「グルーバルな人材」ってなんだろう?

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「グローバルな人材」ってなんでしょう?この言葉はよく「世界で通用する人材の育成」などの文脈でスローガンのように用いられる言葉で、私も今まで何回も耳にしてきました。この言葉についてあなたはどのような印象をもっているでしょうか?この記事では私が「グローバルな人材」という言葉について最近思っていることを紹介したいと思います。

高校時代の私は「グローバルな人材」とは英語が上手に話せる人のことだと考えていました。英語が上手に話せれば海外の人ともバチバチの議論ができるし、海外の企業でも仕事ができる。自分は今は英語は得意ではないけれど、大学では海外留学などに行って英語をマスターすれば自分も「グローバルな人材」の仲間入りができると思っていました。海外に一度も行ったことがなく、外国からの観光客も来ない岐阜という地で生まれ育った高校生にとっては当然の想像力だったと思います。幼いころに海外経験がある、いわゆる「帰国子女」と呼ばれる人たちは自動的に「グローバルな人材」になれていいなぁ、、、とさえ考えていました。

高校まで海外に行ったことがなかった私は大学に入ってからはたくさん海外に行きました。留学こそしてないものの大学のプログラムを利用したりした結果、大学3年生時点でフィリピン、タイ、イギリス、インドネシア、中国、韓国、台湾に行けました。特にイギリスには英語学習のため3週間滞在し、英語を母語とする人たちの中で生活できたことは自分の英語力に対して自信を深める出来事でもありました。バチバチの議論とまではいかないまでも、高校時代より実践的な英語力が向上しました。では、果たして私は「グローバルな人材」に近づくことができたでしょうか?

答えは、、、NOです。NOというか、私の中で「グローバルな人材」の考え方が変わっていったという表現が正しいのかと思います。私は海外経験を積む過程で「グローバルな人材」とは必ずしも英語が上手な人のことではないと思い始めたのです。

世界にはいろいろな人がいました。すごく英語が上手な中国の学生やスペイン語訛りの英語を話すフィリピンの学生、私たちが習ったきたアメリカ英語とは違う英語を話すイギリス人、日本語のスラングを知っている韓国の学生、英語を含め8つの言語を操るインドネシア人など。英語を話さない人もいました。中国で出会った学生は自身の専攻の日本語を話しました。フィリピンで会った農夫は私も知らない現地語しか話せませんでした。

もし私が相手の英語のレベルや特徴を無視してみんなに同じように話していたとしたら、それはいいコミュニケーションといえるでしょうか?もし私が日本語専攻の中国人学生に対して日本人に話すようなスピードと語彙の日本語で話したとしたら、相手はどう思うでしょうか?英語と一口に言ってもそこには多様な人に結びついた多様な英語があり、英語だけではコミュニケーションが難しい場合もある。時には自分の母語を相手が学んでいることもある。私が実際に体験した「世界」は、私が高校生の頃に思い描いていた「世界」とは少し違っていたのです。

もし「グローバルな人材」を「世界のどこでも活躍できる人材」と定義するとしたなら、相手の多様なバックグラウンドを想像した上で行動に移すことができる能力こそが、それに求められているものだと感じています。世界の多様な人たちと関わる際に相手のことを考え、自分が相手にはどう見えているかを想像し、よりよいコミュニケーションのために自分の振舞いを変えられる人は仮に英語がめちゃくちゃ上手でなくても世界のどこでも活躍できると思います。

さらに世界の優秀な人たちは知的好奇心が旺盛です。私について、日本について、知らないことがあれば興味津々に訊いてきます。相手は知らなくてもいいはずの私の専攻に関わることについても積極的に尋ねてきます。何事にも好奇心をもって楽しく学ぶことは人を知ることでもあり、相手を理解することにつながるのだと思います。

さて、ここまで私はグローバルに活躍できる人になるためには「相手のバックグラウンドを想像し行動に移す能力」と「何事にも好奇心を持って楽しく学ぶ姿勢」が特に重要ではないかという考えを述べてきました。そしてここでさらに重要なことがあります。それは、これらのことは日本でもできるということです。別に相手が海外の人でなくても相手のバックグラウンドを想像しようと思うことはできます。日本語でも相手にわかるように自分の考えを伝えるのは簡単なことではありません。何事にも興味をもって楽しく学ぶ機会は日常にあふれています。もちろんこれらのことは私が海外を経験したから至った考えではありますが、この記事を読んだあなたは、今からこれらのことを始めてみることもできるのです。


 

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