コロナと学生

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コロナ禍のいま、学生は我慢していると思う。

もちろん学生だけではない。世界中の人が何かしら我慢していることがあると思う。でも学生は特に一生に一度のチャンスを何度も逃し、悔しさをぶつける場所もなく苦しんでいるのではないだろうか。私は現役高校生として、今の学生の率直な思いを記録として残したいと思い、同級生30人にインタビューをしながら私なりの思いを綴ってみる。

 

【我慢と試練】

我慢が多かった。乗り越えることが多かった。

どこにもぶつけられない悔しさと怒りが募っていた。

そう語る人がすごく多かった。

その中には、部活の最後の大会がなくなったことによる絶望感を感じていた人もいた。

やはりコロナで制限があり、我慢をしなくてはならない。

学生は多くそれがストレスになっているんだなと感じた。

 

【納得いかないこと】

コロナ禍で思い通りの学生生活が送れないという事実を年上の人に話すと理解されないことが多い。私も父親にコロナで部活ができず、引退する年だけど最後の発表も危ういという話をしたときに学生が我慢することなんて当たり前だ。部活なんて言ってられる状況じゃない。それぐらい我慢しなさい。そう言われたことがある。私の周りでも親や親戚から我慢しろと言われたり、SNS上で学生が我慢することは当たり前と言われているのを目にする。これは正しいことなのだろうか。確かにみんなが我慢しているし、ストレスを抱えている。でもだからといって学生がここまで我慢をして、できないことが当たり前になっていいのだろうか。学生だけが苦しむ必要はあるのだろうか。

 

【学生ならではの思い】

先ほど述べたように、学生の思いを否定されるような発言により、ストレスが倍増し、自分たちが何のために頑張っているのかわからず前向きになれなかったと答えてくれた人もとても多かった。頑張ってきた学生がコロナの影響により、部活動などの大会がなくなって、発表する場もない。そしてその思いをぶつける場所もない。学生の夢が叶わなくなることはすごく心が痛い。

 

学生ならではの思いが学生ではない人にはなかなか理解されない

この環境がすごく苦痛である。こう答えてくれた人がいたが、すごく共感する。

 

【平等ではない環境】

これは大人全員に対してではなく、学生が部活の制限や大会への出場辞退などを受けて生活している中でニュースで取り上げられてきた夜の飲酒などを見て、怒りを覚えた人は多いと思う。毎日学校に通い、授業を受けて部活を我慢して学校行事を泣く泣く中止・延期して生きている私たちにとって、一部の好き勝手飲んでいる大人のその行動は絶対に受け入れたくない。平等ではない。そう強く感じた。この感情は間違っていないと思うし、そこに疑問を感じたのも間違いではないはずだ。特に、緊急事態宣言中での夜の飲酒は許せないと感じた。

 

【学生のすごいところ】

今回インタビューをして本当にたくさんの学生さんと話をしたが、みんなコロナの状況をうまく利用して、何か新しいことをしようと努力していることが一番印象的だった。できないで終わらせず、今だからこそできること。工夫したらできるのではないか。と考えていくその姿勢は私が学生を誇りに思う理由の一つである。だからこそ、コロナの時代を生き抜いている私たちは、今後学生として困難があっても前向きに頑張れるのではないかなと思った。

 

【私が感じたこと】

コロナで活動ができなかったり、思い通りの学生生活が送れなかったというのは紛れもない事実であるが、その一方でコロナから学んだことも多いなと感じた。今までの私たちだと感じなかった毎日学校に通えて部活ができることのありがたみ。健康でいられることのありがたみ。小さいことの積み重ねかもしれないがそれを確実に感じることができたのは、当たり前が当たり前ではなくなったこのコロナの期間があったからだと思う。なので私は、コロナにある意味感謝している。


 

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