一人のハーフのたわごと

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「いいな」「羨ましい~」「将来子供はハーフがいい」「日本語上手だね、どこで習ったの?」「どっちの親が日本人なの?」「どうせ英語ができるんでしょ」「どっちが住みやすいの?」「何語で考えるの?」「国籍はどっちを選ぶの?」「え、フランス語話してみてよ」。これらは、自分がハーフだと伝える時に言われる言葉10選です。日常的に聞かれ、もうほぼ機械的に答えている質問です。多分、日本に住んでいる、または来たことのあるハーフの大体は共感してくれるのだと思います。

ハーフとしての経験の感じ方は本当に人それぞれで、一概に「これは絶対に言ってはだめ」とか「絶対に聞いても誰も傷つかない」とかはないのだと思います。多分本人にしかわからない、または本人でさえそれまでは気づかない違和感があったり、なかったりするのです。それは、大体どのマイノリティーの人にもアプライするものだと思います。大事なのは、相手の立場に立って考えて無神経なことを言わない一方で、生きにくい世界にならないように気遣いしすぎないことだと思います。難しいですよね(笑)。今回は、ここで自分の「ハーフであること」についての感じ方を話して、少しでもそのことを理解してくださったらとても嬉しいです。

 

私は、生まれた時から高3まで、ずっとフランスに住んでいました。フランスは多様なバックグラウンドの人が多く、とりわけインター校に通っていたので、ハーフであることは全く目立ちませんでした。ただ、夏休みに日本に帰るたびに「ハーフだ」ともてはやされていたことや、母の実家の地方の地元で歩いていたらジロジロみられていたのに気づいて、フランスで周囲に「性格も見た目も日本人っぽいよね」とよく言われることから、子供の頃からアイデンティティー・クライシスに陥っていました。自分は一体日本人なのか、フランス人なのか。どっちにも足を伸ばせられる一方、完全に受け入れられないから、自分の居場所はどこなのか。フランスと日本が戦争をしたらどっちにつけばいいのか。自分にしか答えられないのに、自分でもその答えがわからず、ずっと悩んでいました。傍から見たら、そんなので悩むなんてくだらない、ドラマクイーンみたいと思う人もいると思いますが、とりわけ思春期で色々と情緒不安定だったその時の自分にとっては、とても大事な悩みでした。

私はその頃、夏休みに親戚に会いに行くためにしか訪れたことのない日本に大きな憧れを持っていて、「日本人っぽい」側面が強いから完全にフランス社会に溶け込めていない自分を受け入れてくれる理想郷として見ていました。中学校からの日本に住みたいという思いは変わらず、ついに日本の大学を受験しに高校を卒業してから引っ越し、帰国子女の予備校に通いました。その時、「日本人っぽい」はずの私は、いつの間にか予備校でフランス人っぽくふるまっていることに気づきました。ほんの一例ですが、今までは周囲がうるさいと「周りに迷惑をかけるから」と言ってボリュームを下げるように言っていた私は、逆に「うるさいからボリュームを下げて」と言われる側になっていたりしました。今までは特に「ハーフ」ということで注目を浴びたことはなく、日本に来てからただフランス人とのハーフってだけで褒めちぎられたり、人に興味を持ってもらったり、目立つと言われたりしたから、より一層意識をしていたのかもしれません。

正直に言えば、自信と自尊心は日本に来てから結構高まりました(笑)。ただその反面で、「ハーフ」だからといって「パリピ」だと思われたり、外見だけで怖がれて距離を置かれたりもしました。「それにしても日本語上手だね」とか、「羨ましい」など、上記の質問を聞かれるたびに、寂しい気持ちも募りました。私の日本人としての側面を否定されている、または忘れられている気がしたのです。そこで、日本でも完全に受け入れられることはないのかもしれないことにようやく気付きました。

そんな予測は、時が経つにつれてどんどん明確になりました。例えば、フランスに帰省した時に日本のパスポートを持っていくのを忘れて、行きと帰りのパスポートコントロールでひっかかり、別室に連れていかれ色々聞きだされ、「今回はしょうがなく帰国を認めます」と言われたとき、この「しょうがなく」に酷く傷つきました。「純ジャパではない」と唐突に言われて、「私と違って完全に日本人ではないよね。」と差別化された気がして。その言葉だけでどれだけ大きな壁になるんだろう、と感じる場面も多々ありました。このようなエピソードなどはそんなにないのですが、ほぼ毎日誰かに言われる言葉、SNSで読む記事やコメント、そして道を歩くときに感じる「この人は日本人かな?外国人かな?」と問いかけている目線によって毎日このような思いをします(目線とか意識過剰すぎだと言われますが、ハーフの人にはかなり共感してもらっているので、気のせいではないと思われます…?)。

 

受験中、私の悩みはより迷走していました。これで明らかにどっちの国も母国でありながら完全に受け入れてくれず、私は完全に日本人でもフランス人でもないことがわかりました。最近ハーフという言葉は差別的だから、2つのアイデンティティーを完全に持つという意味で「ダブルス」という言葉を使う人もいるみたいですが、その理由であまりダブルスという言葉にも共感できません(ハーフという言葉もある意味しょうがなく使っているのですが、その呼び方についてはまたいつの日か記事を書きたいと思います)。自分の性格も考え方も、住んでいる国と一緒にいる人によって「フランス人っぽい」か「日本人っぽい」かに変わります。自分は一体何なのかわからなくなっていた時期がありました。

大学に入ってからも、「ハーフ」で「フランス人」という事で目立つことは変わりませんでした。ただ、いつの間にか自分の悩みに自分なりの答えを見つけて、開き直っていました。今は、自分がフランス人でも日本人の両方であり、でも完全に両方ではないから、どれぐらい自分が日本人でどれぐらいフランス人なのかは「どうでもいい」と考えるようになりました。これを言語化するのは難しいのですが、考えるのを放棄したというよりかは、周りが気にしているからといって自分が悩む必要がないと考えるようになったからです。最初に述べた質問を聞かれたときには、ほぼ機械的に答えて、あまり気にしないようにしています。もちろん、それはハーフや、重複しているアイデンティティーを持つ人の皆にとって納得のいく結論ではないと思います。でも、今の自分はこの結論で納得しているようです。

 

グダグダと長い自分語り、最後まで付き合ってくださってありがとうございました。ここで自分の「ハーフ」の感じ方を通じて何を言いたいのかと言いますと、アイデンティティー形成は自分にとってもかなり複雑なプロセスで、一人一人にとって違う道筋を通るという事です。ハーフの友達の中には、そんなの気にしたことがないという人もいれば、「自分は○○人だ」と明確に一つのアイデンティティーに自分を当てはめている人もいます。また、悩み続けている人も、自分の中で格闘し続けている人もいます。それはもちろんハーフに限ったことではなく、アイデンティティー形成はみんなが通る道だから、全ての人に通用することだと思います。

では、それぞれ違うアイデンティティー形成のプロセスをたどっているため、相手の感じていることを完全に理解することは到底無理なのに、相手を傷つけないようにどのように振舞っていけばいいのか? それは、相手と共に学ぶ姿勢を示すことだと思います。傷つくポイントは人それぞれだから、誰も傷つけないように常に気を使いながら生きていくのは、かえって自分にとっても、それを感じ取る相手にとっても生きにくいのだと思います。間違って相手を傷つけてしまうことは誰にだってあることです。相手の立場に立って、相手の傷つくことは何かを考えてみるのも大事なのですが、相手にどのように振舞えばいいのかを学びたいという姿勢を見せることも大きな意味を持つのだと思います。例えば、「○○は嫌じゃない?」と確認を取ったり、「もし傷つくようなことを言ったら教えてね。」と言ったりするだけでもいいと思います。ごく普通の行為に見えますが、これは「あなたのことを考えたい、理解したい」と示す、相手にとって大切な一言です。

相手の立場で考えるというのは、難しいことですが、お互いを理解し合うのには必要不可欠です。そしてわからなければ、相手からそれを学ぼうとすることが大切だと思います。これからも、お互いを理解し合おうとすることで、お互いにとってより生きやすい世界になることを願っています。


 

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東京大学教養学部2年生。フランス歴18年、日本歴はたったの2年。興味分野はナショナリズムとアイデンティティー。最近のブームは進振りがうまく行くよう祈りの舞をすること。