しゅわってなんじゃ?

あなたの知らない世界
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皆さんは手話にどのような印象をお持ちでしょうか?

耳の聞こえない人が使う言葉、小学校の総合の時間でやること、政見放送などに小さく出ているせわしなく手を動かしている人の姿などだと思います。

しかし、英語のように日本語とは違う“言語”として見ている方は少ないのではないでしょうか?

わたしは手話を勉強しています。4年間独学で本で勉強を続け、今はろう者の先生にオンラインで教わり、日常会話はすこし自信を持ってできるようになってきました。手話技能検定3級の合格を目指して、日々手話の勉強に励んでいます。

手話を勉強しているというと多くの方がどうして?と聞いてくださるので、その理由に触れながら私の思いを語っていきたいと思います笑

わたしが手話を勉強している理由のひとつは、手話という言語が面白いからです。

手話という言語そのものに魅了されたのです。

例えば、声を使わずに手で意思を伝えることができます。

ガラスを一枚挟んでも、外にいる友達に何かを伝えることができます。

また映画館など静かにしなくてはならない場所、はたまた音が大きすぎて声が届かないところでも簡単に会話ができます。

スキューバダイビングなどでも海の中でのコミュニケーションツールとしても使えるそうです。確かに水の中での会話にはぴったりですよね!!

また、一つひとつの動きに意味があることが多いです。

例えば「こんにちは」という手話。初めにピースをくっつけたような形を顔の真ん中に立てた後、両手の人差し指を立てて第2関節あたりで曲げます。最初の動作は顔を時計に見立ててお昼の12時を意味しています。その次の動作はお辞儀をしている姿を示していて、挨拶という意味です。このように手話には一つひとつの単語に意味があることが多く、その意味を知るだけでも面白いのです!(たまに理由がさっぱりわからないものもありますが、、)

他にも、手話には面白くてすごい!と思うところが沢山あります。

私は手話は音声言語でないがゆえの良さを多く持った魅力的な言語だと思います。

しかし、手話が正式に言語と認められたのはつい最近のことなのです。2006年に国連の障害者権利条約で「手話は言語である」と定義されました。

それでも、いまだに手話はどうしても福祉のカテゴリーに入れられがちです。もちろん聴覚に障害を持った方のために手話を学んだり、使うのは大切なことですし、福祉というカテゴリーに入れられるのもよくわかります。でも私は手話を言語としてみてもらいたいのです。

わたしにとって手話は英語と同じように自分の世界を広げてくれるツールでもあります。英語を勉強すれば、外国の人ともっと気軽に会話できたり、海外に行って今までに見たこと、ものに触れられる機会が増えます。手話も同じです。

生まれつき耳が聞こえず、日本手話を第1言語とする方はろう者と呼ばれ、ろう文化という独特の文化を持っていると言います。同じ日本に住んでいても少し違う文化を持っている方がいることはすごくおもしろいと思います。そして何よりその文化を知りたいし、触れたいです。自分の世界を広げるためにも私は手話を学んでいます。

私の好きな絵本、ヨシタケシンスケさんの『みえるとかみえないとか』という作品に「お互い面白がる」という言葉があります。この本は宇宙飛行士の主人公がいろんな星をまわる中で自分とはあたりまえが違う人に会いながら、違いとは何かについて考えていく絵本です。目の数や手の数が違う宇宙人に会い、かわいそうねと言われ、主人公は違和感を感じます。しかし話していくうち、違うところもあれば、同じところもあること、その違いは自分にとって新鮮でもかわいそうでないことを彼は学びます。障害というと、かわいそうとかやたらに触れてはいけないことのような風潮が少なからずあるかもしれません。でも私はそうやって遠巻きに見ることなく、お互いの違いを面白がるところから本当の理解が進んでいくと思います。

違いを面白がる一歩として言語としての手話を見つめてもらえたら、手話を勉強している一人としてとても嬉しいです。


出典:https://www.jfd.or.jp/about/seika

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