【童話】緑の丘の家(中)

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これまでの話はこちら:前編


さあーっと、音が消えて、絵の中から風が吹いてきました。夏の日差しと青草の混じったにおいがして、セミの鳴き声が響きます。女の子のおかっぱ頭が、さらさら風に揺れます。

「くくくっ」

後ろで、笑い声がしました。振り向くと、だれもいなかったはずの部屋には、おかっぱ頭に白いシャツ、裾のすぼまった長ズボンを履いた女の子が一人、立っていました。絵の中の女の子は、もういません。

「こんにちは。うち、しょうこっていうの。出してくれてありがとう」

びっくりしているわたしの前で、しょうこちゃんはまた、くすくす笑いました。

「ゆうかちゃんっていうんでしょう? 一緒に遊びましょ」

わたしは宿題を片付けて、ちゃぶ台に落書き帳を置きました。しょうこちゃんにも紙を一枚ちぎってあげて、一緒に絵を描きます。まずは自己紹介がわりにお互いの似顔絵を。

「うち、そんなに目、大きくないよ」

しょうこちゃんは、わたしがとびきりかわいく描いてあげた絵を見て、大笑いしました。そう言うしょうこちゃんは、わたしみたいにくっきりした一本線ではなくて、鉛筆の細い線を何本も重ねていて、ちょこんと出た鼻とか、アーチ型の眉毛とかがそっくりでした。

「しょうこちゃん、うまいね」

「あはは。うち、将来、絵描きさんになるんよ」

しょうこちゃんは大きな口を開けて笑いました。それから、いろんな話をしました。家族のこと、好きな物のこと。しょうこちゃんは、やさしいお姉ちゃんがいるんだと言っていて、ひとりっ子のわたしはうらやましくなりました。しょうこちゃんの好きな色は赤色で、わたしと同じでした。好きな食べ物は、白いごはんのおにぎり。わたしは混ぜごはんのほうが味があって好きなので、変わっているなあと思いました。二人でするお絵描きは楽しくて、時間はあっという間に飛んでいって、お昼になっていました。

「お昼よ。はやくいらっしゃい」

お母さんが部屋まで呼びにきました。

「はあい」

返事をしてとなりを見ると、さっきまでしょうこちゃんが座っていた座布団が敷いてあるだけでした。いつの間にいなくなっちゃったんだろう。わたしは、風で飛んでいかないように、しょうこちゃんが描いてくれた似顔絵を落書き帳にはさんで、立ち上がりました。

ごはんの時間、わたしはしょうこちゃんの話をしようか、少し考えて、秘密にしておくことにしました。夕方の花火には誘おうと思っていたのですが、お父さんと一緒にいたからか、その後、しょうこちゃんは出てきませんでした。仕方なく、花火は家族三人とおばさんとおじさんでやりました。おばあちゃんも誘おうとしましたが、

「おばあちゃんは、いいのよ」

お母さんがあわてたみたいに言いました。おばあちゃんは一度だけ、縁側にすいかとお茶を持ってきて、あとは奥の仏間にこもって、ふすまも閉め切っていました。

ぱちぱちぱちっ! ひゅんひゅん!

火薬が燃えて、花火のつぼみから、いろんな色の光があふれてきます。わたしとお父さんは、花火を持ってはしゃぎ回りました。線香花火では、だれが一番長く、光を落とさずにいられるか、競い合いました。どんなに激しく燃えた花火も、最後にはシュッと音を立てて、静かに消えてしまいます。燃え尽きた花火の茎をバケツの水に入れると、もう一度だけシュッと音がして、茎はうなだれてしまいます。

「花火って、死んでしまうんだね」

片付けながらそう言うと、

「そうだねえ。いっぱい光って、消えていくんだもんなあ。きっと、だからきれいなんだよなあ」

お父さんはそう言って、

「ゆうかは感受性が豊かだな」

と笑いました。わたしも笑いました。その夜、おばあちゃんが線香花火の火をじっと見つめている夢を見ました。夢の中のおばあちゃんも、何も言わず、怒ったみたいに口を結んでいました。

 

次の日の朝、わたしはまた絵の前にちゃぶ台を運んできて、宿題をしていました。丸つけが終わって顔を上げると、障子窓の向こうに、おかっぱ頭の影が見えました。

「しょーうこちゃんっ!」

わたしが呼ぶと、

「あーあ、ばれちゃった」

がっかりした声がして、しょうこちゃんの顔が、ひょこんとのぞきます。

「だって、影、丸見えだもん」

しょうこちゃんの、「しまった」の顔が面白くて、二人で大笑いしました。

「昨日、どこ行っちゃったの? 一緒に花火したかったんだけどな」

わたしがくちびるをとがらせると、しょうこちゃんは笑った顔のまま、

「うち、花火の音がきらいなんよ。こわいけえ」

不思議なことを言います。

「あんなにきれいなのに、なんで?」

「ゆうかちゃんには、わからん」

わたしはばかにされたような気がして、

「そうよ、わたしにはわからん」

と言い返しました。しょうこちゃんは、はっとした顔をして、

「ごめんごめん、うちが悪かったんよ」

素直に謝りました。

「ねえ、また、一緒に絵を描こうよ」

わたしも腹を立てたのが恥ずかしくなって、

「うんうん、描こう」

また一緒に絵を描きました。

「きれいな白い紙じゃね」

しょうこちゃんはまた不思議なことを言いました。それに、しょうこちゃんは、わたしの顔を描いているはずなのに、絵の中の女の子は三つ編みをしていました。

なんで、と聞こうとすると、

「ゆうか、こっちに来て」

またお母さんに呼ばれて、しょうこちゃんはいなくなっていました。返事をしながら、残念でたまりませんでした。しょうこちゃんはきっと、二人きりのときにしか出てきてくれないんです。

しょうこちゃんって、本当に不思議な子だ。今は、絵の家の中でわたしたちの声を聞いているのかしら。明日は絶対に、しょうこちゃんの謎を聞き出してやるんだ。そう、心に決めました。

 

「しょーうこちゃんっ。遊びましょっ」

次の日、わたしが額縁の中の絵に呼びかけると、

「ゆーうかちゃんっ。遊びましょっ」

元気な声がかえってきました。気がつくと、となりで、おかっぱの髪の毛がくすくす揺れています。しょうこちゃんは、いつも不思議な登場の仕方をします。

「これ、昨日しょうこちゃんが描いていた絵だよ」

わたしは、落書き帳にはさんでいた「わたし」の似顔絵を差し出しました。

「ありがとう」

「ねえ、それ、わたしの顔じゃないんでしょ? わたし、三つ編みじゃないもん」

しょうこちゃんは、目を大きく開いて、それから大きな口を開けて、

「ゆうかちゃんは探偵さんじゃねえ」

と笑いました。

「ゆうかちゃんね、お姉ちゃんによう似とるんよ。ゆうかちゃん見ながら、お姉ちゃんの顔描いた。髪型だけちごうとるけど。うんうん、そっくり」

しょうこちゃんは、似顔絵とわたしの顔を見比べて、嬉しそうにうなずきました。

「お姉ちゃんのこと、大好きなんだね」

「うん」

しょうこちゃんはまたうなずいて、それから顔を伏せました。

「お姉ちゃんに、会いたいなあ……」

わたしはどきりとしました。聞いてはいけないことを、聞いてしまったのかもしれません。しょうこちゃんのお姉ちゃんは、もう会えない、どこか遠くにいってしまったのでしょうか……。

「ばあ!」

しょうこちゃんは突然、声と一緒に顔をあげました。びっくりしているわたしを見て、くすくす笑います。それから、似顔絵を、わたしの左手にのせました。

「これ、お姉ちゃんに渡しとって」

「待って、お姉ちゃんってだれ」

「ゆうこ。ゆうこっていうの」

しょうこちゃんの笑顔が、すうっと透けていきます。

「待ってよ、なんでいつもすぐに消えちゃうの」

わたしは右手を伸ばしましたが、しょうこちゃんの腕に触ることはできませんでした。しょうこちゃんの体が透き通って、どこか遠くに消えてしまったからです。あの絵の家の戸も、ぴっちり閉ざされていました。ただ、わたしの左手の中には、目尻を下げ、赤いほっぺたを引き上げて笑っている「ゆうこちゃん」の絵がありました。

その後、何度呼びかけても、しょうこちゃんは出てきてくれませんでした。


後編に続く

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