私は今年、20歳になった。そして今年度の冬、成人式を迎える。
私は地元の公立中学で生徒会長をやっていたこともあり、現在成人式の実行委員会に所属し、成人式に向けた準備を行っている。実行委員会には同じ中学校出身の人も数人おり、何人かで母校の中学校に関する事柄を担当している。
一生に一度だし成人式には参加しよう、できることであれば力になろうと思っていた私であったが、同じ中学校出身のメンバーと会うような予定をいくつも控え、色々限界になってきてしまった。なので、自分の頭を整理したいという気持ちもあり、このボイスを書くことにした。
中学校の時の私は、とにかく「女子」「シスジェンダー」、そして「普通の人」を演じ切ろうと必死だった。部活動と生徒会活動でとにかくスケジュールを埋め、休み時間も含めて忙しくすることで、女子を演じたり性別の悩みに意識的になったりする時間を減らした。
私にとって中学校の時の思い出というのは、なんだか自我のないもので、映画のようなものだ。自分があの時間を生きたという感じや、本当の意味で周囲の人たちと関わったという感触がないのだ。もちろん、中学校で経験したことがあってこそ今の自分があるというのを頭ではわかっているのだが、自己イメージがとてもふわふわしていて、まるでそこにいなかったかのようなのだ。
トランスジェンダーの多くの人が、社会的性別を移行するにあたり、移行前と移行後の人間関係や自我の間で、断絶が生まれる経験をするという話を耳にした。
私の経験においても、大学で出会った友人たちと、中学校で出会った友人たちの間では、「私」の認識に大きな差があると思う。ほとんどの場合、大学の友人たちは私のことを「男性」の枠組みで認識するだろうし、中学校の友人たちは「女性」の範囲の中で私を捉えようとするだろう。また自分自身の認識に関しても、もはや「女性」を演じていた榎本春音は「無」であったようにすら感じられ、過去の自分と今の自分の間に連続性を感じられないのだ。
そんな私にとって、中学校の人間関係というものは、なんだか気まずいものであり、過去の自分の影と向き合わねばならない瞬間を突きつけられるものである。
私の中学校は地元の公立中学校なので、受験を経て入学する学校ではない。本当にさまざまなバックグラウンドや特性を持つ人たちがともに生活をする場であった。高校、大学と受験を経るにしたがって、段々と自分に近い考え方や話し方をする人が周りに集まるようになった。そのため中学校のコミュニティは、大学のそれと比べると、お互いに会話の前提だと思っていることが前提ではないことも多く、なかなか衝突や行き違いが多いのだと思う。
中学校時代のある友人に以前、トランスジェンダーであることを話した際、「いいなー、かっけぇ。俺もトランスジェンダーって名乗ろうかな」と言われたときは、冗談だとは知りつつも腰を抜かしそうになった。
こういったさまざまな要因が重なって、私は中学校までの人間関係を可能な限り避けてきた。しかし、多様な考えやバックグラウンドを持つ公立中学校での経験を持っていることは、幼い頃から受験を重ねてきた学生が多い東大のなかで、自分の財産だとすら感じることもあった。大学の授業や議論ではたびたび「社会」という単語がでてくるが、今の私を取り巻いている、私が経験している「社会」は、非常に限定的で偏ったものに過ぎない。私は、本当に「社会」を想像できているのか?それは難しい問いだと思うが、私の持つコミュニティの中で、もっとも社会に存在する多様な人のイメージを与えてくれるのが、中学校のコミュニティだと思うからだ。
私は成人式を迎えるにあたって、このコミュニティに自分を置くことを大事にしたいと思っていた。また、私が生きたという感覚がない中学校の人間関係と、ちゃんと「私」として向き合ってみたいと思った。そして、過去の自分と今の自分をできるだけ断絶させたくない、過去から連続したストーリーを自分の中に落とし込みたい、と感じていた。
そして成人式は、自分が生きる性別を移行していること、つまりトランスジェンダーであることを「もう恥じないし、隠さないし、そこから逃げない」ということを、自分自身に対して証明するまたとない機会だと思った。
それでも、中学校の人間関係と向き合うことはとても疲れるし覚悟がいる。トランスジェンダーについてエンタメのように感じている人もいるかもしれないし、嫌悪感を持っている人もいるかもしれない。マイクロアグレッションに晒され続け、心がひどく傷を負うかもしれない。笑われるかもしれない。腫れ物のように扱われるかもしれないし、逆に、ちゃんと受け止めてもらえないかもしれない。これは中学校の人間関係だけでなく、日常的な不安要素ではあるものの、中学校のコミュニティには本当にいろんな人がいるということを感じているため、こういった怖さは普段より数倍大きい。
大学の友人たちにこういった怖さを何気なく話したときには、「別に成人式とか行かなくてもいいんじゃない?俺も中学受験しちゃったから友達いないし、いかないかも」という人も何人かいた。確かに、強い不安を抱えてまで成人式に行かなくてもいいかもしれない。
だが私は、ちゃんと行きたいと思っていた。実行委員に関しても、むしろ実行委員会の中で準備に携わった方が、よくわからないところに飛び込むわけではなくなるので、不安が薄くなるかもしれないと思い、引き受けることにした。
ところが、急につらくなってしまったのだ。自分でも気がつかないうちに、成人式に関わることが大きなストレスになっていた。
成人式本番まではまだ時間がある。私はどの程度この成人式に関わり、中学校の人間関係と向き合うことができるのだろうか。そもそも当日、成人式に出席できるだろうか。
もし仮に出席できなくても、その時はその時だ。仕方がない。とりあえず気楽に日々を過ごしていようとは思う。

東京大学文科三類。教育学部推薦8期生。トランスジェンダー男性。教育、文化、芸術などについて日々吸収中!特技は吸収。