私の地元はいわゆる「ド田舎」で、見渡せば一面に田んぼが広がっている。その穏やかで変わらない景色や土・草の香りが好きで、帰省するたびに、リフレッシュにと散歩をしている。今年の夏休みも帰省していた私は、例に漏れず変わらない景色を見ながら散歩をしていて、しかし今回はいつもなら通り過ぎる場所で歩みを止めた。
その日は8月15日。朝からテレビでしきりに終戦日が取り上げられていたのを目にして潜在意識に刷り込まれていたからなのだろうか、不思議と引き込まれるような……気がした。気がしただけ。
幼い頃からおばあちゃんから「あの墓は軍人さんのお墓なんだよ」ということを聞いてはいたけれど、しっかりと近くに寄って見たのは初めてだった。目を凝らして何とか文字は読めたけれど、意味は汲み取れない。
私の地元である石川県は戦時中も空襲に遭うことなく、比較的被害が小さい地域ではあったけれど、それでも散歩をすれば写真のような墓や防空壕のあとを目にすることができる。
それでも戦争が身近に感じられるかというと、どこか遠い時代の他人事としか思えない。お墓のことを教えてくれたおばあちゃんも今年の春に亡くなり、両親は詳しいことは知らないという。こうやって戦争の記憶は人々の中から薄まり消えていってしまうのだろうか。
話の方向は少し逸れるが、この文章を書いている私はVoYJの広報部員で、9月の国際平和デーに合わせて行う企画を練っている真っ最中だ。しかし考えれば考えるほど思考が発散してしまう。「平和」って難しい。戦争がなければ平和なのか、貧困や差別が蔓延る世界でも平和と言えるのか。それでも戦争を経験した人々は、戦争がない状態がいかに幸せか、それは平和と呼ぶに相応しいと言うのかもしれない。
あぁ…今日もまた何も企画が思い浮かばず夏休みが1日終わっていく。私が今分かるのは、実家に帰って家族と笑い合っている瞬間が私にとって限りなく平和な時間だということだけだ。
VoYJ広報部員。