わたしの家族のカタチから実感した「国境」の壁

ボイス
10+

国籍が違う二人の間に生まれただけなのだけど…
私の両親は出身国が違います。母はフィリピンのパンガシナン州という貧困が目立つ地域出身で、父は東京出身です。よって、私はいわゆる「ハーフ」と呼ばれるやつです。
私はハーフとして生まれ、家族内では英語で話し、父はたまに日本語で会社の同僚と話したり、母は親戚とタガログ語でしゃべる、という環境が当然の中で、違和感なく育ちました。
しかし、日本に来て初めてその環境が普通じゃないことを知りました。
私は実は帰国子女であり、生まれてから10年間は海外に住んでいて、インターナショナルスクールに通っていました。インターナショナルスクールではいろんな国から来た人がいて、授業は英語で行うので、今では英語も母語の一つとなっています。
そんな中、小4の時に初めて日本に来ました。海外に住んでいた時は家賃や教育費は全て会社負担だったのですが、日本では自分たちで負担することになるんです。その中でインターナショナルスクールは私立なので学費は高く、そんな払えないということで、私はいきなり日本の公立の小学校に通わされました。
衝撃を受けました。
ハーフの私は「変な・特殊な人」として扱われたからです。ハーフは珍しい、他とは違う、ってことを初めて実感した時でした。
日本人は「ハーフは可愛い・美人・かっこいい」というイメージがあるんですかね、外見を見て「ハーフの失敗版」と言われたことがあります。
他にも、フィリピンのハーフということで「おい、バナナ」って言われたり。肌が日本人より濃いので「黒人」と言われたり。英語の授業で発音いい英語をしゃべると「威張ってる」と裏で悪口も言われました。
みんなから名字で呼ばれている男子友達のことを、名字で呼ばれていることを知らずに下の名前で呼んだら、周りから変な目で見られた、と10歳ながらカルチャーショックを受けたことも鮮明に覚えています。
当時はハーフだった自分のことが大嫌いでした。家族で外出する時は英語で喋るので、「お願い、できるだけ小さい声で喋って!」って言ったり、距離を置いて歩いたりしていました。「なんなんだお前は!」って親から怒られたこともありました。
やっとの思いで、学校でハーフのことでからかわれたりしていることを打ち明けて以来は、そのことで怒られることはなくなりましたが。
学校外でも、家族で出かけている時に英語を話していると、電車やバスなどで周りがジロジロ見てきました。それが嫌で嫌で、家族で外出する時は喋らないように、特に母とは喋らないようにしていました。
しかし今思い返せば、外で英語を喋っていても不思議がる人、昔より少なくなったような気がします。
外でイヤホンしている人が増えているだけかもしれませんけど。

 

日本語を話せなかった私から中学受験することになった私
10歳の時に急に日本の公立の学校に通わされましたが、それはそれは、もう大変でした笑
日本語はほぼ喋れませんでした。習字の時に「火山」を書くお題がありましたが、その時に同級生の女の子に「これ読める?」と聞かれたことがあります。私が「…ひやま?」と答えたら「ひやまだって!!」って爆笑されたのを覚えています。その中で一人だけ「仕方ないだろ」とかばってくれた男の子がいたことも覚えていますが。
そんなこんなで、小学5年生になって日本語が話せるようになって、日本語のスラングのような言葉も分かるようになりました。今では英語より日本語が好きです。ひらがな、カタカナ、漢字と3つも言葉の媒体があって色々自分の思うように表現できるのって、英語ではなかなか難しい!逆に英語の言葉にあって日本語にはないものもあって表現に困る時もありますけど。
今思い返せば、当時は辛いことが多かったけど、私は本当に恵まれています。私が通っていた公立の小学校には「日本語学級」という、私のような日本語が上手でない子のための特別プログラムもあったんです。そこの先生は英語も日本語もペラペラで最初の頃はその日本語学級が唯一の校内で休める場所でした。もちろん日本語学級は「特別」で、日本語学級に行こうと教科書を持って教室を出る時の同級生から向けられる目は嫌で嫌で仕方ありませんでしたが。
そして小学6年生の時、2年前は日本の言葉も話せなかった私は中学受験をすることを決め、なんとか第一志望に合格できました。
今では反抗期を過ぎたこともあり(多分笑)、ハーフであることを恥ずかしいって思うことはほぼなくなりました。
だってハーフじゃなかったら英語をペラペラに話すことだってできなかったし、いろんな国に住む経験もできなかったし、二つの国を「母国」と呼べなかった。本当に恵まれているなぁって思うようになりました。

 

それでも存在する国籍やら言葉やら「国境」の壁
今私は15歳、4月から高校一年生になります。
そんな今でも、やっぱりときたま「自分はハーフなんだな」って壁を実感する時があります。例えば、学校の保護者会。日本の学校の保護者会は大体平日の午後に行われます。母は仕事を休めますが、休んで行ったとしてもコミュニケーションを取れない部分もあるし、小学校の頃、母が父に「保護者会に行ってもなにもわからなくて辛い」と言っていたのを聞いたことがあります。あれ以来、保護者会の案内のプリントを渡さなくなるようになりました。親に渡していないことがバレましたが。
中学校に入って以来たまにあった修学旅行の説明会など比較的重要な保護者会には父が仕事を休んでいくようになりました。しかし日本ではお母さんが子どもの教育をみる傾向があり、保護者会で父がそんなママたちの会話になじめるわけでもなく、目立っていて父も多少肩身の狭い思いをしたのだろうと思います。
また、私に直接関係ないですが、母の仕事において「外国人」を実感することがありました。私の母は日本語が喋れず、フィリピンと日本では文化も大きく違うので生活しにくい部分も多くありますが、それでも私と兄の将来のためにも遊びとか服とかの娯楽のためにも、お金を稼ごうとしてくれています。”I don’t want you having to let go of your chances.”というのが母の口癖でした。「機会を逃すようなことは絶対して欲しくない」という意味です。母は小さい頃、お金が一番の原因でできなかったことはたくさんあり、自分の子どもにはそんな思いを絶対にさせないと決意している、ということには最近わかるようになりました。母は外国人で「まとも」な学歴も持っておらず、工場での肉体労働の仕事しかできなかった。そこで働いている同僚も、マレーシアやネパールなど、外国人ばかりです。私はこれが恥ずかしくてたまらなくて知り合いには誰一人言っていません。母はもともと子どもの頃栄養失調気味だったこともあり体が弱く、この仕事もすごく体に負担がかかっていることは火を見るより明らかでした。
私は母の仕事のことを知りたくなかった。父と母の上司が電話で喧嘩しているのが聞こえたりすることもあったので、薄々外国人としてひどい扱いを受けていることには気づいていましたが、その全貌を知ったら耐えられない気がしていました。しかしそんなある日のこと、母に一本の電話がかかってきました。母はその時シャワーを浴びていたので私が代わりに出ました。「Mさん?」(ここでは母の名前を「M」と略します)と女性の人が聞いてきました。私は「母じゃなくて娘です」と言おうとしたが、私の返事を待たずその人は「○○さんがね、お休みになっちゃったから、木曜日、お仕事、来れるかな?」と聞いてきました。母の上司らしかったです。私はとても腹が立ちました。こっちが喋る隙もくれないし、話し方が小学生に対してのような幼稚な話し方だったのです。以前母がフィリピンの親戚に「上司が子ども扱いしてきて嫌だ」と話していたのが思い浮かびました。今考えれば、もしかしたらその上司は善意で、母がわかりやすいように話そうとしたのかもしれない。ですが、当時の私はガチギレして相手に怒鳴らないようにするのが精一杯でした。私は「娘ですが、母はただいまお風呂に入っているので電話に出られません。」と言い残して電話を切りました。母にその電話がかかってきたことを言いませんでした。

同じ人間なんだから。
こうなるのは仕方のないことです。ハーフだったり外国人だったりするのはなんて言ったって「普通」じゃないんだから、「普通扱いして」と言っても相互に無理がある。逆に、国籍の違う二人がそれぞれ母国語じゃない第二ヶ国語の言語を通してコミュニケーションとってここまでやって来れたのって、すごいなーって感心します。
けれど、今まで述べた通り、ハーフや外国人に対して、日本世間では「すごい」どころか「変」と思われています。そしてそれが言動に表れ、私だけでなく多くの当事者が嫌な思いをしているのは安易に想像できます。外国の人に対して「平等」で接することは難しいとしても「公平」に接することはできるはずです。「公平」と「平等」は違います。「平等」はどんな背景を持っている人でも同じ対応をすることに対し、「公平性」は結果が全員同じになるように対応を変えたりすることです。ハーフでもどこの国籍の人でも、皆同じ環境で同じ機会がもらえるように、同じ接し方をされるように。みんな同じ人間なんだから。
そして皆さんの周りにハーフはいますか?人それぞれではありますが、私の経験上では、ハーフであるバックグラウンドについて聞かれるの、とてもうれしいです。「普通じゃないこと」が「いいこと」と捉えられたら、とっても嬉しい。ハーフの子がいたら、ぜひその子の出身国についてなど、質問してみてほしいです!
これを書いて思ったのは、苦も楽も、こんなにたくさんの経験できるの、私、本当に恵まれているなぁー…ということ。
お母さんお父さんお兄ちゃん友達先生方、全員に本当にありがとうの気持ちでいっぱいです。
これからもいっぱい世界を見ていっぱい経験を積みたい。


 

10+