みなさんはペットを飼っていますか?飼っていたことがありますか?
飼っている人、飼っていたことがある人は、自分とペットの関係をどのような言葉で表しますか?
私は1つの言葉で表すことはできません。
私にとって彼らは、『兄弟』であり『親友』であり『相棒』でした。
私の家では2匹のコーギーを飼っていました。名前はテツとトモです。
2匹の血は繋がっていませんでしたが、年の差は半年ぐらいの兄弟のような関係でした。
兄貴分のテツは赤茶ベースに白ラインの王道コーギー、弟分のトモは薄茶色で毛足の長いふわふわしたコーギーでした。
小学3年生のある日、我が家にテツがやってきました。
生後3か月のやんちゃ盛りで、毎日一緒に公園で走り回りました。
その反面、すごく寂しがり屋で、家族で外食に出かけたときは帰ってくるまで吠えているほどでした。
これではテツがかわいそうだということで、半年後にトモがやってきました。
トモはおとなしくマイペースで、猫みたいな気分屋でした。
私は『弟』ができたように感じ、散歩に餌やりによく面倒を見ていました。
2匹はすくすくと育ち、自営業を営んでいる実家の看板犬になりました。
しかし、勉強や部活が忙しくなった中学生の頃には、散歩もそこそこに済ませてしまうようになりました。短い散歩から帰って「もう終わりなの?」と見つめられても、テツトモのことは後回しにしていました。
この頃の私にとって彼らは『世話の面倒なペット』だったのかもしれません。
それでもテツトモは私を『世話をしてくれるだけの飼い主』ではなく『家族』として関わり続けてくれました。
勉強が思うようにうまくいかなかったとき、部活がきつくて泣いたとき、テツトモは足元に来て心配そうに見上げてくれました。親と口論しているとテツトモはそれをなだめようと飛びついてくれました。
ペットは人間よりもはるかに弱い存在です。誰も餌をあげなかったら彼らは生きることができません。
でも彼らは私たち人間と対等に関わり、強い絆を築こうとします。
高校生にもなると、私の周囲の人間関係はめまぐるしく変わっていきました。
中学校までの友達とは疎遠になり、新しくできた友達はこれまでの私を知りません。
テツトモは数少ない長い付き合いをしてきた『親友』でした。
いつも人間には吐けない弱音をテツトモに聞いてもらい、撫で回しては元気とやる気をもらっていました。
大学入試に失敗した私は、実家を離れて東京で浪人しました。
私は、離れ離れになって一層彼らの大切さを思い知りました。
あえて彼らとの関係を言葉で表すのなら『相棒』でしょうか。側にいるのが当たり前の存在でした。
東京の大学に合格してからもテツトモとは年に2、3回しか会うことができず、帰省する度に彼らの老いを感じることになります。
みるみるうちに足腰は弱り、あんなに大好きだった散歩も途中で座り込んでしまうし、一日中家の中で寝て過ごしていました。
そうして2020年、彼らと年を越したのもこれで16回目です。
年が明けて実家を発つとき、おむつを履いたテツに「春まで元気でな。」と声をかけました。
それがテツとの最後の会話です。はっきりと覚えています。
卒論に追われていた2月初旬、実験の合間に母親からの不在着信に折り返しました。
テツの訃報を聞いた途端、研究室にいるにもかかわらず私は泣き崩れました。
しばらくは実験も上の空でした。
数日後、親から写真が送られてきました。久しぶりに大分で雪が積もり、楽しそうに雪遊びをしているトモの写真でした。
トモがテツの死を認識していたのかはわかりませんが、いつも一緒にいた兄貴分がいなくなって寂しかったのは確かでしょう。
それでもトモは私たち家族を励ましていました。
トモに励まされた私は頑張ろうと決心し、きつい時期を乗り越えました。
春の帰省でテツのお骨に挨拶をするつもりだったのですが、コロナの影響で帰省は断念しました。
代わりに電話越しでトモに「次帰るまでは頑張れよ。」と言うと、ふん!と自信ありげな鼻息が返ってきました。
6月末、家にやってきたときと同じようにトモは半年遅れでテツのところへ行きました。
これでテツも寂しくないんじゃないかなと思っています。今頃、2匹でまた元気に走り回っているでしょう。
この記事を書いている今でもまだ、実家に帰るとテツトモが出迎えてくれるんじゃないかという気がしているのが本当のところですが、次の帰省のときに良い顔でテツトモに挨拶ができるように、今を頑張ることができています。
テツ、トモ、今までありがとう。
2匹と過ごした16年間は本当に幸せでした。
お別れはとてもとても辛いけれど、ペットと過ごす日々は、ペットと築いた関係は、かけがえのないものになります。
みなさんもペットを飼ってみませんか?
阪神ファンの大学院生。写真は誕生日にサヨナラ勝ちしたときのもの。大分県出身。