勉強すべきは苦手科目じゃなくて得意科目?

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「春休みの間に、苦手科目を克服しよう!」、「苦手科目を作らないように新学期が始まる前に予習を進めましょう。」

このように塾や学校で言われたことはありませんか? 中学受験が終わって、とある塾で中学の内容を先取りした春期講習を受けた際、このように言われ、すんなりそれに従った覚えがあります。

しかし社会に出る時期が近づいている今、思い返してみればこの言葉はあまりにも偏っていると感じるのです。なぜそんなふうに思うか、書こうと思います。

このような言葉を話していた講師の言い分は、こうでした。「今あなたの定期テストの点数は、英語が95点、数学が65点、国語が85点、理科が80点、社会が75点、全科目での平均が80点だとしましょう。でも85点まであげたいと思ったとき、どうするのが一番効率がいいでしょうか? 英語のような得意科目はこれからどれだけ頑張って伸ばしても5点しか伸びません。でも65点の数学が他の科目と同じくらい、例えば85点取れたとしましょう。これだけで全科目平均が4点も伸びます。伸び代が大きい苦手科目こそ頑張って伸ばすべきだということがわかりますね?」

このような考え方はすごく筋が通っています。苦手な科目ほど、「伸びしろ」があります。得意な科目は、逆にテストでの点数はそれ以上伸びないでしょう。学校の勉強では満点が決まっていて、その枠の中でどれだけ合計点を高めることができるかで成績が決まります。

でもこのような考えが通用するのは、大学受験までだと思うのです。

試験では満点が決まっています。だから、得意科目にはそれ以上がないと思ってしまいがちです。しかし本当にそうなのでしょうか? 社会に出ても、満点のうちのどれくらいの割合が取れたかで人は評価され続けるのでしょうか? 

そんなことはありません。

世の中には、様々な職業・働き方があります。私たちには、その中で得意なものを選ぶ権利があります。もちろん苦手なものに全く触れないようにしながら生きるのは、少し難しいかもしれません。しかし、誰もが自分の能力が最大限活かせる環境で、目一杯実力を発揮したいと思うものだと思います。

そんなときに、自分が身につけてきたスキルが満点を超えてしまっているから、過小評価されるという状況に満足するでしょうか? もっと自分の能力が活かせる場所で活躍しよう、という考えを誰もが持つことでしょう。

試験では評価されなかったかもしれないような高度なレベルの「得意」は社会では、その人のスキルとして重んじられるでしょうし、時代の最先端だという認識すらされる可能性を秘めているのです。

私は小学生の時から、計算が苦手でした。一方で文章の読解は得意でした。試験では何度も何度も計算間違いをするので、両親は心配しましたし、塾や学校の先生にも何度も苦手を克服するように言われた覚えがあります。

ある程度は頑張りましたが、大学受験を経ても、理系科目の計算は苦手なままでした。一方で文章を読んだり書いたりするのは得意でしたが、国語や英語の点数は頭打ちで、浪人しても伸びることはありませんでした。

でも大学生になってから、アルバイトやインターンをいくつか経験してみて自分のどこが評価されるか、徐々に明らかになってきました。数学の苦手克服に頑張ったことではなく、文章をたくさん読み書きしてきたことがスキルに繋がりました。例えば、日英の翻訳をするアルバイトや論文調査のアルバイトでは、他の人より作業の効率がよく、ミスが少ないということで評価してもらうことができました。それにこれらのアルバイトでも、自分なりに勉強を積み重ねるとさらに評価されるようになりました。試験勉強に関しては、国語や英語の試験では確かに伸びしろは少なかったかもしれませんが、これまでの枠組みから一旦出てみれば、まだまだ自分の能力は磨けるということがわかりました。それに自分の得意分野で努力を積み重ねるのは、楽しい時間でもありました。

3年前、数学の点数が伸び悩んで第1志望に不合格になった私は、ものすごく落ち込みました。2年前は、浪人しても英語も国語も伸びなかった事実に向き合い、悔しい気持ちになりました。しかし、今では得意分野に磨きをかけ、それをスキルとして他人から評価を受けることのできる自分を誇りに思っています。

読者の方にはまだ試験勉強や受験勉強と向き合わなければならない時期の方もいると思います。でも、現実世界には満点など存在しません。ぜひ得意な分野で自分を磨き、スキルを身につけて自分の市場価値を高めてください。

もしこの記事を読んでくださった方の苦手・得意に対する意識を少しでも変えることができるなら、私はとても嬉しいです。ここまで読んでくださりありがとうございました。

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