自分を本当に理解してくれる人を見つける方法

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自分を本当に理解し、受け入れてくれる人を見つけるためにするべきこと。

 

それは、自分がその第一号になること。その一言に尽きると思います。

 

私はアメリカの大学で哲学を専攻しており、「幸せとは何か」とか、そんなことばかり考えています。でも考えれば考えるほど、自分のことを知らなければ幸せは掴めないのではないかと思えてきました。

 

周りが自分のことを理解してくれない。それを解決するには、自分のことを理解してくれる集まりを見つけて、そこに参加するのが一番早い。そして、その集まりを見つけるためには、自分で自分のことを理解しなければならない。そんなことを、偶然流れてきたツイートを見て改めて思いました。

例えば、美味しいものを食べると幸せになるというのが真実だとする。それはつまり、自分が何を食べて美味しいと感じるのかを知らないと、幸せになれないということにもなります。

 

個人差があるので、プリンを食べると幸せになるとか、シメサバを食べると幸せになるというのは真実にはならないし、誰も「あなたにとってこれが一番でしょう?」なんて教えてはくれない。

 

そして、食べ物なら一口ずつ食べていけばいいけれど、人生そうもいかない場面がたくさんあります。例えば、就職。

 

自己分析と言われると、私は就職活動を思い描きます。やはり、自分が何をしたいのかをわかっていなければ、仕事なんて選べませんよね。そして、企業も一人ひとりの昔話を数時間も聞いていられないから、会社にどう貢献してくれるのかを学生に説明してほしい。というわけで、自分で自分を知っておいてくださいとなる。もちろん、働いてみないとわからない部分もたくさんあるけれど。

 

しかし、採用面接では自分が何をしたいのかを大仰に語ることを求められるものの、仕事を選ぶ基準は、やりがいだけではありません。周りへの見栄、お金、仕事外での自分の生活なんかも絡んできます。

 

そこで何に重きを置くかは個人の自由…のように見えますが、案外そうでもないかもしれません。何に重きを置くか、自分は何が好きでどう生きたいのかを自分で考えない人は、社会が勝手に決めちゃう。私はそう思っています。

 

先ほどさらっと話したけれど、私は帰国子女でもなく、英語が好きでも得意でもなく、ただアメリカのリベラルアーツという教育制度に惚れ込んで、正規留学生としてアメリカの大学に四年間通うことを決めました。

 

通っていた高校が都内の進学校だったこともあり、その選択肢を知るまでは、先輩がしていたように、周りのみんながしているように、自分は有名国立大学や私立大学に進学するものだと思っていました。

 

学部、文理すらも高校二年生の終わりまで決めず、適当に選んだ経済関連の本が面白かったことや将来役に立ちそうだという理由で、経済学部か商学部を受験する予定でした。

 

「今の私がアメリカの大学を受けたとして、早慶レベルの大学に受かりますか?」アドバイザーにそう質問したときのことをまだ覚えています。今なら、アメリカに行ってまで学歴を気にするのかと自分に呆れますが、当時は真剣でした。

 

日本の大学に行った方が先輩とのコネクションを作れて、就職に有利かな。日本の経済学部で専門的なことを学んだ方が、仕事で使えるかな。今はよく覚えていないけれど、そんな理由でアメリカに行くべきか日本の大学に進学するべきかをしばらく迷っていた気がします。

 

そう、自分が何をしたいかではなく、社会の中でどう高性能な働く歯車になれるかを考えて、進路を選ぼうとしていたのです。

 

社会で求められる人材になるということは、周りの評価やお給料という面で、お得なことが多いです。だから、自分を見つめずに流れに乗っていると、社会のために生きるという方向にどんどん進んでいきます。

 

でも、お金をもらえる仕事が自分のやりたいこととは限らないし、初めて会った人から評価されやすい会社が自分に合っているとも限りません。自分を受け入れてくれる人に会えないのは、本当の自分に価値がないからではなく、自分がいるべき場所を見つけられていないから。そんな風に考えてみてはどうでしょう。そして、間違った環境を出てどこに向かえば良いかを教えてくれるのは、自分についての知識です。自分が何を好きで、何をしたいのか。

 

それを見つけるのは、そりゃあもう大変で。一生かけても終わらないだろうなとすでに悟っています。大学では学部を決めるために様々な入門授業を取り、あぁでもないこうでもないと友達と議論。専攻がやっと決まった今でも、何をすれば自分が幸せになれるのか、どこに進めばいいのかわからず、考えすぎても意味がないとわかりつつ考えてしまって、悶々とする毎日です。

 

お笑い芸人、オードリーの若林正恭さんの著書『ナナメの夕暮れ』も、いわゆるウェイを否定する生き方では人生楽しくないと気が付いた若林さんが、ノートに一つ一つ自分が楽しいと思ったことを書き、自意識を抑え自分自身を知っていったと書かれています。

 

それくらい愚直に、丁寧に向き合って行かないと、自分を大切にするというのはなかなか難しいことです。それでも、ただ単に便利な人として生きていたのでは、いつまでたっても本当の自分を受け入れてもらうことなどできません。本当の自分を知り、本当の自分を見せてこそ、自分を受け入れてくれる人が見つけられるのではないでしょうか。

 

それと、私は単純に、自分の新たな一面に気がついた時の感覚が好きです。ウェブメディアでのインターンを通して文章が好きかもしれないと気がついた時に、小学校の時から文集委員をしていたことを思い出す。新たな一面は、過去の、毎日の選択に隠れています。

 

自分について知っていると、楽に、そして自信を持って選択できるようにもなります。一度言葉に、広告に興味があるとわかってしまえば、取りたい授業も、Twitterでフォローする人も、暇な時に読む本も、パズルがはまっていくように、落ちる場所に落ちていきます。

 

わざわざ考える時間を取らなくとも、社会の流れから一度離れて自分の幸せについて考えざるを得ないとき、もしくは自然と気がつくときがくるものなのかもしれません。でも、気がつくのは早い方がいいと思うんですよね。きっと幸せになるって、愛されるって、自分を受け入れるって、時間がたくさんかかる一大プロジェクトだから。

 

第一歩としては、自分を責めるのをやめましょう。自分は可愛げがない。自分は今やっている仕事をしていないと価値がない。そんな風に思わずに、あなたは何をしたくて、それをして喜んでくれる人や場所はどこだろう。そんな風に、考えてみましょう。できなくっても、それに挑戦し始めたら、それは大きな一歩です。


 

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