戦争についての思考を支えるべき両輪

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一昨年の夏、中国東北部を旅行しました。この度の中国旅行では、Historical Journeyすなわち歴史の旅をテーマに寮の友人と遊覧しました。日中関係はさかのぼれば邪馬台国の時代の冊封体制1)にまでさかのぼることができますが、今回は近代日中関係を眺め返す旅路でした。そう遠くない日の確執が両国にとって持つ重みは計り知れないものであり、両国にとってのターニングポイントとなったのみならず現在にまで暗い影を落としています。

今回の旅の道中で、卒寮生が東北師範学校で教授をしている伝から現地の学生の方と戦争教育について談論風発を楽しむ機会がありました。‥‥とは言ってもそのときは特段白熱したものにはならなかったのですが、その後平頂山を見学しました。この地では、満州国承認の当日から翌日にかけて、ある事件(平頂山事件)が起こっています。平頂山事件については立場によってさまざまな見解、捉え方がありますが、概要としては以下の通りです。1932年の秋、遼寧の民衆自営軍が日本の経営していた炭鉱を襲撃しました。その対抗措置として日本の炭鉱守備隊が付近の労働探鉱者たち住民を虐殺した、という事件です。そんな事件が起きた土地で私は戦争教育について大それたことを考えましたのでそのことを記します。これから書くことはその時の議論のテーマとは一拍ずれていますが、旅行に参加した一大学生が実際に心に感じたこととして、相応の意義が認められることを願っています。中身自体はハンナ・アーレントの言う「悪の凡庸さ」と近いですが、改めて自分の経験に絡めて自分の言葉とともにパソコンに向かいました。

戦争教育は、その場にいた寮友よりも昔からの馴染みです。私は、長崎市の出身です。幼稚園生のころから幾度となく、原爆投下後の長崎できのこ雲の下に呈された酸鼻の地獄絵を見てきました。思わず目をふさぎたくなるほどむごたらしく痛ましく(同じ人種としてだけでなく)同じ人間としてみじめになるようなエピソードについて、一通りのことを学びました。ただ私としては今一つ、そのエピソードから汲み取るべき教訓を直感的に感じ取れませんでした。「原爆の悲惨さ」や「平和の尊さ」という言葉でよく語られていましたが、この言葉はどうもどこか釈然としないものとして胸の中に沈殿しました。というのも、兵器が引き起こす痛ましさや、戦争がなく、不安を感じずに生活できる日々を大切にしたいという感情をわからない人間は、金輪際いないからです。仮にそれがわからない人間がいたとしたら、その病理が周囲に気づかれ何らかの処置が講じられます。1945年のアメリカ軍に、残忍酷薄な人が寄り集まっているというわけでもありません。以上のような違和感が心の中に動きながらも当時の私はこの感覚に目を瞑り、いつしかこの違和感も薄れていっていました。


そして平頂山で日本軍に虐殺され燃やされた一村の住民たちの枯れ枝のような白骨を見ながら、途絶えていたあの違和感が心によみがえりました。二十歳を迎えた私はこの違和感を思い出したと同時に、すっとそれを包んでいた膜が剥げ落ちました。要するにこれは、かなりの程度で心理の綾の問題です。人は集団の中に身を置き悪事を働くとき、二つの錯覚に囚われます。一つは皆もしているのだからそもそも別に悪いことではないという錯覚、もう一つは仮に悪事だとしても皆でやっているのだから責任は分散されるという錯覚です。

 

如上のことはわざわざ書くほどでもないくらい有名かつ分かりやすい話ですが、私はこのような観点はもっと戦争教育の場において特筆大書されるべきだと白骨を見ながら強く思いました。これは決して、醜い民族意識から軍の責任をうやむやのうちに葬ろうとしているのではありません。ただ純粋に、高々80年前に実際に行われた凶行からはもっと多くのことを学べると、ぽっと小さな豆電球に明かりが灯るように気づいたのです。撫順守備隊であれ長崎に原爆を投下した爆撃機ボックスカーの操縦士であれ、太平の尊さは理解していたことでしょう。となれば我々は、いたずらに過去の悲惨に嘆息するべきではありません。人間の意識とその行動との相関関係、学問で言えばいわゆる心理学が重要です。

 

撫順戦犯収容所には日本軍のことを「鬼」と表現する解説文がありましたが、もしそれが冷酷で血も涙もない人間が戦場に送られたという意味であれば順序がアベコベです。繰り返しになりますが、これは決して国粋の旗幟を鮮明にしようとして書いているわけではありません。いくら上の世代の鬼のような行いについて省みたところで次に戦争が起こったときにまた鬼になってしまっては反省になりませんから、まず鬼は如何にして生まれるかを考えるのが当を得た選択です。そしてその思考には、心理学の見地からアプローチできます。

戦場に送られた人間については心理と絡めて考えることができますが、より上層部の人間についても似たようなことが考えられます。東条英機もトルーマンも、正常とされる人格から著しく逸脱した人間ではありませんでした。彼らの下した思い切った決断が引き起こした惨事を学ぶにあたっては、政治や外交、経済のことをセットにするべきなのです。

インパクトのあるむごい秘話や展示を消費して平和であることのありがたさを知り戦争に対する本能的嫌悪をはぐくむこと、上の世代の行為を知ること、人種を問わず戦渦に巻き込まれて亡くなった人の冥福を祈ることは、どれも大切です。しかしそれと同じくらい、そのむごい逸事を生んだ原因としての人間の心理や政治・外交のダイナミズムについて考えることも大切です。そう、「ダイナミズム」への理解が大切です。なぜならありがたさも嫌悪感も申し訳なさも感情に過ぎず、外界の刺激に応じて絶えず起伏するからです。そして実際に今から70~80年前に前線銃後で忘れてはいけない感情を焼き捨てるようにして忘れた人間が、〝人種にかかわらず〟大勢いたのです。今の教育や歴史展示では、日本側でも中国側でも感情や主義・思想に囚われすぎです。たとえ正しい方向であってもそのような私的なものを優先しているうちは、公共性が信じがたい崩れを見せる瞬間がまた来ます。人として大切な感情を失うのはどういうときか、為政者はどのような事情があるときにどのような政策やスタンスを打ち出すのかなどの情操を超越した視点、より高次の視点、いわゆるメタ視点を吹き込むことも、同じくらい重要です。「超越」や「高次」などと書くと、まるで優劣をつけているようですが、被害者側の悲劇、人間の愚かさに「思いをはせる」ことと、それらに「思考をめぐらす」ことは、互いに足りない面を補い合ってこそ初めて用を成します。

これは戦争について考えるとき以外にも当てはまることで、脳みその弱さを道徳が補い、道徳の弱さを脳みそが補うというのが理想です。理想は幻想に過ぎないですが身近にできることがあるとすれば、自分や他人が良くないことをしてしまったときになぜその行動に出てしまったのかを常に考えることです。それが、「道徳の弱さを脳みそが補う」の意味です。多くの場合、道徳や感情は放っておいても機能するので、あとは意識して脳みそを働かせれば、物事がとんでもない方向に逸れることはぐっと減るのではないかと思っています。


1)中国王朝の皇帝が周辺の民族の君主に領地を認めてあげるなかで東アジアの世界の国際関係が形成されました。この関係が冊封体制です。

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