたのが
わざわざ、国や文化によって、人を定義づける意味はないですよね。もはや地球全体が一つの国である、と言ってもいいかもしれません。そうすると、「地球人」になるのかな?
という言葉です。この文章を読んで、こんな考え方ができるのか!と衝撃を受けました。彼の言葉に「国や文化」とだけありますが、これに性別・経歴・見た目をつけ足してもいいと思います。
その人自身を見ることが苦手な私にとって、彼の言葉はとても印象深かったです。地球人か…。そっか、みんな地球人か…とその時はすぐに理解することが難しかったです。
だけど今は、日本人でもイタリア人でもクリスチャンでもムスリムでも女性でも男性でもレズビアンでもトランスジェンダーでも身長150センチでも2メートル以上でも、みんな地球人だと頭の中では理解できます。
2018年大流行のDA PUMPのU.S.A.という曲の歌詞にも「だけれど僕らは地球人 同じ星の旅人さ」とありますよね。(笑)
その人自身を見るというのは、簡単なことではありません。現に私はできていないです。
しかし、見ようと思うか思わないかでは全然違うと思います。今私はできていませんが、この人は○○だから~とその人の属性で判断するような人間にはなりたくありません。その人自身を見ることができるような努力をし続けようと思っています。
みんな同じ人間です。地球で生きる地球人です。人間が人間を差別して生まれるものは悪でしかありません。
「心の中に平和の砦を築く」ためにも、その人自身を見ることから始めていきませんか?
金沢星稜大学人文学部4年生。「やりたいことをやる、食べたいものを食べる、行きたいところに行く」がモットーです。興味のあるものはイスラーム、性的マイノリティ、日系人、軍縮、などいろんな分野にわたっています。現在、金沢の学生5人でムスリム観光客向けの「金沢ハラール対応店マッププロジェクト(ハマップ)」という活動を行っています!