UNFPAインドネシア事務所 内野恵美さんインタビュー【後編】

インタビュー
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国連人口基金(UNFPA)インドネシア事務所 人道支援プログラム・アナリスト 内野恵美さんのインタビューを全2回に分けてお送りします。

後編では、ユース時代とキャリアパス、さらにユースへのメッセージを伺いました。

現在のお仕事について詳しくお聞きした前編はこちら

 

【内野恵美さんの経歴】

上智大学在学中にUNFPA東京事務所ボランティア。卒業後は民間企業やNGO、外務省での勤務を経て、コロンビア大学ソーシャルワーク大学院修士号取得。在学中も、インド・アメリカのNPOにて経験を積み、卒業後は南米ガイアナ共和国の国連開発計画(UNDP)にて女性の災害管理能力強化に携わる。2019 年11月より現職。

 

・内野さんのユース時代について聞かせてください。どんな「ユース」でしたか?考えていたことや取り組んでいたことなどを教えてください。

自分自身のユースを振り返ると、海外で仕事をすること・生活をすることへの憧れがすごく強かったように思います。中学1年の時に1年間父の仕事の都合でアメリカに住み、現地の学校に通っていました。帰国後もいつかは海外で仕事したいと思っていたので、英語だけはとても勉強していました。大学進学を考えるときも、海外で仕事をしたいということが念頭にあったので、上智大学の比較文化学部(現在の国際教養学部)に進学して全部の授業を英語で受け、英語を使って勉強するトレーニングをしました。

また、今振り返ると好きなこと・興味があることに全力な学生時代だったように思います。大学時代には、フランス語を勉強したくてパリ政治学院に短期留学をしたり、ホスピタリティー産業への興味からフォーシーズンズホテル椿山荘でアルバイトをしていました。それに加えて、大学3年生の夏休みに『あしなが育英会』というNGOで通訳の仕事をしたり、大学のスタディーツアーでカンボジアに行ったり、UNFPA東京事務所でボランティアをしたりと、とにかく関心のあること、好きなことをたくさんしていました。当時培った経験や人脈は、今でも私の一番の財産になっています。

 

学生時代に、カンボジア農村部にあるプレスクール(学校に通えない子供たちのための施設)にてボランティアを行っていたときの様子

 

・パリ政治学院に行かれていたんですね。フランス語は今使いますか?

私は残念ながらまだフランス語圏の仕事にアプライ(応募)したことがないので、今はほぼ使いません。でも、JPOに応募するときなどには、英語以外の国連公用語が話せることはプラスに評価されたかなと思います。実を言うと、最近はインドネシア語ばかりを勉強していて、フランス語は少し忘れてしまったんですが(笑)。

けれど、何の言語でもいいけれど英語以外の言語を習得するのはいいことだと思います。例えば、フランス語ができたりするとアフリカのフランス語圏の国で仕事ができるので、自分の選択肢を広げることを念頭において第二外国語をやっておくといいかもしれないですね。

 

・内野さんご自身は、大学時代にしていた国連インターン(ボランティア)は今の仕事に役に立っていると感じていますか?

はい。とても役に立っていると思います。

私のキャリアを簡単に説明すると、大学時代にUNFPA東京事務所でボランティアをして、大学卒業後、新卒で民間企業に入社して何年か働いた後に、またUNFPA東京事務所で短期コンサルタントとして広報のお仕事をする機会をいただきました。その後、NGOで東日本大震災復興支援に携わり、外務省でのジェンダー政策に関わる仕事を経て、コロンビア大学に大学院留学をし、国連ボランティア(UNV)としてUNDPで1年間仕事をした後に、JPO制度を使って現職に就いているという流れになっています。

ゆくゆく国際機関で働きたいと思っているのなら、国際機関の中に入ってみて、どのような働き方をしているのかを知れることはとても良い経験になると思います。東京事務所は日本国内での広報や日本政府に対しての資金調整をしているので、将来プロジェクトの資金面などで日本政府に掛け合いたいと思った時に、どのように交渉していけば良いのかというノウハウを知ることができました。まず実務的な意味で、私はボランティアから始めてみてよかったと思っています。

それから、人とのご縁を作るという意味でも国連でのインターンはすごくいい経験だと思っています。例えば、このインタビューのお誘いをいただいたのは、学生時代に上司としてお世話になったUNFPA東京事務所の方のご紹介だったのですが、ボランティアをしていた当時から長い時間が経った今でもお世話になっています。

内野さんのキャリアパス

 

 

・上智大学在学中からUNFPA東京事務所でボランティアをされていたとのことですが、「女性のエンパワーメント」に携わりたいと思ったのはいつからでしょうか。きっかけなどあれば教えてください。

そうですね。ジェンダーに関しては、中学生・高校生くらいの時から問題意識を持っていたように思います。というのも、私の母が、結婚を機に仕事を辞めることになったんです。もともと高いスキルがあるのに、専業主婦として生活している母を見て、女性だから仕事と家庭どちらかを選ぶ必要に迫られて仕事を続けられないなんてもったいないと思っていました。ジェンダーという概念は中学生・高校生の時は知らなかったけれど、女性だから何かができないという事実や、「女性らしさ」「男性らしさ」という言葉に昔から違和感を覚えていました。それから、大学生の時に社会学の授業で「ジェンダー」について習って、「私の問題意識はまさにこの問題だ」と思いました。

UNFPAでのボランティアは、大学在学中に、UNICEF国際協力講座で当時のUNFPA東京事務所長の講演を聞いたことがきっかけです。ちょうどUNFPA東京事務所のボランティアを募集していたので、「国際機関で働けるなんてかっこいい」と思い応募しました。

その後のキャリアを選択していく上でも、途上国や先進国という区切りはあまり意識せずに、女性のエンパワーメントに関わる仕事を選んできたように思います。例えば、民間企業で働いたあとに、東北の復興支援として被災した女性の就業支援をしたいと思ったのも、女性のエンパワーメントに関わる仕事で、かつ民間企業での経験が活かせる仕事だと思ったからです。ですから、この分野を軸にこれまでのキャリアを作ってきたように思います。

UNFPA東京事務所ボランティア時の内野さん

 

・これまでさまざまなお仕事を経験されてきたと思うのですが、ファーストキャリアはどのように選んだのでしょうか。その後のキャリアや国際機関への転職を見据えて就職活動をしていたのですか。

結論から言うと、先を見据えていたわけではないですね。学部生の時から国際機関に行きたいとは思っていて、外務省の国連人事センターの説明会にも参加していました。そこで、国連でのキャリアを目指すときには必ず「専門性が必要」と言われたのですが、私にとってはどんな「専門性」を得ればよいのかを決めることがすごく難しいと感じていました。今でこそ、「私のバックグラウンドはソーシャルワーク(社会福祉)で、特にジェンダーと防災管理(自然災害・防災)を柱にしています」と言うことができていますが、学部生の時はそのような専門性を得ようとなんて全く思っていませんでした。漠然と女性のエンパワーメントをやりたいとは思っていたものの、どの大学院に行けばいいのかとか、どのようなスキルを身につければいいのか全くわかっていないまま、大学を卒業しました。

就職活動も、全然準備していたわけではなく。当時は卒業を一年伸ばして海外での活動をもっとしたいと思っていたのですが、私の大学卒業の年にリーマンショックという大規模な経済危機が起こってしまって、諦めて就職活動を始めました。ですので、就職活動を始めるのが遅くなってしまったんですね。JICAやJICEといった国際協力の仕事も受けてみたんですけど、なかなか新卒で国際協力の仕事をするポストが少なかったので、民間企業にも間口を広げ、いろいろな職種を受けました。

結果として独ダイムラー傘下の『三菱ふそうトラック・バス株式会社』という会社とご縁をいただきました。この仕事をファーストキャリアとして選んだ理由は、外資系でメーカーということもあり、職種別採用をしているので、就職したあとにどの上司のもとでどのような仕事をするのか、というイメージがしやすかったことが一つ挙げられます。

また、日本の商品を海外に売る仕事を通して、海外に行ったり、海外の人と働ける機会が多いだろうと思ったこと。それから、外資系だったので、若手にもいろいろなチャンスが与えられたりとか、中途採用も多く人の流動性がいい意味で高かったりすることも魅力に感じていました。その先のキャリアが明確に見えていたというよりも、社風を見て「自分らしくいられそうな会社」「若手にもチャンスがもらえそうな企業」という角度で決めたように思います。

 

・その後、コロンビア大学で大学院留学をするに至った経緯を簡単に教えてください。

実は、大学選びも専門選びも二転三転しました。コロンビア大学は3度目の大学院受験で合格したのですが、その時々で興味のある分野が違っていたんですね。例えば、大学時代にはNonprofit MBA(非営利経営学修士)を取るべく勉強していましたし、その後は平和学の修士を受験したり、かたやMPA (公共衛生修士)の勉強をしようと思っていくつか大学を回ったりもしました。

けれど、最終的にソーシャルワークの勉強をしようと思ったきっかけは、特に東北での復興支援をしていく中で、その先のキャリアとか関係なしにこの分野を強く学びたいと思ったことでした。実務経験もあり、その後のキャリアも明確だったからか、その時には受験した学校全てから合格通知をもらうことができました。

ソーシャルワークを学べる大学院の中で、コロンビア大学を選んだ理由は、私が学びたかったNGOのマネジメントやプロジェクト評価に関わる、マクロソーシャルワークという分野に強かったこと。また、アメリカに住んでいたので、アメリカの大学院に憧れがあったこと。週に3日働いて、2日授業を受けるプログラムだったので、アメリカでの就労経験も積みながら勉強もできることに魅力を感じていました。ニューヨークにあって、国連本部に近く、多様な人種やバックグラウンドの人々が集まる場所で働くことができることも決め手の一つになりました。入学してから気がついたことでしたが、国際機関にはコロンビア大学卒業生が多く、改めて選んでよかったなと思います。

 

・先ほど国連で働き始めるまで10年かかるというお話がありましたが、モチベーション高く目指し続けたいと思う反面、10年間は長く感じられてしまいます。内野さんは、民間企業などでご活躍されている間、国連でのキャリアに繋げるためにどのようにモチベーションを高く保っていたのでしょうか。

現在の仕事を始めてから気づいたのですが、インターナショナルスタッフとして長年現地スタッフとして働いている人たちよりも手厚い待遇を受けて仕事をする以上、それ相応の覚悟や経験が必要になってきます。10年はとても長いですが、その待遇の分の価値を出すためには、大学院や現場での下積みが必要になってくるのだと実感しました。

モチベーションを保つという面では、もちろん「誰かの助けになりたい」とか「ジェンダー問題のために何かしたい」という他者に対する奉仕の気持ちも重要ではあるのですが、それだけではモチベーションを維持するのは難しいと感じます。「海外で働きたい」「国際機関で色んなバックグラウンドの人たちとともに働く自分になりたい」といったような自己実現の気持ちを持つことも大切だったと思っています。

民間企業とか、一見国際開発とは関係のなさそうな仕事をしていた時も、「いつかは国際機関で働きたい」という思いを忘れずに、「どんな仕事をしてどんなスキルがついたか」という棚卸しを常にしていました。例えば、どこの職場でも自分が今週やった仕事と身についたスキルを書くようにしていました。たとえば民間企業にいた際には、プロジェクトマネジメント、国際物流、国際会計など国際機関でも生かせるようなスキルが身に付いたことがわかったので、実務に加えて週末などを活用してそれらを裏付ける資格を取るようにもしました。

それから、国連でのキャリアって、一人きりで実現できることではないので、応援してくださる方たちへの感謝の気持ちでモチベーションを続けて来られた部分も大きいと思います。

実際、私の場合、自分で次の仕事を見つけたことがほとんどありませんでした。強いて言えばファーストキャリアくらいかもしれません。というのも、大学生の時から「自分が何をやりたいか」を常に発信しつづけていたので、私の興味のありそうな仕事を周りの人が紹介してくれたり、人とのご縁を繋げてくれたりしたんですね。ですから、自分1人のキャリアではないと感じていたので、自分を応援してくれた人たちに、キャリアで活躍することで恩返しをしたいという気持ちがありました。ですから、みなさんも先輩をたくさん頼ってサポーターを増やしていって欲しいなと思います。

 

・最後に、ユースにメッセージをお願いします。

私自身もまだ道の途中なのですが、国際協力のキャリアは長いし、先が見えないように感じてしまうこともあると思います。けれど、必ず後で点と点は繋がっているように感じています。

私がユースの方たちに個人的におすすめなのは、「内野さんはジェンダー」のように自分にタグをつけていくイメージで、自分の興味のあることを発信していくことです。タグを覚えてもらえたら、あとでそのタグに関する仕事を見つけたり、人と知り合ったときに連絡をしてくださる方がいらっしゃるんです。ですから、関心があることをどんどん発信していって、自分自身をブランディングしていくことが大切だと思います。

それから、人とのご縁がなければ今のキャリアはないので、みなさんも今あるご縁に感謝して欲しいと思います。学生の頃は、先輩方に時間を取ってお話をしてもらったとしても、自分からお返しできることはすごく少ないと思います。ですがその分、直後にお礼をすること(今は珍しいかもしれませんが、私は直筆のお礼状を書いて送ったりもしていました)とか、経過報告を定期的にすることを通して、直接的にはお返しできなくても、時間を割いてよかったと思ってもらえるようにすることが大切だと思います。そうやって得られた人との繋がりは大きな財産となります。

「大学生の時に作った人脈がなければ、今の私はない!」と言い切れるくらい、人生の節々で支えてもらっています。大学時代に会った人たちが数年後同じような業界にいたり、社会に出てから助けてもらったりすることは数え切れないくらいありました。社会人になってから知り合うのとはまた違う繋がりになるので、ユースのみなさんには今の出会いを大切にしてほしいと思います。

学生時代に、一般社団法人あしなが育英会の通訳として、親をなくした遺児たちの交流事業に参加したときの様子。私がソーシャルワーカーを志すきっかけをくれたメンターや、後に国際協力や東北震災復興を共に志す仲間たち、インドネシアの自然災害遺児たちと出会ったのも、このときでした。

 

◎感想

水島
笑顔で気さくにお話をしてくださり、とてもあたたかな時間でした。“Who’s missing in the dialogue?” この言葉を常日頃意識されているということが、とても素敵だと思いました。私もこの言葉を心の中にいつも置いておけるよう、意識していきます!(実際、インタビューの日から毎日この言葉を思い出してしまいます)
また、10年先のキャリアプランを大学生のいま明確化する必要は必ずしもなくて、「人との繋がりを大切にする」「スキルの棚卸しをする」といった日々の一歩一歩を積み重ねることが大事なんだ、と改めて思いました。シンプルに見えて継続していくのは簡単ではないことだと思うのですが、それを実行してきた内野さんの溢れる人柄や仕事への誇りがキラキラして見えて、自分もこれらを継続していこう、と心に決めました。素敵な、貴重なお話をいただきありがとうございました。

 


私はまだVoYJに入ったばかりで専門も決まっていない学部の2年生なのですが、とても優しくて気さくな方で、未熟な私の質問にも丁寧に答えてくださったのがとても印象的でした。内野さんのご経歴には私が目指している道と重なる部分が多くあり、非常に参考になりました。内野さんが「声なき声」に耳を傾けるために行っていらっしゃる取り組みとして、見落とされている人の立場を考えることと一般化しないことをあげていらっしゃいました。政策決定の際にこれらのことを気をつけるべきだということはすごく納得しましたし、身近な環境でも意識しなければならないことだと感じました。SDGsが掲げている「誰ひとりとり残されない世界」の実現に向けた取り組みを内野さんが体現されているのだということを、お話の節々から感じ、平易な表現ではありますが、素敵だと思いました。今回はありがとうございました。

 

影山
お話ししやすい雰囲気で優しく受け答えをしてくださり、とても素敵な方でした。誇りを持ってお仕事をされているのがお話の節々から感じられて、すごくかっこよくて憧れてしまいました。特に印象に残ったのが、モチベーションを保つ方法についてのお話です。インターナショナルスタッフは『手厚い待遇を受けて仕事をする以上、それ相応の覚悟や経験が必要になって』くるという視点は正直自分にはなくて、気が引き締まる思いがしましたし、『応援してくださる方たちへの感謝の気持ち』をモチベーションにするという考えは、自分も大切にしたいと感じました。今いろいろな方に応援してもらっていることに感謝をしつつ、つながりを大切にしていこうと思います。「やっぱり国連職員は夢のある素敵な仕事だな」「自分も頑張って目指してみたいな」という気持ちを、特に強くしたインタビューの時間でした。

 

 

いかがでしたか?

学生時代から現職まで多様な経験をお持ちの内野さんならではの、貴重なお話をたくさんいただきました。ユース時代やキャリアについても深くお伺いできたので、ユースの皆さんは是非参考にしてみてください!

 

 

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