UNICEF東京事務所 正木絵理さんインタビュー【前編】

インタビュー
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国連児童基金(UNICEF)東京事務所 コミュニケーション専門官の正木絵理さんのインタビューを全2回に分けてお送りします。

前編では、現在のお仕事や、ユース時代から現在に至る軌跡をお伺いしました。

 

【正木絵理さんの経歴】
UNICEF東京事務所 コミュニケーション専門官

創価大学経済学部を卒業後、外資系商用車メーカー、PRコンサルティング会社、外務省に勤務。
米国ジョージタウン大学外交政策学修士課程修了。2019年からUNICEF勤務。カンボジア事務所と東京事務所でのインターン、NY本部でのJPO(Junior Professional Officer)を経て、2021年2月より現職。

 

①現在、東京事務所ではどのようなお仕事をされていますか?

UNICEF東京事務所は、ニューヨーク本部の公的パートナーシップ局の一部として、日本政府との政策対話やUNICEFに対する資金協力を働きかけたり調整したりしています。また、国会議員、国際協力機構(JICA)、非政府組織(NGO)等、国内の様々なパートナーと協力して、子どもの権利やUNICEFの活動への理解と協力を促進しています。

私の所属するコミュニケーションとアドボカシーのチームでは主に、日本政府をはじめとした公的ドナーの皆さまから頂いた拠出金がどのように現場で子どもたちのために使われているのか、日本の人たちに知ってもらうための広報活動をおこなっています。日本政府の資金協力で実施されたプロジェクトに関するニュースやストーリー、世界各地の最前線で働いているUNICEF職員の活動を広く知ってもらうための日本人職員へのインタビュー記事等を作成し、私たちの事務所のウェブサイトやソーシャルメディアを中心に広報をしています。

また、国事務所や地域事務所と議員の先生方を繋いだブリーフィングを開催したり、日本政府のパートナーの方々に最新の資料を共有したりすることを通じて、子どもたちを取り巻く環境がどのような状況であるのかを伝えているほか、政府関係者の方々に、資金協力をお願いするための要望活動を行うこともあります。

また、一般の人たちにUNICEFの活動や日本政府による支援をより知ってもらうために、親善大使の方々に難民キャンプなどを訪れて、子どもたちの直面している現状を知っていただき、より多くの人たちへ活動の理解を促進していただくお手伝いをお願いすることもあれば、日本ユニセフ協会と連携して、国内オーディエンス向けの、アドボカシーイベントを開催することもあります。さらに、VoYJをはじめとした、日本国内のユースと連携しながら、ユースが日々直面している問題や、ユース主体の活動のサポートを日本ユニセフ協会と共に進めることも私たちのチームの役割です。

このように幅広い国内パートナーとの協力をカバーするチームなのですが、私ともうひとりの同僚、2人のみで成り立っている小さなチームなので、インターンや国連ボランティアの方々にもたくさんお手伝いをいただいています。東京事務所の広報・アドボカシー活動に関しては、代表に意見を仰ぎながら、私が意思決定や方向性の決定を担っています。

 

 

②ユース時代はどのようなことを考えていらっしゃったのですか?

国際協力の仕事に興味を持つようになったのは、高校生のときでした。

普通の高校生でしたが、社会科が好きで当時から社会課題に興味があったように思います。高校1年生の時に、社会科の先生が私に「僕たちは、自由だ!―クレイグ少年の南アジア50日間の冒険記」という本(https://www.kielburgerbooks.ca/home/free-the-children-book/ )を貸してくださいました。児童労働に関する活動をしている「Free the Children Japan」というカナダのNGOをユースが立ち上げたということが書かれていました。その時、児童労働について初めて知ってショックを受け、同世代の子どもがNGOを立ち上げて世界中を飛び回り、国のリーダーに訴えかける活動をしていることに刺激を受けました。「NGOってすごい、自分も何かできないか?」と考えて、高校1年生の時、東南アジアの子どもに学校へ通うための奨学金を提供している日本のNGOに連絡を取って、現地の状況のブリーフィングをしてもらいました。高校生でもできることとして、①書き損じ葉書を回収し、切手と交換して、NGOの郵送物発送のために寄付すること、②学園祭でバザーをして収益を奨学金として寄付すること、③様々なイベントや新聞社、雑誌などで高校生代表として話すこと、という3つを教えてもらいました。このような活動に携わる中で、当時色んな方から「記事見たよ」「募金したよ」と言ってもらって、広報やアドボカシーの重要性を実感しました。この経験をきっかけに、将来子どもの権利や開発の分野で広報やアドボカシーに携わることができたらいいなと思うようになりました。

一方、その理想をどう実現するかについては、しばらく悶々としていました。得意だった社会科と、好きだった文章を書くことを通して、新聞の投書欄やユース向けのエッセイコンテストに応募したりしていました。JICAのエッセイコンテストの副賞である研修旅行や、文部科学省が実施する青少年交流事業の参加者に選ばれ、タイ・フィリピン・シンガポール・マレーシアを訪問する機会を頂きました。貧富の差や、生まれた場所が違うことによる不平等を目の当たりにして、やはり開発業界で働きたいという思いを新たにしました。

 

大学4年生の時にインターンとしてお手伝いをしていた教育系NGOの活動の一環で、奨学金の贈呈式に同行したときの写真

大学4年生の時にインターンとしてお手伝いをしていた教育系NGOの活動の一環で、奨学金の贈呈式に同行したときの写真

 

大学は海外で学びたいと考えていて準備をしていたのですが、家庭の事情もあり、日本の大学に進学することになりました。大学3年生の時、タイに一年間交換留学をすることになり、高校生のころ関わっていたNGOのタイ事務所でインターンを継続しました。遠隔地の村や学校を訪れた時に、仲良くなった9歳くらいの女の子のあだ名が「ラッキー」でした。ラッキーじゃないと学校にもいい仕事にもつくことができない。自分がラッキーでありたいという思いから、自分で名付けたと話してくれました。ラッキーじゃないと学校に行けないということがとても衝撃的で、この状況を変えていかなければならないと思いました。NGOでは、奨学金の提供に加え、学校の水と衛生環境の改善や、学習に必要な教材の配布などを行っていて、子どもたちの希望あふれる姿を見ました。こういった仕事に携わりたいと強く思うようになった原体験でした。

 

 

③ユース時代にしておけばよかったこと/していてよかったことはありますか?

自分がいたって平均的な若者だという認識を持ったうえで、何が好きか?何ならがんばれるか?を見失わなかったことはよかったと思います。若いうちは特に、学校の成績や部活動の成果などで人と比べられる機会も多く、自分なんて、、と思うこともありますが、そういった尺度だけに縛られずに、自分はこれが好き、これをやっていると楽しい、これなら頑張れるというものを見つけられたことがよかったと思います。私の場合は、文章を書くこと、人に何かを伝えることが好きというのがあってエッセイコンテストに応募したり、そこからつながって途上国を訪問したり、留学などに挑戦したりできました。

やっておけばよかったことはすごくたくさんあって…

勉強や仕事の外で息抜きや、自分をケアしたりメンテナンスする方法を知っておくということが重要であることに気づきました。自分のユース時代は趣味らしい趣味がなかったので、何か見つけておけばよかったなと振り返って思います。

あとは旅行です。社会人になると、休みを取るのが大変です。ユースのうちに、もっと世界を自分の目で見ておけばよかったと思います。東南アジアはいっぱい行けたのですが、中東やアフリカなど、遠くてなかなかいくことのできないような地域を旅して、色んな文化・価値観を持つ人々ともっと触れ合う機会をもっておけばよかったかなと思います。

最後に語学です。私の学生時代は、単語の暗記や文法など、いわゆる語学の「勉強」を中心にやってきたのですが、会議やプレゼン、同僚との会話などに使われる「生きた英語」に触れる機会が少なく、若いうちに映画やドラマなどをたくさん見たり、外国人の友人を作るなどして習得できていればその後ここまで苦労することはなかったように思います。どれだけいい仕事をしていても、それを上手くプレゼンする力がとても大切なので。第二外国語についても、タイ語は勉強していたのですが、国際機関の公用語も勉強しておけばよかったかなとも思います。異動先の選択肢や国際機関内での昇進にも関わってきますので。

 

同NGOの活動の一部として訪れたラオスとの国境近くにある村の子どもたちと一緒に。小学校へ図書館とトイレを建設するための現場視察に同行した。

同NGOの活動の一部として訪れたラオスとの国境近くにある村の子どもたちと一緒に。小学校へ図書館とトイレを建設するための現場視察に同行した。

 

③「生きた英語」はどのように習得したのですか?

最初は、英語は聞けるけど、話せないという感じでした。とにかく他の人がどのような話題を選んでどんなフレーズで話しているのかをその場で吸収する。そして恥ずかしい思いや悔しい思いをしながら場数を踏んでだんだん慣れていきました。語学以上のコンテキスト(背景)などその場にいないとわからないこともありました。たとえば、UNICEFに入って最初の上司はコロンビア人で、同僚もアメリカ人、スペイン人、中国人でした。例えば担当地域だったラテンアメリカの同僚達は、仕事の話と同じくらい、パーソナルな会話をすることを大事にしていたように思います。週末は何をして過ごしたかとか、マラソン大会はどうだったか、などカジュアルな会話で場を温めた後、本題に入る。そういった教科書では学べないコンテキストがありました。そしてなにより、自分の周りにいる、話すのが上手い人のまねをする、ということに尽きるのではないでしょうか。私の場合、帰国子女ではないので、未だにネイティブスピーカーのように英語を話すことは難しいですが、英語で論理だって話をするのが上手な同級生や同僚が使っている言い回しをメモするなどして、自分の表現に取り入れていくようにしていました。

 

 

④なぜ国連職員を目指されたのですか?

最初は、先程お話したようにNGOに興味があったので、NGOに入りたいと思っていました。NGOでインターンする中で、NGOは新卒で入ってもなかなか力を発揮するのが難しい、ある程度の経験が必要な就職先であると感じて、まず最初のキャリアでは、英語力を付け、若いときに海外駐在を経験し、職種採用のある民間企業で専門性を高めようとしました。国連はずっと頭の片隅にあったのですが、最初は民間での仕事を覚えるので精一杯でした。4年間自動車の広報の仕事をして、もう少し広報の専門性が高められる仕事をしたいと思うようになって、PR会社に2年間勤めました。開発をやりたい思いは変わらなかったので、東京でセミナーや勉強会に参加してチャンスがあればという気持ちをずっと持っていました。

民間企業で6年ほど勤めた頃、当時外務省で働いていた友人から外務省専門調査員試験について話を聞く機会があり、ニューヨークで日本政府の外国メディア担当として働くチャンスが巡ってきました。ニューヨーク勤務時代には、たくさんの国連職員の方とお話する機会があり、国連の魅力について直接お話を聞くことが出来ました。例えば、NGOは遠隔地や国連が入っていけない難しい地域で活躍していてとても重要なのですが、国連では一つの機関でもセクターを超えた様々なテーマを扱っていたり、良い取り組みを他の国へ展開できるという規模のメリットを感じました。またよく言われますが、国連なら、赤ちゃん、学校の先生から、大臣、事務総長など、開発の上流から下流まで幅広く関われるというところが面白いとも思いました。

最初から国際機関で働きたいと思っていたというよりは、子どもを支援する仕事に興味があって、縁や偶然も重なり、国連っていいなあと思ういくつかのきっかけが重なっていったという感じです。NGOやその他の開発期間にも未だに興味はありますし、国連もその他の組織も経験するのも、より開発分野の知識や経験に幅が出ていいのではないかと思います。

 

JPOとして勤務していたUNICEFのNY本部ではじめて担当した国連総会での一コマ。プラスチックの廃材を使って作った教室を、世界中から訪れた政府関係者にみてもらえるよう案内をしているところ。

JPOとして勤務していたUNICEFのNY本部ではじめて担当した国連総会での一コマ。プラスチックの廃材を使って作った教室を、世界中から訪れた政府関係者にみてもらえるよう案内をしているところ。

 

⑤JPOに挑戦されるにあたり迷いはありましたか?また挑戦の決め手はありましたか?

JPOを受ける上で迷いはそこまでありませんでした。受けても失うものはなかったので(笑)。一方でJPOの受験資格を満たすために、大学院に行くかどうかは大きな判断でした。私の場合、日本の高校・大学、企業と経験してきたので海外で働くというイメージがつかず、海外大学院を目指さないといけないと思いました。日本で仕事を続けつつ空席を探す選択肢もありましたが、すごく倍率の高い試験だと聞いていたので、JPOを視野に入れた大学院進学を決めました。振り返ると、試験に受かるかもわからない中でのハイリスクな挑戦だったと思いますが最終的には「えいや」と決めた感じです。

大学院の時に、UNICEFカンボジア事務所と東京事務所でのインターンをしました。そこで出会ったプロ意識の高い、UNICEFで活躍される職員が、ほぼ皆さんJPO出身だったんです。実際のJPO出身の先輩方の姿を見て、自分もこうなりたいなと思えたことは後押しになりました。

 

 

いかがでしたか?

後編では、これからの夢やユースへのメッセージについて伺った様子をお届けします。


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