方言話したらダメながー? (方言を話したらダメなのか?)

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高校時代までずっと過ごしてきた富山県を離れ東京で一人暮らしを始めてから早くも2年が経過した。最初は戸惑ってはいたものの、東京には多種多様なお店があって、なんでもすぐに揃ってしまう便利な生活やどこもかしこも人が多いのにも、今では慣れっこになった。そんな東京に染まりつつあるような私でも、富山県民のアイデンティティーとして失いたくないものがある。私が話してきた言葉、すなわち「方言」だ。

 

私が通う大学には関東圏出身者が多いとは言え、日本各地から色々な人が集まっている。クラスやサークルでも時に方言や地方トークで盛り上がり、方言の面白い言い回しを紹介しあうこともある。この間は、富山弁では列の横入りを「横ズリ」と言ったり、くすぐったいを「こちょがしい」と言ったりするという話をした。大半の人たちは「へー、そんな言い方するんだ〜」というように関心を持って聞いてくれる。しかし、なかには「え、こちょがしい?なにそれ?」というようにバカにしてくる人もいるのだ。自分が高校時代までずっと話してきたり聞いてきたりした言葉たちが否定されたような気分になって悲しくなった。

 

そのような経験をしたこともあって、だんだんと東京で暮らすうちに標準語話者にも通じるような方言しか話さなくなってしまった。富山県に帰省した時に家族や友達と話している時とは明らかに違う話し方を東京で私はしているのだ。現在同じ大学に通っている同郷出身の友達からも、入学時よりも方言が弱くなったという指摘を受けたくらいである。

 

それでも普段の生活で標準語を話す友達からは「えっちゃんの方言好きなんだよね」「方言かわいいね」などと言われることもあり、なんだか変な感じがしてならない。私としてはみんなに伝わりやすいように方言の大部分を意図的に消しているので、ネイティブの富山弁はこんなものじゃないと思っている。だから、富山弁に対して申し訳なさを感じつつせめてもの償いとして「本当はもっとコテコテやよ」と少し補足しておく。すると今度は「じゃあもっと話してよ」「方言もっと聞きたいよ」と言われる。でも私は富山弁話者の前でしかコテコテの富山弁を話せなくなってしまったからそれはできない。とてももどかしい思いだ。

 

そもそも、標準語と方言という区別はいつ頃からできたのだろうか。Jinkawikiの『日本の標準語誕生の歴史』1)を見てみた。明治時代になり、日本政府は国力をつける必要性を感じており、そのためには国を支える国民の教育が重要と考えた。当時、話し言葉といえば全国各地の方言しか存在していなかったが、そうして今までバラバラだった言葉を統一する必要がでてきた。ただし、この段階では「標準語」という名称はその概念とともに日本語の世界に確立されておらず、方言は不可というだけで、全国に通じる言葉に指針は示されていなかった。

 

「標準語」作りが国家事業として推進されるようになるのは明治時代なかば過ぎからである。帝国大学博言語学科の初代日本人教授となった上田万年が、はじめて日本語において「標準語」の必要を説いたのが明治28年、これを受けて文部省に国語調査委員会が設置されたのが明治35年。同委員会は全般的に近代日本語の基盤作りを行うことが任務であった。

明治39年には全国調査を踏まえて『口語法調査報告書・同分布図』が刊行され、はじめて方言実態が科学的に明らかにされた。これを踏まえてトップダウンに「標準語を選定する」という国家事業が推進された結果、標準語の具体的規範が明瞭となり、その成果は逐次学校教育に反映されることになる。

明治33年には従来分散されていた日本語関係の教科が「国語科」として統合され、36年からは教科書が固定化されていく。この後、方言を使った罰としての「方言札」に象徴されるような過度の標準語励行運動、そして海外植民地における皇民化教育の一環としての日本語強制等、また、大正14年から始まったラジオ放送で話される標準語により、共通の日本語、標準語は広まっていくことになる。

 

ここまで標準語制定の歴史的背景を見てきた。私の感覚としては、現代では日本各地での標準語化が昔よりもさらに進んでいると思う。主な原因はメディアやSNSが普及したことや首都圏への人口流出などがあるだろう。時代の流れだから仕方ないと言われればそうなのかもしれないが、方言で話してきた者としては寂しい思いもある。ここで書いている文章の言い回しも、自分が普段喋る時には絶対に言わないような標準語でのものになっている。また、この原稿はOfficeのWordで作成したのだが、先ほど例にあげた「こちょがしい」の下には赤波線で間違いだと強調されている。会話の全てを標準語へと切り替えろと言われているような気がしてならない。

 

現代では「標準語こそが正しい日本語」というのが知らず知らずのうちに植え付けられていると思う。だから、方言を馬鹿にする風潮が生まれてくる。一方で、全国各地にはまだまだ魅力的な言葉があり、それを基盤にした文化、歴史が残っている。それらを残していくためには、標準語に対する認識を変えていかなければならない。私はまだそのための方法を見つけていない。この記事を読んだ方が少しでも認識を変え、行動していただければ幸いである。


1)http://kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/日本の標準語誕生の歴史(2019年4月5日 閲覧)

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