みなさんは「介護」と聞いて、何を思い浮かべますか??最近ですと、コロナのために介護業界が医療と並んで疲弊している、とか、あるいは古くから言われている3K(きつい、汚い、危険)に代表されるような、負のイメージを思いつく人が多いかもしれません。
しかし、今回は、私が障害者福祉系サークル「ぼらんたす」(http://voluntas.web.fc2.com)での活動を通して、「介助」について思ったことを発信していきます。なお、この記事では似たような言葉である「介護」と「介助」の2つが登場します。その理由は後ほど説明します。
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1)サークルについて
まずはサークルの活動内容です。このサークルでは、主に世田谷区内の自宅に住んでいる障害者の方の介助活動をしています。私がお世話になっている都内のグループホームでは、脳性まひの方が共同生活を営んでいますが、私はそのうちの2名の方の介助を週2日ほど行っています。その方々はそれぞれ30代と50代の方々ですが、介助者の手を借りながらも、基本的には自身で食べるもの・着るもの・行く場所などを決めて自立生活をされています。脳性まひによる障害の程度には個人差がありますが、おおむね身体の不自由、あるいは言語障害等があるため、介助者が24時間生活のサポートをしています。
もちろん、こうした介助活動の他に、年に数回、旅行や食事会など、大学生らしい活動も行っています。(最近はコロナの影響もあって、個人の介助活動しか行えない状況ではありますが)
2)サークル兼アルバイト
こうした障害者の生活を支える「介助」は、時給に基づくアルバイトの形で実践しています。ですから、学生としてサークルに所属しながら、一方でバイトとして福祉の現場で働いているという立場です。
ここからは少し込み入った話になりますが、法律的にいうと私は「重度訪問介護」という枠組みの担い手になります。この枠組みは、重度の肢体不自由や知的障害、精神障害のある方に対して、24時間の連続介助を可能とするものです。去年「重度訪問介護」を利用する2人の国会議員が生まれたというニュースで、少し話題になりましたね。21世紀以前は、重度障害者のヘルパー派遣は仕方なく無償で行われることが多かったようですが、次第に国や地方公共団体からの補助金が充実するようになり、今では「重度訪問介護」をはじめとする障害者総合支援法の仕組みのもとで、報酬が事業所を介して保障されるようになっています。
3)介護と間違われちゃう…
ですから、学生同士の会話でバイトのことが話題に上がった時、私はよく「車いすの方の介助をしているよ」と答えています。すると、「介助」がよく「介護」と聞き間違えられがちです。「介護」という言葉の方がよく使われるからかもしれません。しかし、私は「介助」と「介護」の違いを、以下のように考えています(あくまで言葉のニュアンスの違いについてです)。
そもそも、「介護」という言葉からは、護(まもる)という字からも分かるように、ついつい守る・守られるという考えが背後に隠れていると私は思っています。つまり、介護サービスの利用者は、「一人で食べられない」「一人で入浴できない」など「〜〜できない」部分があるから、その部分は誰かに「やってもらう」必要があるという考え方です。そのため、「介護」の利用者は提供者のお世話になっている以上、強くわがままを言ってはいけない、というような暗黙の了解が含まれているのではないか、と私は思っています。
一方で、「介助」という言葉は、理念として提供者と利用者はなるべく対等であるという意味を持つと考えています。これは、障害者の主体性を重視した考え方です。そのため、例えば利用者とランチに行った時、介助者は利用者の食べたいものを口の動きから読み取ったり、文字盤で逐一サイズなどを聞きとったりしないといけません。介助者は待ちが求められるのです。
このように卑近な例を取り上げましたが、障害者福祉において、できる限りお互いが「対等」な人間として尊重し、助け合おうという理想を含む「介助」という言葉の深みを紹介してみました。
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ここまで私の経験から、私なりの「『介助』とは?」という問いへの答えを示したつもりです。しかし、こうした理念の実践は、口で言うほど簡単ではなく、実際は対等という理想と、立場上の格差という現実のギャップを痛感することが多々あります。それでも、これからもバイトや看護で得る経験などを通して、この世界のイメージアップや未知の可能性に触れていけたらと思っています。皆さんにも、少しでも「介助」という活動に興味を持ってくれたら、ありがたいです。
北海道出身、東京大学健康総合科学科へ進学。看護と障害者福祉に興味があるものの、全く卒業後の進路を決断できないことが最近の悩み。