UNICEF中東・北アフリカ地域事務所 インプリメンティング・パートナーシップ・マネジメント・スペシャリスト 渡部美久さんのインタビューを全2回に分けてお送りします。
前編では、ユース時代からアンマン事務所でのお仕事についてお話を伺いました。
【渡部美久さんの経歴】
国内の大学を卒業後、米国の大学院で教育社会学修士号と国際教育開発学博士号を取得。在学中にUNICEFインド事務所とUNESCOパキスタン事務所でインターンを経験し、卒業後は日本で開発コンサルタントとして勤務。ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)制度で青少年育成・参加担当官としてUNICEFネパール事務所で勤務後、2017年よりバングラデシュ事務所イノベーション専門官。2021年より現職。
・以前のインタビュー記事ではバングラデシュでのお仕事についてお話しになっていましたが、現在のお仕事について教えて下さい。
現在の仕事は、バングラデシュでやっていたこととかなり違う分野です。今のポストの名前は、「インプリメンティング・パートナーシップ・マネジメント・スペシャリスト*」と言います。少し長いのですが、簡単にいうと、プログラムを実施する際のモニタリングを主に担当しています。
私が今勤務しているのは、ヨルダンの首都アンマンにある「UNICEF中東・北アフリカ地域事務所」で、主な仕事は管轄している国事務所のサポートとなります。UNICEF単体でプログラムを実施することはあまりなく、それぞれの国事務所がローカルNGO(市民社会団体)と一緒に様々なプログラムを実施しています。中東・北アフリカ地域の国事務所のパートナーを合計すると、全部で800以上になりますね。
UNICEFは、「子どもの権利」という視点から、教育や保健・栄養、水衛生、子どもの保護など、多様なセクターに分かれて活動しています。ですが、多様な分野で包括的に活動しているローカルNGOは少ないので、それぞれのNGOが得意としている分野は全く異なります。そのため、UNICEFの内部にある様々なセクターが、それぞれ別のNGOとパートナー契約を結ぶことになります。だから、これだけ多くのパートナーがいるんですね。
プログラムを実施する際には、ローカルNGOと一緒に計画を立て、お互いが合意書に署名をした上で、立てられた計画に沿って活動をすることになります。私は、計画の質の検証や、計画通りにプログラムが進んでいるかのモニタリング、ボトルネック(律速要因)の解消などを、現地スタッフとのコミュニケーションを通じて行っています。
加えて、資金運用を担当する部署と連携しながら、資金管理と資金に関するモニタリングも担当しています。立てられた予算通りに資金を活用しているかどうかをモニタリングすることや、そもそも立てられた予算が一番経済的で効果的な運用方法なのかを確認することも、私の仕事の一つになります。
*implementing partnership management specialist:プログラムを実施する上での、パートナーシップを管理する専門官
・ローカルNGOと一緒にプログラムを行う際には前もって計画を立てているというお話でしたが、その計画は国ごとに決めているのでしょうか。それとも、もう少し広い枠組みで決めているのでしょうか。
UNICEFでは4年ごとにストラテジック・プラン(戦略計画)が作成されていて、UNICEF全体としてどのようなことに注力していくのか、大まかなフレームワークが定められています。この国際的な枠組みに基づいて、地域事務所はその地域における優先項目を設定し、国事務所はその国の背景や状況に合わせて4〜5年単位でのカントリー・プログラムを立てています。
ローカルNGOとのパートナーシップ契約は、国事務所が作成した計画に基づいて交わしていくという流れになります。ですので、実際のプログラムの背後には様々な計画や枠組みがあり、全てリンクしているということになります。また、それぞれの国事務所が立てた計画が国際的な枠組みに沿っているかを確認することも、地域事務所の役割の一つに挙げられます。
・VoYJの読者にはユースが多いのですが、渡部さんがご自身のユース時代にどのようなことを考えていたのか教えてください。
高校時代には、まだ開発問題や国際問題に出会っていませんでした。英語は好きだったので力を入れて勉強していましたが、思い返すと一般的な高校生だったように思います。
その後、英語が好きだったこともあり、大学では国際学科を専攻しました。今でも覚えているのですが、大学1年生の時に受講した国際開発論の授業で、紛争、難民、児童労働、児童婚、貧困など、様々な国際問題について初めて知り、雷に打たれたような衝撃を受けたんですね。自分は今まで何も知らず、何もしてこなかったけれど、世界には深刻な問題がたくさん存在するということを初めて知った時に、居ても立ってもいられないような気持ちになりました。それから、大学の先生と話をしていく中で、国際的な問題を解決していく方法として、国連という選択肢を考えるようになりました。
国連職員になりたいと思ってから、アメリカの大学院に進学することも考えるようになりました。なぜ大学卒業後すぐに就職しなかったかというと、国連職員になるためには少なくとも修士号が必要だったというのが一つの理由です。それと同時に、日本の就活という仕組みがなんとなく自分に合っていないようにも感じました。就活をしながら大学院の準備をする人もいると思いますが、自分はその2つを同時に進めていくのが難しそうに見えたので、バイトやゼミをしながら大学院留学の準備をしていたというのが、大学生活の後半だったと思います。自分の将来について深く悩んだ末に進路を選択したというよりは、前述の居ても立っても居られない気持ちから、心が先に立って進路を選んでいたという感じだったように思います。
・現在、UNICEFの職員として国際問題の最前線に立って業務を行う時に、大学時代に学んだことが生かされていると感じますか。もしくは当時と比べて気持ちの変化はありますか。
当時と同じような課題がまだまだ山積していることをもどかしく感じます。貧困問題や児童婚など、20年ほど前に自分が大学で学び、どうにかしなければならないと思った社会問題の状況が、例えばロヒンギャの難民キャンプなどの現場で、変わらずに目の前にあるんですね。「あれから20年も経っているのに、これはどういうことなのか」と感じますし、「どうにかしなければならない」という気持ちがより強くなります。だから、現場に足を運ぶたびに、その状況に晒されている人のニーズに少しでも応えたいと思いますし、問題の根本にある本質を変えていかなければいけないと感じます。
もちろん全く前進していないというわけではなくて、国連が定めた指標で見ると少しずつ進歩は見られます。例えば児童婚に関連して、妊産婦死亡率や5歳未満死亡率を見ると世界的に減少しているが分かりますし、急激に変化があった指標もあります。けれど、最貧困地域などを実際に訪れてみると、昔から言われている社会問題がまだ目の前に存在しているんですね。SDGsの大目標に「誰一人取り残さない」とありますが、このような地域の人々に対しても効果を波及させていくことが今後の課題となってきますし、スピードをより速めていくことも重要になります。
一番取り残されがちな人々にアプローチして意識変容・行動変容を起こしていくのは、コストもかかりますし、難しいことです。けれど、全体的な社会・経済レベルが上がっている中で、取り残されがちな人々に対しての注目をより高めていく必要性があると感じています。
・大学を卒業して、海外大学院にすぐに留学しようと思った理由を教えてください。
前提として、この質問については、どちらが正解なのかと聞かれることも多いのですが、国連職員として活躍している人の中には、大学卒業後に大学院にそのまま進学した人も、一度就職した人もどちらもいるので、どちらも正解になりうると思います。
私の話をすると、私が日本の大学を卒業してアメリカの大学院に入学しようとした理由は、専門性をつけたいと思ったことと、英語力を伸ばしたいと思ったからでした。
専門性については、私の学部時代の専攻は教養学部国際学科だったので、勉強していたことがかなり一般的なことばかりだったんですね。国際開発学の導入を1年生の時に習った時、私は児童労働の問題に強く興味を抱いたので、卒業論文では児童労働と経済発展との関係について研究しました。その卒業論文は、貧困のスパイラルを断ち切るために、教育が最も重要な要素になるという内容だったと記憶していますが、研究を進めていく中で自分の専門性がまだまだ足りないと痛感しました。一般教養という観点では、国際問題への知見は深まったと感じましたが、これから専門家として世の中で活躍していくには、もっと教育学や教育社会学を学んで、教育が社会に与える影響について研究したいと思ったことが大きなきっかけです。大学時代は時間が全く足りませんでしたし、そのまま社会に出てしまうと、社会問題に対して抱いているモヤモヤが解消されないと思ったんですね。調べれば国際協力をしている企業も見つかったと思いますが、そういった企業への知識もあまりなくて、当時は専門性をもっと高めたいと思って大学院への進学を決めました。
それから英語力については、大学卒業時にはまだまだだと感じていましたので、海外の大学院で揉まれることで英語力をつけながら、様々な国籍の学生と勉強したいと思っていました。加えて、もちろん将来的には国連職員を目指したいと思っていましたので、海外大学院の方が自分にとってはベターな選択だと考えていました。
・海外大学院では、修士課程だけではなく博士課程にも進まれていますが、博士課程に進もうと思った理由を教えてください。留学当初から博士課程に進もうと思っていたのでしょうか。
修士課程を卒業して博士課程に進んだのは、これも専門性がまだ不十分だと思ったからでした。
修士課程では教育社会学を専攻したのですが、大学学部時代には教育学も社会学も学んでいなかったので、初めて専門的な勉強をしたんですね。ですが、その修士課程の2年間でパンドラの箱を開けてしまったような状態で、この領域の広さと深さに愕然としてしまいました。元々大学院に進学する前には、修士課程の2年間を終えたら専門性がついて、現場に行って専門家として働けると思っていたのですが、2年間で自分の専門性が高まったと言えるのかを考えた時に、まだまだ自分は使い物にならないというふうに感じました。英語力も、教育社会学者としても、経験も、全然足りていないと感じたんですね。修士課程に所属している間に国連インターンに参加して現場を見たりもしたのですが、「これでは現場に出られない。このまま現場に出ても役に立てないし何もできない」と自分で思ったんです。いい先生方にも恵まれ、経済的にも奨学金をもらえていたので、総合的に判断して、このまま博士課程に進もうと決断しました。
ですから、大学院に入学する前には博士課程に進もうとは全く思っていなかったというのが正直なところです。同級生や教授の先生方には、研究者という感じではないと言われていましたし、自分でもそう思います。というのも、フィールドベースで実務者に近かったのだと思います。研究者は一つの領域に関する知識の幅を広げて、知識を創出・提供していく人だと思うのですが、私は得られた知識を使って問題を解決したいと思っていたので、より実務者に近い考え方をしていたのだと思います。
その後、博士号を取得した後にJPOを受験したのですが、実は一度落選しているんです。というのも、JPOの採用条件には途上国経験と2年以上の職務経験があって、私は職務経験が足りなかったので落選してしまいました。
・今まで国連職員を目指していく中で感じた迷いや不安など、もしありましたら教えてください。
前提として、国連職員を目指していたというよりは、フィールドで活躍したいと考えていました。だから、国連職員にも応募はしたのですが、 NGOの海外駐在員や、JICAの現地職員、現地開発コンサルタント、大使館の開発プログラム担当官など、ありとあらゆる開発系の仕事にも応募してきました。けれど、実はその多くに採用されなかったんですね。採用されたのは、JICAの開発コンサルタントと国連職員だけでした。
当時は博士号を取得したすぐ後だったのですが、時間をかけて経験を積み、専門性も高めてきたと思っていたので、それでも不採用となることに少し落胆しました。けれど、その時に学んだことは、多くの仕事で不採用だったからといって自分の人生が終わるわけではなく、私が JICAの開発コンサルタントに採用されたように、自分の専門性や経験を認めてくれる場所がどこかにあるということでした。「適材適所」ということですね。求められているスキルや経験が組織によってきっと全く違うのだと思います。例えばJICAなら、過去に青年海外協力隊などを通したJICAでの職務経験がある人を採用する傾向があります。それぞれの組織が求める人材のバックグラウンドは違うので、自分とマッチしているところを探すことが大事なのかなと感じました。
そうだったんですね。「適材適所」という考え方をしたことがほとんどなかったので、とても興味深く拝聴しました。ありがとうございます。
・フィールドで活躍したいというお話をされていましたが、他の組織に移らず、国連職員を続けていらっしゃる理由を教えてください。
国連の強みとして私が感じているのは、現地の政府と一緒に、仕組みや法制度を整えたり、政策を立てたりしていけるということです。国連の活動がもたらす効果の継続性と広がり方は、他の組織と比べた時に非常に大きな強みであると感じます。例えば、私は以前の勤務地のバングラデシュで、児童婚の問題に深く関わっていたのですが、5年間のアクションプランを政府の様々な省庁と一緒に作成し、大統領の号令で活動を進めていくことができました。このように国連は、大きなスケールで活動を進めていけるプラットフォームだと言えると思います。
プロジェクトベースの活動だと、自分たちが活動している期間に特定の場所にいる人たちには効果が与えられるけれど、自分たちが撤退した後にまで効果を持続させていくのは難しいんですよね。仕組みや政策を政府とともに作っていく活動と、プロジェクトベースの活動、両方に強みはあるのですが、広く面的展開ができて、長期間効果が出るようなプログラムを進めていけるという国連の強みに、私は魅力を感じています。
いかがでしたか?
後編では、これからの意気込みや若者へのメッセージについて、詳しくお話を伺います。
お楽しみに!
VoYJ3代目編集長。自然や動物が大好き。研究テーマは人と自然のつながりや自然の価値。国際的な舞台で、人と動物がどちらも幸せに暮らせるような社会を実現するのが夢。いつか自然の素晴らしさに共感してもらえるような写真のたくさん入った本を出版してみたい。