こんにちは、VoYJ事務局の清です!
9月23日に、現在は金沢大学教授の堤敦朗先生にインタビューをさせていただきました。
VoYJ事務局メンバーと、事務局メンバーがいつもお世話になっている、東京大学特任准教授の井筒先生がインタビュアーとして参加しました。
国連において、精神保健をSDGsに含めるなどの枠組みづくりをされた堤先生は、国連本部で精神保健担当チーフをされていた井筒先生と共に活躍されました。また、お二人は学生時代を含め深い関わりがおありです。
堤先生はWHOの技術専門官として、インド洋大津波対応の他、災害精神保健ガイドライン作成等を担当し、その後、JICAで初めての精神保健に関する長期専門家として、中国・四川大地震後の心のケアプロジェクトを統括されるなど、長くフィールドで活躍されてきました。
さらに国連大学において、非感染症・精神保健・障害者の権利等に関し、SDGsや仙台防災枠組など国連の枠組みづくりの一端も担われた方でもあります。
後編は堤先生と井筒先生とのQ&Aをご紹介いたします。(前編はこちら)
Youthからの質問と、とても仲のよい堤先生と井筒先生の素敵な掛け合いの記録です。
Youth: 学部時代(教育学科)で学んだことや得た経験が、その後の医療系の大学院への進学や、お仕事にどう繋がったとお感じですか。
堤先生: 教育学科では、皆さんほどしっかり勉強していたわけではありませんでした(笑)
当時得た知識というのは、どんどん変化して新しくなっていくし、忘れていることもたくさんあります。
でも、やっぱり勉強していく過程で、色んな人が色んな意見をもっていると知れたことが一番大きかったと思います。
堤先生: 井筒先生は、その点、私のことをどう思いますか。
井筒先生: 堤先生とは、学科は違ったのですが、大学1年生の頃に仲良くなりました。
堤先生は、国際基督教大学(ICU)を卒業された後、東京大学大学院医学系研究科の国際保健学専攻で、修士課程・博士課程に進まれました。
大学院の間は、パキスタンの「ペシャワール会※」の現地事務所にコンピューターを導入されたり、中村哲先生と一つ屋根の下で暮らしながら、現地でも活躍されました。
※ペシャワール会
1983年9月、中村哲医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成された国際NGO(NPO)団体
Youth: 堤先生の国連職員としてのキャリアや現在のお仕事について簡単にお聞かせいただけますか。
井筒先生: 堤先生は、大学院卒業後、WHOの災害精神保健担当として、インド洋大津波の対応をし、当時はまだ作られていなかった災害精神保健ガイドライン作成への道筋を作るなど、今の国際精神保健の土台作りを担った方です。
その経験を買われ、JICAで初めての精神保健に関する長期専門家として、中国・四川大地震後の心のケアプログラムを現地で統括された後、国連に戻ってこられて、マレーシアで障害や精神保健のプログラムを率いられました。
現在は金沢大学の人文法学系の教授をしていらっしゃいます。
井筒先生: 学部とは全く違う分野の大学院に移ったことに関して、当時はどう思っていましたか。
堤先生: 不安ももちろんありましたけれど、前向きな気持ちの方が大きかったですね。「やりたいことに取り組むことができる」という気持ちだったように記憶しています。
大学4年の時、実は私、就職活動もしていました。ですが、「私は本当にこのままで良いのか、本当に今就職したいと思っているのか、この未来を欲しているのか」という葛藤がありました。当時、井筒先生にもたくさん相談しました。
Youth: 学部時代に教育を勉強していたところから、医学系大学院に進まれたきっかけは何でしたか。
堤先生: 進路として精神保健分野を本当に真面目に考えようと思ったのは、当時大学1年の1995年、阪神淡路大震災がきっかけでした。
今でも日本の災害史に残る、6000人規模の被害を出した大きな災害です。
そのとき、私の父親が単身赴任先である神戸の西宮で被災しました。幸いなことに無事でしたが、数日連絡も取れず、非常に心配しました。
そういうこともあって、盛んに言われるようになった災害時の心のケアや、心に深い傷を負った人々の心のケアに関連して、『ペシャワールにて』のような、ペシャワールでの難民支援への関心も深まりました。
教育学科で学んだことも当時の私にとって重要でしたが、新たに自分のやりたいことを目指すという意味では、性格が楽観的なこともあり、とても前向きな気持ちでした。
もちろん、大学院入試に受からなくてはいけないという現実的な不安もありましたが。
井筒先生: 教育学科では理論を学んでおられましたが、もっと人に直接役立つことをしたいと考えていたところもあったと見受けられましたが、その点はいかがですか。
堤先生: 確かに!(笑)
最初、教育系の大学院も探そうと思っていました。色々調べていたのですが、ヘルス部門でのアクションに興味があった当時の自分にはあまりフィットしないかなと思ったんです。
ですから、直接的に人と触れ合えるような学問を学びたいと考えていて、医学系でそのような学問ができると知ったことで挑戦してみようと思ったわけです。
Youth: 私は、文化・芸術の持つ力に関心があるのですが、精神病院の外壁がアートで彩られているというお話が印象に残っています。国際課題において、文化や芸術が貢献できる役割や力について、現場をたくさん見てこられた堤先生のお考えをお聞きしたいです。
堤先生: あのフィジーの精神病院の外壁は入居者の方が描いたものです。
私は、アートが持つ力はすごく大きなものがあると思っています。私自身にアートの才能があるわけではありませんが、ずっとコミットしていきたいと考えています。
ただ、エビデンスを示しにくいので、学術的にその効果を示していくことにも関心があります。
井筒先生: 四川で子どもたち向けにアート・ワークショップも実施されましたよね。
堤先生: ファッション雑誌社の瑞麗(中国版女性誌「Ray」)から、子どもたちとのアート活動をしたいという相談があったのです。
そこで井筒先生も私も仲間でファンである朝倉弘平さん※というイラストレーターの方に日本からはるばる来ていただき、格差社会が広がっている四川省の貧困地域の子どもたちと一緒に絵を描いたり工作をしたりしながらワークショップを行いました。
【日本の皆さん、ありがとう −JICA寄付金を利用した四川地震被災地児童支援活動−
https://www.jica.go.jp/china/office/others/newsletter/201010/02.html】
そういった、アートを用いた活動をどんどん増やしていきたいと思います。
井筒先生: 堤先生がお話しくださったアート・ワークショップは、絵やアートを通して、皆で、日常を取り戻すために気分を変えられることをして欲しいという思いで、堤先生が企画されたものです。
でも、辛かったときのことや震災時に考えたことなど、ネガティブな絵を描くのではなく、皆で震災とは関係のないポジティブなことを表現し、辛い記憶を一瞬でも忘れてハッピーな気持ちになるようにしていました。災害後の心の回復は人それぞれの方法・タイムラインがあるので、辛い気持ちを無理に話したり、表現したりしてもらうのは危険なんです。だから、今まで見たことがない動物を作ってみるという楽しいアクティビティーにしました。
そこでは「母親を亡くしたあなた」「父親を亡くした私」ではなく、友達同士としてのコミュニケーションが生まれたとお聞きしています。
堤先生: 完璧な説明をありがとうございます(笑)
※朝倉弘平
2007年よりに絵画制作活動を開始する。
個展などの作品展示をはじめ、アパレル、プロダクトデザイン、マガジンなど、多分野のアートワークを手がける。国連の書類アートワーク(2013)
HP:https://www.asakurakouhei.com/
Youth: 災害時の子どもたちの大きなストレスやトラウマを軽減するために、精神保健の観点から、どのように具体的なアプローチをするのか教えてください。
堤先生: まずは日常的な生活「食べる・寝る・安全」を取り戻すことが一番大事です。
四川でも見られた傾向ですが、人間には困っている人に「手を差し伸べたい、何かをしたい」という善意や、支援する側の「何かを提供しなくてはならないのでは」という不安があります。
ですが、日常を取り戻すためには、ベーシックなことを取り戻しつつ、「余計なことはしない」ことも大切です。
子どもに対して、「言いたくないのに言わせる」のではなく、「言いたいときに言える人間関係や場所を用意しておく」ことが重要です。
普段の挨拶、給食の配膳などで人間関係を作って、子どもがふと苦しみを吐露したときに、必要があれば専門家に繋げられるネットワークを築く。
医療も大切ですが、医療に繋げるための社会的な支援が根底にあることで成り立っているのです。
井筒先生: 堤先生の面白いアプローチで、世界的にも広がっているのは、保健省だけではなく、メインパートナーとして母と子どもを扱う女性省と、メンタルヘルスに関する活動を行う手法です。
このアプローチでは、子どもたちの抱える多くの問題を解決するために、親などの大切な人と安全な状況を作ることを目的とし、通常のコミュニケーションを通して日常を取り戻していくのです。
親などが関われば、専門家の支援が必要なくなることもありますし、同時に親との関係が難しい子どもへの支援も大切です。学校などとの協力もとても大切です。
現在、バングラデシュでも、堤先生がアドバイザーをされていますが、同じようなモデルを採用しています。
Youth: 中村哲医師のところでは、どのくらい活動され、どのようなことをされていましたか。
堤先生: 半年間、中村先生と二人暮らしでした。
1998~1999年当時、私は学部を卒業したばかりですから、何もできなくて、かなり無茶振りもされました。
「若いのだからコンピューターについて詳しいだろう。全部教えてくれ」とか、「ネットの構築をしてくれ」だとか。
必死にパキスタンから井筒先生に国際電話をかけて「Windows 95やエクセルの使い方」といったところから、現地のスタッフと共に学びながら進めました。
一番自分にとって糧になった経験は、中村先生が行かれるところについて行って、中村先生の活動を目の当たりにさせて頂いたことです。そこで色んな現地の方と話もしました。
私が特別何かをしたというわけではなく、ただ中村先生のあとをついて回って勉強し、何でも屋のように活動して、濃密で貴重な時間を過ごしていました。
井筒先生: タイミング的には9.11テロ事件の前でしたね。
私はテロの後に少ししか行きませんでしたが、堤先生はそれ以前から数ヶ月パキスタンに行っては日本へ帰って、必要な物資を買って遠隔でお手伝いをしたらまた戻って、という繰り返しでした。
その頃は全て手書きでデータを整理していたのですが、ペシャワール会の当時の会計システムを簡単にエクセルで作って、収支を整理できるようにしたんです。それをパキスタンの現地の方に教えて、自分たちで管理できるように。
Youth: 中村先生につき、パキスタンで学ばれたことは研究にどのように活かされましたか。
堤先生: 研究において、声のあげにくい周辺化された人のことや、声をあげている人が声をあげない人の代表ではないことを、住民の家を一軒一軒回ることによって知りました。
やはりそれは研究には活かされていると感じます。
Youth: 堤先生はずっとフィールドで、井筒先生はニューヨークのオフィスで働かれていたと思うのですが、違いやそれぞれの良い点を教えていただけますか。
堤先生: フィールドの良いところは、現地の被災者一人ひとりや、子どもや母親と話す機会が多くあることです。
また、市役所レベルの最小単位の行政機関と話をしたりして、その行政単位で、小さいけれどインパクトのあることができることが大きいです。
同じ国連でも、本部とフィールドではやはり違います。
フィールドに長くいると、良いこともたくさんありますが、国際的な流れが入ってきにくい傾向もあります。
ですから、現場の目の前の人々のための視点と共に、より広い視野を忘れないようにすることが大切になりますね。
本部で決めた大きな枠組みや世界の流れと、フィールドのコンテクストの両方を大切にすることが重要です。
私は、本部でバリバリ働いていた井筒先生と「本部、フィールドではそれぞれ今どうなっているのか」とよくざっくばらんに話していました。
本部では世界の流れを作ることができ、フィールドでは目の前の人を助けられます。
人によってどこで何年働くかは様々ですが、向き不向きがあります。
井筒先生は大局や全体を見てまとめられる方なので本部にいて政策を作るのに向いています。
井筒先生: 堤先生は、私よりも、現場に出て色々な方とネットワークを作って、初めて会う方も含めて対人関係を築くことが得意。
とてもフレンドリーに人と関われる方ですよね。
そういう部分では、自分の性格や能力に応じて役割を分担するのが良いと思います。
Youth: 色々な社会課題の中で、精神保健や心のウェルビーイングにフォーカスしたお仕事を続けられる1番のモチベーションは何ですか。
堤先生: 私は性格が悲観的ではないので、「何とかうまくいく」という思いが常にあります。
課題はどんどん出てきますし、何十年も前からやってきたことが全て解決しているわけではありません。課題が逆に深刻になっていたり、一つ一つ見るとうまくいっていないようでも、全体で見るとうまくいっていたりします。
また、うまくいっていることに注目することで、他の人にシェアをすれば、経験を活かすこともできます。
建設的にレッスンズラーンド(教訓)をシェアするということです。
井筒先生: 私が堤先生を尊敬しているのは、たくさんある課題の中で、できることややるべきことを見極めて、形にしていけるところです。
2004年にインド洋で起きたスマトラ島の津波のとき、何十万人もお亡くなりになって、物資や医療支援に目が行きがちで、メンタルヘルスは忘れ去られがちでした。しかし、多くの方がメンタルヘルスを求めていたことを、神戸のときのような現場を知る堤先生は分かっていたのです。
当時は、メンタルヘルスに関する活動をしようと思っても、専門家が少なかったり、するべきことが分からないといった状況が多かったんですね。
さらに当時は、SDGsの前身MDGsの時代でしたが、そこに入っていない、すなわち国際社会におけるプライオリティーにもなっていないという時代でした。
そこで、各国の災害時のメンタルヘルスの政策や人材のデータを取れるようにするために、WHOとして質問紙を作成し、全ての政府に配布し、少しずつデータを収集し現状把握していきました。
各国が自国の現状への自覚を促し、内からも外からも必要なことがわかるようになったのです。
また、知見や枠組みが統一されていなかったので、メンタルヘルスの専門家や実務家を集めて、それぞれの知見を共有してお互いの活動を知り、孤立して活動していた状態から仲間を作り、それをガイドライン化していくきっかけを作られたのです。
堤先生が課題が山積する中でも、やるべきことを明確化してくれたおかげで、ガイドラインができ、各国がガイドラインをもとに積極的に政策を実施したり予算をつけたりできるようになったのです。
堤先生: いやいや、私が一人で考えてやったわけではなく、当然、井筒先生や世界の専門家の方々に教えて頂いたのです。
私一人の力でやったことではありませんが、そういうことに携われたことは意義深いものでした。
Youth: 「社会関係資本」「ソーシャルキャピタル」という言葉をよく聞きます。
人との繋がりが深い方はメンタルヘルスの状態も良い、災害や復興に強いと言われますが、実際にソーシャルキャピタルの構築にどのように取り組まれ、評価され、強化されているのか教えてください。
堤先生: ソーシャルキャピタルの重要性は認めますが、ただあれば良いというものでもありません。
我々の研究分野では、「家族や友達が何人いるか」という指標を使うことがありますが、そのような人が多い方がストレスがある人や、少ない方が心地いい人もいらっしゃいます。
重要なのは、必要な人が必要なときにソーシャルキャピタルにアクセスできる社会構成がされていることです。
イスラムの国では家族の結びつきは大変強く、結婚も家族が決めることがあります。
その一方で、家族と断絶している方も、自分が信頼できる人と結びつくことで補われることもあります。
「ソーシャルキャピタル」は、人それぞれ異なる場合があることを意識しておくことが大事だと思います。
井筒先生: 研究では、例えば「過去に性的虐待を受けた方がハイリスクのグループだ」となることがあります。
しかし、では、国や国連機関が、その人の過去に行って虐待経験を無くすことはできない。もちろん、新たに性的虐待に合う人を減らすための努力は絶対に必要ですが、例えば虐待経験をプラスの力にして支援者として活躍している方もいます。過去の経験や属性や、今何を持っているかが、全てを決めるわけではない。変えられるところで、変えるべきところがあるのであれば、そこに注目していくのが良いと思います。
堤先生のアプローチの新しいところは、例えば博士論文でも、「ハンセン病の患者さんご本人が自分がどれだけ差別されていると感じているか、自分がハンセン病に差別意識を持っているか」というテーマで研究を行なっていたように、本人の主観に目を向けているところです。ハンセン病患者への差別がメンタルヘルスに及ぼす影響の研究は当時から少ないながらもありましたが、このような本人の主観に目を向けている研究はありませんでした。
本人の感じ方、個人個人のニーズやコンテクストの違い、そしてその人にとってのクオリティーオブライフを指標にされたのが個人的に興味深い点でした。
Youth: 様々な国と地域に行かれていた堤先生は、言語などはどうされていたのですか。
堤先生: 私は若い頃、ICUの中では、英語が得意な方ではありませんでしたが、現場で働く中で慣れていった感があります。
パキスタンは、元イギリス植民地で、医療職や政府関係者などの間では割と英語が通じる方も多いのですが、当然英語を話さない方も多いので、そのような方と話すときには、現地の方に通訳して頂きました。
もちろん、現地語ができたらもっと深い話ができただろうと思いますね。
ウルドゥー語やパシュトゥー語※など、もっと使えるようになれたらといつも思っていました。
JICAで中国生活をしていた頃は、中国語を勉強して、最終的には中国語でディスカッションできるようになりました。
マレーシア時代は、現地ではさまざまな場面で英語が通じるので、マレー語は疎かにしてしまいました。
自分が現地の方と交流し、信用を得て、そこで一生懸命やっていきたいと思うのなら、現地の言葉を学ぶというのはとても役立つと思いますね。
現地語ができずに、間接的に見聞きするとバイアスがかかってしまってしまうリスクもある。
しかし現地の言語ができなくても、人としてのコミューケーションを通して、人間関係や仕事を深めることはできると思います。
井筒先生: 国連職員は、現地の方と直接コミュニケーションを取ることももちろんありますが、政策や法律作りなどの、国の方向づけに関して政府のお手伝いをすることが主体なんです。
政府の方が現地のことはよく知っていらっしゃるし、国連はあくまで政府などの活動の支援をする役割なんですね。そして、JICAでも国連でも、多くの場合、現地スタッフを雇用しているので、現地の言葉や文化、事情を知る彼らと共に進めていく感じです。
国連では、英語のみ、もしくはフランス語しかできないという方も多くいますし、さまざまな言葉を話せる方も沢山います。
※ウルドゥー語
インド・ヨーロッパ語族インド語派に属する言語の一つ。ヒンディー語とともに、ヒンドゥスターニー語の標準のひとつをなす。
※パシュトゥー語
アフガニスタン、またパキスタンの西部に住むアフガン人(パシュトゥーン人)の話す言語である。インドヨーロッパ語族のイラン語派の東語群に属す。
Youth: ユース時代にしていてよかったこと、しておいたほうがよかったことについてお聞かせだ さい。
堤先生: してよかったと思うことは、今はなかなかできないけれど、旅をしたことです。
アメリカや、日本各地にも行きました。
あとは、大学に入って本をたくさん読んだことも良かったですね。
それから、現在の趣味にもなっていますが、井筒先生に連れて行っていただいたミュージカルの世界やメッセージにものすごく感銘を受けたし、共感することができました。
大学時代に映画やミュージカルなど、芸術に触れることは大切だと思います。
アール・ブリュットなどもありますし、声なき人の声や表現にもどんどん触れて欲しいですよね。
しておいた方が良かったと思うのは、やはり言語です。
井筒先生: 堤先生はこのように謙遜されがちですが、SDGsにメンタルヘルスや障害を取り入れるためにバリバリと活動したキーパーソンでした。
今日インタビューを聞いていて皆さんも気づいたかもしれませんが、堤先生は「私はこれをしました」というアピールをしないでしょう?
立場や肩書きをアピールするのではなく、為人で仕事を進め、結果を残していくのが彼なのです。
だから皆が「堤先生と一緒に仕事をしたい」と思い、楽しく彼と仕事ができるし、結果が生まれていくのだと思います。
若い頃はもっと喧嘩もしましたし、大学時代は口をきかない時期もありましたが(笑)、今振り返ってみれば本当に貴重な日々でした。
あのとき、知り合って、喧嘩もして、仲良くなれたからこそ、今も繋がって一緒に仕事ができるのです。
得意分野が違ったので、それぞれをカバーし合い、違う環境同士で情報共有しつつ、協力しあってきました。
皆さんもそういう仲間を学生時代に見つけて欲しいと思います。
堤先生: 本当にそう思います。
今まで自分がやってきたことを10とすると、自分の力なんて0.1にも満たないと思いますし、本当に周りに支えられてやってきました。
そういう方々は、自分にとって嫌なことも指摘してくださるのですが(笑)そういう人がいてくれることはとても大切。
研究だけではなく、人生においてサポートしてくださる方、例えばパートナーなどを大事にすることは自分自身を大事にすることでもあると思います。
だから出会った仲間を大切にして欲しいです。
皆さんも、大学名とかで評価されたり、プレッシャーがあったり、レッテルを貼られることもあると思いますが、そこに囚われない強い自分になって欲しいと思います。
※アール・ブリュット
専門的な美術教育を受けていない人が、湧き上がる衝動に従って自分のために制作するアートを意味する美術用語。
アール・ブリュットの芸術家の多くは、精神的・知的障害を持つ人、刑務所の受刑者など。
Youth: これから作っていきたい、実現したい世界のイメージはありますか。
堤先生:「批判をし合わない」優しい世界です。
例えば、自分の権利を認めさせるために、相手を論破したり批判をしたりする方法を取らず、お互いが共存できる方法を見出す対話をして進めていく社会ということです。
今は「どちらが勝つか」「どちらが正しいか」ということに重きが置かれています。
しかし、相手を打ち負かす瞬間は気持ちいいのかもしれませんが、そこには共存というものが生まれません。
優しい世界になって欲しいですね。
Youth: ありがとうございました!
いつか対面でお会いできる日を楽しみにしております。
ー感想ー
堤先生と、そして関わりの深い井筒先生のお話を同時に聴くことのできる大変貴重な機会で、聴くほどに自分の学びのモチベーションになりました。
堤先生の仕事への向き合い方や、災害時のメンタルヘルスのお話は大変興味深く、目から鱗の内容でした。
新しく偉大な仕事は、発想の転換と大きな視野、そして仲間の存在が大切だと改めて気づきましたし、それが「優しい世界」の実現の第一歩のように感じました。
私も堤先生と井筒先生のような素晴らしい関係を周囲と築き、必要なときに必要なことができる人間になりたいと思います。(金澤)
堤先生が現在のキャリアに辿り着かれた経緯や、様々な経験をされる中でどのように心が動いていかれたのかを伺うことができ、大変貴重な機会でした。
やはり現場を見る中で受ける衝撃や抱く感情が、その後のキャリア及び研究の大きな原動力になるのだなということを痛感しました。また、現場を中心に活動されてきた堤先生と本部で活動されてきた井筒先生、そのどちらもの視点からお話を伺えたのが、将来国際協力に携わりたいと考える私にとってとても興味深かったです。
最後に、堤先生と井筒先生の、互いを尊敬され合っていることが伝わる終始温かな掛け合いがとても素敵で、私も同じ道を志す仲間と、お二方のように協力し合いつつ切磋琢磨していきたいなと感じました。(清)
東京大学在籍。広島県出身で、趣味は美味しいものを食べること。国連の専門機関で働くことを目指し、広く深い教養を身につけるべく日々勉強中。4ヶ国語以上話せるようになることと、パン屋さんを開くことが密かな野望。